世間はクリスマス、そして年賀状の季節。
喪中ではなくなった昨年は、数を減らしながらも機械的に投函しました。
今年、もうやめようか決め切らないまま、でもモチベーションが全く湧かず手つかず。
このまま、うやむやで立ち消えでもいいやと思っている。はがきも昨年値上がりしたし、そんな人も多いんじゃないかなと自分に都合よく想像しています。
年賀状の例もあるけれど、喪中の年は、うちの地域ではお祭にも参加できないことになっています。以前は深く考えることもなく、「忌まわしい」からお祝い事から遠ざけたいのか、くらいに理解していました。
でも、自分が当事者になってから違う思いに至りました。
そもそも喪の年はグリーフの一番深い時。
「そんな時に祭りなんか参加できる心身の状態じゃないよね。」
「年賀状とか出せる心境じゃないよね。」
「だからさぼっていいんだよ。ゆっくり休んでいていいよ。」
元はこんなふうな「優しい風習」だったんじゃないのかな。
死がもっと身近にあった時代の「お互いさま」の優しい気持ちだったのでは。
それがいつの間にか、死は生活から遠ざかり、悲しい気持ちの人を避け、見ないことで表面上安心するように変わってしまったんじゃないか。過去の自分にも「忌まわしい」出来事と刷り込まれていたと思う。
(あくまで、shima-enako説なのですが😣)
もっと堂々と喪中だと告げて、もっと長く喪中扱いでいいのになぁ。
長ーく忌引きで、だれもがお互いさまの気持ちでゆっくりと癒せる優しい世界であればいいのになぁ。
ことしの第九を無事終えて来年の開催につなげられてホッとしたら、今度は治らない口内炎と味覚障害みたいなのが交互にやってきて悩まされている、この年の瀬に、そんなことをぼんやりと思ってます。
優しい方にシェアしたらすっと受け入れていただけたので、こちらにも書くことにしました。