「愛とは」 ロード・サナンダより
本日のテーマも、やはり、愛なのですが、
今回は、ロード・サナンダから来ているメッセージを
お届けいたします。
ロード・サナンダとは、
キリスト意識の源であり、その総体です。
多次元にわたる、マスターの中のマスターの中のマスターであり、
宇宙全体のアセンションを創始から永遠に
サポートし続けてきている、大いなる存在なのです。
マスターには、それぞれ、役割、担当部門というものがありますが、
ロード・サナンダの担当は、すばり、「愛と光」です。
それでは、以下、
ロード・サナンダからのメッセージをお楽しみください^^
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愛とは、神聖なる皆さん自身のことです。
愛とは、全き光であり、あらゆるすべての源です。
無限につらなるこの宇宙をつないでいるのが、
愛なのです。
愛は、いつも、あらゆるすべての中心に存在し、
なおかつ、あらゆるすべてに浸透しています。
太陽のように。
皆さんの中心とは、胸の中心、ハートであり、
そこにのみ、愛はたたずんでいます。
あなたが、ハートの中心にいるとき、
あなたは、あなたが愛であることを思い出し、
それゆえに、すべてが神聖であることを思い出すでしょう。
世界とは、皆さんによって、映写されているのです。
皆さん、一人ひとりが持っている力というものは、
とても大きなものです。
もしも、あなたがハートの中心から愛と光を放つなら、
あなたが住み、影響を及ぼしている地域全体の波動が上がります。
私たちは、いつも、皆さんを見守っており、
こうして、ハートの中心から輝こうと意図している人を見つけて、
サポートしています。
私たちから観ると、皆さんは、とても輝いています。
人の光は、地上で唯一の、真の灯台なのです。
その真のあなた、つまり、愛と光そのものであるあなたを、
あなたが表現しようとするとき、
私たちは、歓んでそれをサポートします。
宇宙には、たった一つの法則があり、
それは、
「与えたものが、大きくなって返ってくる」
というものです。
あなたが、ハートの中心から与える人になるとき、
あなたは、初めて真の幸福を体験することになるでしょう。
私たちは、常に、永遠に、それを願っています。
愛と光のコズミック・ゲート
ロード・サナンダ
愛とは・・・!?(その4)
昨日は、いったん科学ブレイクしましたが、
本日は、「愛と科学」というテーマで、
綴りたいと思います^^
究極から言うと、
愛とは、科学であり、
科学とは、愛です^^
え!?
と思うかもしれませんね。
これは、ものすごーく、深いテーマです!
(今回の記事だけでは、まとめきれません!)
昨日の記事では、
「科学とは、再現性のある、客観的体系」
ということで、
その先には、
「一人ひとりと全体の有機的なシステム、
その繋がりの自覚がある」
という結論となっていました^^
一人ひとりと全体の繋がりの自覚、
というのは、
愛以外の何物でもありませんね!!!
そして、確かに、あるレベル以上の愛には、
再現性があり、
それは、客観的な認識なのです。
主観的で、視野が広くない認識は、
愛ではありませんね。
そして、広い、普遍的な、客観的な認識とは、
愛なのです。
そして、よく考えると、
宇宙全体に奉仕しようとするなら、
広いユニバーサルな認識が必要なのは、
自明であると言えます^^
必要は、産みの母であり、
愛の拡大には、科学を必要とするのです。
このようわけで、
必然的に、あるレベルからは、
愛が科学を統合させるのです。
そのとき、その愛によって、いつでも、
特定のエネルギーを再現することができます。
それは、システマチックに起こっているのです^^
常に、最高のエネルギーを再現しているのなら、
それは、究極の自己の在り方であり、
永遠の愛になっている、
ということですね!!!
これが・・・実は、
アセンションの最大奥義なのです!!!
常に、MAXであり続けること、
自己のギネスを出し続けること!!!
自分の深奥から、
最高の自分を表現するとき、
あなたはアセンションします(*^o^*)
∞愛と光とともに
サン
科学とは・・・(その1)!?
ここ数日「愛とは・・・!?」というテーマに
絞ってきましたが、
今日はいったんブレイクということで、
「科学とは・・・!?」というテーマに迫りたいと思います^^
まず、第一に、科学とは、
人類にとって、必須のものであると言えます。
現代社会には、いろいろなものがありますが、
人の意識の成長とともに、不要になっていくものと、
そうでないものとがあります。
例えば、権威主義的な政治、というのは、
ずっと必要なものではありません。
ある進化のプロセスにおいては必要でした。
それはある意味、中学校の制服みたいなもので、
ある特定のステージには必要だったのですが、
それを過ぎるとむしろ窮屈で、不要になるのです。
資本主義経済についてもそうだと言えるでしょう。
(今すぐにそう成ると言っているわけではありません)
それから、州境、というものも、そうです^^
「科学」については、これに該当しません。
それは、人の進化とともに、発展していきます。
ただし、3Dの科学は、そろそろ頭打ちで、
多次元科学に踏み込む時期に差し掛かっているのでしょう。
深遠な意識領域に関する探求を、
「それは科学ではない」
という観点を持つ人もいますが、
一体全体、科学とはなんでしょうか。
私が思うに、科学とは、
「再現性のある、客観的な体系」
です。
「再現性」というのは、
同じ条件なら、繰り返し行っても、同じ結果が出る、
ということです。
これは、そこに、
明確な法則性、因果関係があることを意味します。
では、「客観性」とは、なんでしょう!?!?
これは意外に、深いテーマです。
分かりやすくいえば、
「万人が認めることができること」
ということになりますが、
本当は、「万人」というのは語弊がありますね!
例えば、ピタゴラスの定理の妥当性は、
客観的に正しいと言われていますが、
幼稚園児には、それが分からないでしょうし、
また、もし、図形が認識できなければ、
これも無理な話ですね。
つまり、「科学的な正しさ」を認識するには、
それなりの条件が必要である、
ということです。
幼稚園児に関しては、「論理的な思考力」があれば、
ピタゴラスの定理の妥当性を理解できるでしょうし、
図形が観えない人が、「視覚作用」を取り戻せれば、
同じく、正しさを認めることができるでしょう。
よって、客観性には、「レベルと幅」がある
という結論に達するのです。
対象を認識する力のレベル、
対象を認識する知覚作用の種類、
ということですね!
これを兼ね揃えている、集合意識が同意できることを、
「客観性」というのです。
今の例で言えば、
「数学的な思考力」と「視覚的な認知力」を
両方持っている人たち、ということになるでしょう。
(それ以外にも条件はあるでしょうが、
簡潔にするために、この二つとしておきます^^)
科学が出来上がる過程というものを理解すると、
上記が必然であると理解できます。
科学において、初めになされることは、
「対象の観察」です。
これを行わないことには、何も始まりません。
そして、重要なことは、
「対象とは、意識が知覚するものすべて」ということです。
物質のみが対象である、という必然性はどこにもありません。
そもそも、この「物質」という考え方自体は、
よりユニバーサルな観点からすると、主観的です。
存在はすべて波動なのですから、
それを「固い何か」と認識するのは、
限定的である、ということです。
さて、観察ののちに、あるいは同時に行うことは、
「分析」です。
対象そのものの分析、
対象とほかのものの、相互作用の分析など。
この過程において、「思考力」という要素が
必要になってきます。
そして、それには、無限にレベルがあるでしょう。
このように、探求していくと、
必然的に、そこには、
「明確な体系」が
観えてくるのです。
一つひとつのつながり、
一つひとつと全体のつながり、
このような、有機的なネットワークシステムが、
構築されることになります。
もし、自身の中で、これが構築されてきたのなら、
あなたの中の右脳と左脳が統合されてきている、
ということを意味します。
ここまでの話で、右脳と左脳の機能について、
お話してきた、ということにお気づきでしょうか。
「観察」
というのは、右脳の働きです^^
バッと、対象そのものを捉える、
つまり、対象の波動との、同調です。
周波数は無限に存在するので、
その知覚レベルも、無限です。
これは、ある意味、女性性と言えるでしょう。
「分析」
というのは、左脳の働きです。
ものの詳細の構造や関係性を理解する。
これは、男性性ですね!
ここで重要になってくる認識は、
右脳が先、左脳が後!
ということです!!!
どちらが優っているという意味ではなく、
意識の自然な流れとしてそうである、
ということです。
この両方が統合されて初めて、
先ほど述べた、
「一つひとつと全体のつながり、
そのエネルギーとシステムのネットワーク」
が、把握されるのです。
別の観点で観てみましょう。
何かの「全体の中の個」というのは、
右脳にしかわからないことです。
人生の全体像、地球の全体像、など。
だから、左脳のみで考えていると、
人生全体の流れの中で、
今、転職する必要があるのか、ないのか、
ということはテンデ分からないのです。
でも、右脳を使うと、
人生全体の流れの中で、
今この瞬間の個々の選択として、
最も重要なことが何か、分かるのです。
一方、左脳というのは、
一つひとつの詳細を詰めるのが仕事です。
「分」析というくらいですから、
全体ではなく、部「分」にフォーカスするのです。
ですから、右脳だけだと、
インスピレーションは湧くけれど、
「詰めの甘い人」となります。
「詰める」のは、左脳の働きだからです。
さて、以上のようなわけで、
とても統合されてくると、科学というのは、
左脳的、というよりも、
右脳&左脳的、ということになるのです。
そして、アセンションするほどに、
必然的にそうなるのです^^
では、次回は、愛と科学というテーマに、
詰め寄ってみることにします!!!
お楽しみにーーーー(*^o^*)
∞愛と光とともに
サン
分からないと思われます。
