科学とは・・・(その1)!?
ここ数日「愛とは・・・!?」というテーマに
絞ってきましたが、
今日はいったんブレイクということで、
「科学とは・・・!?」というテーマに迫りたいと思います^^
まず、第一に、科学とは、
人類にとって、必須のものであると言えます。
現代社会には、いろいろなものがありますが、
人の意識の成長とともに、不要になっていくものと、
そうでないものとがあります。
例えば、権威主義的な政治、というのは、
ずっと必要なものではありません。
ある進化のプロセスにおいては必要でした。
それはある意味、中学校の制服みたいなもので、
ある特定のステージには必要だったのですが、
それを過ぎるとむしろ窮屈で、不要になるのです。
資本主義経済についてもそうだと言えるでしょう。
(今すぐにそう成ると言っているわけではありません)
それから、州境、というものも、そうです^^
「科学」については、これに該当しません。
それは、人の進化とともに、発展していきます。
ただし、3Dの科学は、そろそろ頭打ちで、
多次元科学に踏み込む時期に差し掛かっているのでしょう。
深遠な意識領域に関する探求を、
「それは科学ではない」
という観点を持つ人もいますが、
一体全体、科学とはなんでしょうか。
私が思うに、科学とは、
「再現性のある、客観的な体系」
です。
「再現性」というのは、
同じ条件なら、繰り返し行っても、同じ結果が出る、
ということです。
これは、そこに、
明確な法則性、因果関係があることを意味します。
では、「客観性」とは、なんでしょう!?!?
これは意外に、深いテーマです。
分かりやすくいえば、
「万人が認めることができること」
ということになりますが、
本当は、「万人」というのは語弊がありますね!
例えば、ピタゴラスの定理の妥当性は、
客観的に正しいと言われていますが、
幼稚園児には、それが分からないでしょうし、
また、もし、図形が認識できなければ、
これも無理な話ですね。
つまり、「科学的な正しさ」を認識するには、
それなりの条件が必要である、
ということです。
幼稚園児に関しては、「論理的な思考力」があれば、
ピタゴラスの定理の妥当性を理解できるでしょうし、
図形が観えない人が、「視覚作用」を取り戻せれば、
同じく、正しさを認めることができるでしょう。
よって、客観性には、「レベルと幅」がある
という結論に達するのです。
対象を認識する力のレベル、
対象を認識する知覚作用の種類、
ということですね!
これを兼ね揃えている、集合意識が同意できることを、
「客観性」というのです。
今の例で言えば、
「数学的な思考力」と「視覚的な認知力」を
両方持っている人たち、ということになるでしょう。
(それ以外にも条件はあるでしょうが、
簡潔にするために、この二つとしておきます^^)
科学が出来上がる過程というものを理解すると、
上記が必然であると理解できます。
科学において、初めになされることは、
「対象の観察」です。
これを行わないことには、何も始まりません。
そして、重要なことは、
「対象とは、意識が知覚するものすべて」ということです。
物質のみが対象である、という必然性はどこにもありません。
そもそも、この「物質」という考え方自体は、
よりユニバーサルな観点からすると、主観的です。
存在はすべて波動なのですから、
それを「固い何か」と認識するのは、
限定的である、ということです。
さて、観察ののちに、あるいは同時に行うことは、
「分析」です。
対象そのものの分析、
対象とほかのものの、相互作用の分析など。
この過程において、「思考力」という要素が
必要になってきます。
そして、それには、無限にレベルがあるでしょう。
このように、探求していくと、
必然的に、そこには、
「明確な体系」が
観えてくるのです。
一つひとつのつながり、
一つひとつと全体のつながり、
このような、有機的なネットワークシステムが、
構築されることになります。
もし、自身の中で、これが構築されてきたのなら、
あなたの中の右脳と左脳が統合されてきている、
ということを意味します。
ここまでの話で、右脳と左脳の機能について、
お話してきた、ということにお気づきでしょうか。
「観察」
というのは、右脳の働きです^^
バッと、対象そのものを捉える、
つまり、対象の波動との、同調です。
周波数は無限に存在するので、
その知覚レベルも、無限です。
これは、ある意味、女性性と言えるでしょう。
「分析」
というのは、左脳の働きです。
ものの詳細の構造や関係性を理解する。
これは、男性性ですね!
ここで重要になってくる認識は、
右脳が先、左脳が後!
ということです!!!
どちらが優っているという意味ではなく、
意識の自然な流れとしてそうである、
ということです。
この両方が統合されて初めて、
先ほど述べた、
「一つひとつと全体のつながり、
そのエネルギーとシステムのネットワーク」
が、把握されるのです。
別の観点で観てみましょう。
何かの「全体の中の個」というのは、
右脳にしかわからないことです。
人生の全体像、地球の全体像、など。
だから、左脳のみで考えていると、
人生全体の流れの中で、
今、転職する必要があるのか、ないのか、
ということはテンデ分からないのです。
でも、右脳を使うと、
人生全体の流れの中で、
今この瞬間の個々の選択として、
最も重要なことが何か、分かるのです。
一方、左脳というのは、
一つひとつの詳細を詰めるのが仕事です。
「分」析というくらいですから、
全体ではなく、部「分」にフォーカスするのです。
ですから、右脳だけだと、
インスピレーションは湧くけれど、
「詰めの甘い人」となります。
「詰める」のは、左脳の働きだからです。
さて、以上のようなわけで、
とても統合されてくると、科学というのは、
左脳的、というよりも、
右脳&左脳的、ということになるのです。
そして、アセンションするほどに、
必然的にそうなるのです^^
では、次回は、愛と科学というテーマに、
詰め寄ってみることにします!!!
お楽しみにーーーー(*^o^*)
∞愛と光とともに
サン
分からないと思われます。