長年、原因不明のままやり過ごして来た症状が、今から4年前両手に強く出て家庭生活が送れなくなりました。色々な病院に症状に合わせてかかったものの、解明されないまま14年が過ぎていました。

 出産以来久々の入院生活は25日間でした。病院に友人がお見舞いに来てくれた時に、「前提を変えに来たかな…フフフ😃」と言って心屋仁之助さんの本を四冊貸しくれました。その内の一冊「奇跡の言葉1」を読み進めて行くと、いつも同じ言葉の所で涙が出たり、胸が苦しくなったり、引っ掛かったり、付箋を貼った箇所が10程ありました。一番に泣けてくるフレーズが、

「自分で生きてきた」
「自分は頑張ってきた」という思いが強いから、
「助けて」
「できないよ」という弱さを出せていないから自分一人で頑張ってしまう。

だったんです。でもでも、どうしてここで泣けてくるのか最初は分からなかったんです。
 ところが、謎解きの時がついに来たんです。隣のベッドの患者さんが25日の間に何回か入れ替わり、ご家族の方が来られて居るのを見る度に、私の心はなんだか寂しくなって行ったんです。「私のお母さんはどうして来てくれないんだろ…。」
 入院した頃の私は、母や義母にも、「私は元気だから大丈夫。心配しないでね😉」って感じだったのに、三週間過ぎた頃には様子が変わって来て、私は本当の自分の気持ちに気付いたんです。「本当は本当は、お母さんに一番に病院に来て欲しかった。」どうして、こんな気持ちがあるのに私は「大丈夫。心配しないで。」と言ったんだろう……。
 
 不意に私の心のバケツの蓋が開いて、14年前に母が私に言った言葉が甦って来たんです。
 今では産後の自律神経の乱れからの症状だったと考えられるのですが、朝起きぬけに両手が強張って全く動かないという状態が3ヶ月続いた事がありました。少ないネットの情報の中から関節リュウマチではないかと思いが至り、母に電話をかけて、「一生薬を飲み続けなきゃいけない病気になったかもしれない…どうしよう…。」と言いながら電話口で泣いたことがあるんです。
 その時母から返ってきた言葉は、「あんた、大学行った頭で、そんな風にしか考えられないの❓」でした。
 それからの私は、様々な症状の事を母には話さずに、14年間「どうせ、母は私の事なんて心配してくれないんだ。」と拗ねて、不可解な症状を抱えながら、弱さを隠して一人で生きてたと思っていた様なんです。その事を、その奇跡の言葉が教えてくれたんです。

 その夜、私は母に電話でその事を泣きながら話し、「だから私は弱音を吐けなくなったんだ~😠」と責め、「本当はお母さんに一番に駆け付けて欲しかった~😭」と本音を伝えたんです。そして、その思いを母に受け取ってもらった後は、つっかえ棒が取れたかの様に…辛いとき、声を聞きたくなったとき、遠慮せずに電話して弱音を吐く娘が誕生したんです🎂拗ねるのを止めて、甘えてみた~って感じです😳

 それを機に、幾つかの蓋をした記憶のバケツを紐解いて、私は私の封印してあった本音に一つ一つ寄り添いながら、人生の棚卸しをしています。あれから4年が経ち、10枚の付箋が今では2枚になりました✌

 「言えば癒える🍀」蓋をした記憶のバケツの処方箋🆘