息子、3歳のときに自閉症と言われました赤ちゃん泣きガーン



もうショックでショックで、

療育センターからの帰りは放心状態だったことを

思い出します。。




そのときは自閉症と軽度知的障害、

おそらくは発達性協調運動障害も合併していました。







就学相談時の助言に従い、
特別支援学級へ在籍していましたが。

特別支援学級担任のすすめで2年生の11月、
年度途中で普通学級へ転籍をしましたにっこり気づき
(ほぼ交流級におり、特別支援学級のフォローを必要としていなかったため)


そのときには軽度知的障害もなくなり、
療育手帳も返納となりました。






それでもやっぱり、
普通級になってからはいろんなトラブルを起こし、
トラブルに巻き込まれ、弁護士や警察沙汰となったこともあります。



その都度、本気で叱り、
時には手荒な指導もしながら、日本での「普通」に
少しでも近づけるように指導を繰り返してきましたし。


夫も父親としての目線で厳しく指導・叱咤激励し、
裏では綿密に根回しや出来事への対処を繰り返して。


私達2人で、
息子が社会に適合できるようになるには、

どうしたらよいかという視点から手探り支援を
続けてきました。




その時々の息子の状態に合わせて、
どのような支援・指導がよいのか、私も夫も真剣に考え、「自分のケツは自分で拭ける大人」「自分ひとりで、とりあえずは食っていける大人」に育て上げるべく、日々奮闘していました。







子どもは残酷です。


息子がいかに普通級でがんばろうが、
「支援級にいた障害者・バカ」という認識を持って接してきます。




そして、、
さまざまな価値観と年齢の子が集まる学童では、
「障害が移るから来るな」「支援級に帰れ、障害者キモい」「バカなくせに」と罵られて殴られたり、物を隠されたり、宿題を汚損されたり、私物をトイレに捨てられたりしました。



完全ないじめでしたが。
学童スタッフや教師は「誰がやったか分からないので、注意喚起以外は何もできません」という、事なかれ主義を貫き通しました。



息子は不登校になりかけたこともありましたが、
何とか学校に行くことはやめず、ここまで来られました。


今思えば、
夫が子育てに小煩く首を突っ込んでこなかったことも
よかったのだと思います。





4年生となった今では、
もう誰も、息子に対して「障害者」「自閉症」という子はいなくなりました。



そういうことを言ってきた子がいても、
暴力を振るってきた子がいても、
先生に頼り切ることなく息子は受け流したり、立ち向かったりすることができるようになりました。



それは、息子が努力に努力を重ね、
心身ともに傷付きながらも決して諦めずに
挑戦し続けてきた賜物だと私は思っています。





学校行事の司会をしたり、運動会の応援団に入団したり、彼女を作ったり、放課後に友達と野球をしたり、習い事をがんばったり、、

たくさんの友達に囲まれ、
年相応の青春を送っているもようです。





サムネイル

【息子】

はてなマーク 今、なんつった。。

支援級にいたことがそんなに悪いのかはてなマーク


もう一回言ってみろ、、言えねえなら二度とそんなふざけたこと言うんじゃねえ。



息子が支援級にいたことを

バカにしてきた同級生に面と向かって言い返したそうで(3年生の時)。



息子から事後報告を受けた担任より、

謝罪の電話がかかってきたこともありました。



担任との面談で聞く限り、

今じゃ、何の問題もない児童になったようですが。





何せ夫と私の子ども、

気性の荒さを秘めてるし、夫譲りの運動神経と筋肉質な体格なのでものすごく力が強いんです。



他の子が叩くのと、息子が同じく叩くのでは、 

破壊力が段違いなんです。


同じことをやり返したら、

相手の子が勢いよく吹き飛んでいってしまい、

ご自分でやったことを棚に上げて号泣されたことでトラブルとなりましたので。



「絶対にやり返さずに逃げて、先生にすぐ報告すること」を徹底して指導しています。





一難去ってまた一難。

これからも何かしら問題を持ってくるんでしょうが、

なんとか受け入れて、解決策を探っていきたいと思います(;´∀`)