朝から兄弟ゲンカ、義母が仲裁に入ろうとする。


長男に「また次男くんが学校いかへんいいだしたらあかんから、、おこりな!」


長男、当然余計怒る。


「私が聞くので、、」で、義母にはお引き取りいただく。 もはや、義母の言葉は仲裁じゃないし。


二人にちゃんと話きいたら喧嘩の原因はくっそしょうもない、テレビの取り合いレベル。

長男がしつこく怒っていたのは、「なんで!?学校いかれへんとかしらんやん。いかへんかったらいいやん。」


せやな。聞き分けのいいほうに我慢をさせるとかおかしいな。私もそう思う。


長男は、当たり前に毎日登校する。

「なあ、長男はさ、なんで学校いくん?」

「勉強しに」

「なんで勉強してるん?」

「将来の選択肢をひろげるため」

※長男は将来なりたい職業はない、稼げる大人になりたいだけ。

「せやな、学校にいくのは、長男にとって

稼げる大人になるための手段の一つやもんな。私もそう思う、自分の目的のための手段が学校じゃないなら、わたしは、ぶっちゃけいかなくてもいいと思ってる。おばあちゃんな、学校に行くことをゴールにしてしまってるな。長男はそれがおかしいと思ってるからいま、腹立つねんな。」

このへんで、長男がおちついてくる。


次男は、小競合い後「もういいわ。」で、タブレットでYouTubeみて切り替え済み。


義母も、子どもを思ってしてくれてるありがたいこと。

だけど、とりあえず学校にいってくれたら自分が安心やから、になってる。休めば「勉強が遅れる。」と心配する。


毎回私が返す言葉は

「メンタルが不安定で登校したって授業なんか頭に入らんから勉強遅れるのに差はないです。

だれも自分のことわかってくれへんって落ち込んで長引いて、更にトラブル起こすだけ。休んで充電できるならしたらいい。

学校で人との関わりを学ぶように、次男は自分との関わりを学んでる。今なら失敗もたくさんさせてあげられる。」


なんでやねん。

いつも、

「いじめられる」

「将来、不幸になる」

が、前提やねん。


夫が転職するときも、わたしは、

「給与レベルはともかく、経験ありで

人あたりのいい、人格的に問題なさそうなおっさんやし、再就職決めてはきますって。」といいつづけた。


これも「きまらなかったら」が、前提。


当時、夫に「お母さんはもう少し我が子を信頼してあげてといいたい。」とぼやいた。


不安が強いといえばそれまでやけど、子にも孫にも過保護やし、これは

「信じていない」

が、原因やな。


「信じていない」ってやっかいやな。一見、子供や孫思いの優しい人に見えるもんな。