昔の恋人 今の恋人 | シリウスなムーヴメント

昔の恋人 今の恋人

「すいか~~~ご飯だよぉ」
どこに隠れていたのか お皿にキャットフードがカラカラと音を立てて入ると、のっそりどこからともなくすいかは現れた。
「ふふ…おいしい?」
ティルにはちっともおいしそうに見えないが 坂崎には興味をそそるらしく
すいかのご飯に手を出してひっかかれたことがあるくらいだ。
すいかの横にしゃがみ込んで無心に食べる姿を見ていたが 頭の中は昼間 華奈子から聞いた恭介のことが気になっていた。
食べ終わったすいかがその場から離れたことにも気付かなかった。
突然 テーブルの上で携帯が鳴り びくっとした。
相手は恭介らしかった。
ためらってはみたもののやはり気になって出る。
「もしもし…?」
「俺…今から出れないか?」
「何の用?」
「ん………」
それっきり黙ってしまった。
数分の沈黙の後
「なぁ 少しでいいんだ…」
「…わかった 今どこ?」
「お前の家の前…」
「20分で行くから待ってて」
ティルは坂崎の部屋を出て 自分のマンションへ向かった。
これが坂崎に対する裏切りになるのかはわからない。
が、なぜだかティルにはほっておくことができなかったのだ。
かつての恋人が 落ちぶれて毎日荒れた生活をしているなど 信じたくなく ティルが会ったところでどうなるものでもないだろうが
このときのティルにはそこまで考える余裕はなかった。
マンションの前に着くと ティルの借りている駐車場に恭介の車は止まっていた。
ティルはその前に車をつけると 恭介の車の助手席のドアを開け乗り込んだ。
「来てくれたんだな 家じゃなかったのか?」
「坂崎のとこにいたの 何の用?」
「最後のときは悪かったな…あん時はどうかしてたよ」
「もぅいいよ 今幸せだから 話しって何?用がなかったら帰るけど」
車から降りようとするティルの手を恭介が引っ張った。
「やり直さないか?俺たち…」
恭介はすがるような目でティルを見ている。
あれほどプライドが高かった恭介の初めて見る目だった。
「お前と別れてから何もかもうまくいかなくなった。あんなに昇り調子だったバンドも解散寸前、ソロでデビューしないかって話しまで出たのに それもポシャり…なんだかな…お前を大事にしなかったバチが当たったみたいだ‥」
大きなため息をつく恭介がやけに小さく見えた。
いつもいつも強気で前しか見ていなかった恭介
ティルはその後をついていくのに必死だった。
だがもう今はその面影すらない。
握った手に力が込められる。
一瞬 頭の中が真っ白になった。
目の前のこれほどまでに弱った男に手を差し延べそうになる自分がいた。
が、その瞬間 坂崎の顔がうかんできた。
坂崎を裏切りたくない。
何よりティル自身が坂崎を必要としているのだから。
恭介の手を優しくふりほどくと
「ごめん…坂崎じゃなきゃダメだから…」
それだけ言って車から降りた。
車から下りるとなぜだか涙がこぼれた。
ポタポタと頬をつたい下に落ちる。

いつの間にか坂崎がティルにとってかけがえのない存在になっていたことにティル自身今気付いたのだ。
早く坂崎の腕の中に帰りたい…その一心で坂崎のもとへ向かった。

坂崎のところに戻ると もう坂崎も帰宅していた。
坂崎の姿を見るとティルは安心したように坂崎に抱きついた。
「ちょ…テルちゃん?どした?何かあったか?」
何も答えずティルは坂崎にキスをすると
「…抱いて」
と、うるんだ目でティルは坂崎を見た。

いつもと違うティルの行動にとまどいはしたがティルを優しく抱きしめる。

しかし、一瞬香ったその匂いに坂崎は顔をしかめた。
(これって‥)
瞬時にして恭介を思い出した。
イースト時代、奴らのライブを幾度と見てきた坂崎である。
間近に恭介の匂いを感じたこともあった。

その残り香が今 抱きしめたティルから匂ったのである。

すぅっと腕を離すと感情が走るままティルに問いただした。

「お前 今どこへ行ってた?」
「‥‥‥」
まさか気づかれるとも思ってなかった坂崎からの質問。
だが、少し険しい顔をした坂崎を見るとティルは言葉が出てこない。
「どこで何をしてたん?」
坂崎はもう一度聞いた。
黙ってはいられないと判断したのか、ティルはか細い声で答え始めた。

「恭介に‥呼ばれた」
「会ってたのか‥あいつと 今までも会ってたのか」
「‥‥ううん 今日だけ‥」
「なんで会う必要があるんだ」
「‥‥」
「俺じゃ不満か 歳下な俺じゃ不満かっ」

坂崎はいつも優しい顔でティルを迎え入れてくれる。
いつだって「テルちゃん テルちゃん」と笑って寄ってくる。
だが今はそんな優しさのかけらもなくティルの前に立つ。

「そんなことない‥」
「じゃあなんで行ったんだよ 昔の男になら呼ばれたら行くのか」
「んなことないよ‥」

小さなティルの身体が 小刻みに震えている。

「どういうつもりなんだ
俺とは、ただの遊びだってか? 笑わせんなよ 俺はマジだよ お前のことマジで‥」

坂崎が言い終わらない内に突然ティルのバッグの中の携帯が鳴り出した。
だがチラっとバッグの中を目だけで覗いただけで、ティルは電話に出ようとしない。

「出ろよ」
「いい‥」
「じゃ俺が出る」
「ちょっと坂崎‥や‥」

思った通り相手は恭介であった。

無言で電話に出ると
「もしもし?」
と恭介の声が聞こえる。
坂崎が何も言わないでいると また
「もしもし?」
と恭介が言ってきた。

「こいつは俺の女なんだよ、忘れたか 二度と電話してくるな」

それだけ言うと電話をきりティルに返した。

泣きそうな顔で坂崎を見る。
「今日は‥帰るね‥」
とぽつんと言った。
ティルは坂崎を通り過ぎて玄関へと向かう。

「さちっ」
坂崎がティルを呼びとめる。
静寂な空気の中、その声は狭い部屋を余りにも響かせティルはビクっとして立ち止まった。

「さち‥行くな」
この場所でティルを『さち』と呼ぶ者はいない。
突然本名で呼ばれてドキっとした。
坂崎はティルの前に立ちはだかると、そのままティルを抱きしめた。
「帰らせはしない ここにいろ」

「さかざき‥」
声にならない声でティルが言う。
「お前のこと‥離してやんねーから」

ふいにティルを抱きあげるとベッドに連れていく。
そしてそのティルを全て覆う様に身体を重ねた。
真下に見るティルの顔は、少しメイクが落ちていて素顔に近い。
坂崎がいちばん好きなティルの顔である。

「バカヤロ‥」
そう言うと手荒にティルの服をはぎとっていった。


ティルを抱いた後、たいがい坂崎は煙草を吸う。
そんな坂崎の横でティルは今うつぶせになり、背中を這う坂崎の手を感じながらうとうとしていた。

「なぁさち‥起きてっか?」
「うん‥寝そだけど‥」
「あいつさ、恭介‥」
恭介の名前が出て少し目が覚めたのか、今坂崎が何を言わんとしているのか‥これから出てくる言葉に構えているティルが伝わってくる。

「あいつらさ‥解散するって噂聞いたんだけど、本当なのか?」
「うん‥」
「そぉなんか‥さっきさ、電話に出た時の声 俺が知ってるあいつの声とは思えなかった。自信満々なあいつの声には聞こえなかったんだ。だから噂は本当なんかな って」
「‥みたいだね」
「そぉか‥」
ティルの背中を這っていた手がとまる。
煙草を灰皿に押し潰すと、うつぶせになっているティルに重なり耳元で囁いた。
「愛してる‥さち」

もう一度抱こうとティルを横から見ると目を閉じ寝息が聞こえる。
ふっと笑い、ティルから離れると腕枕をする格好で横に寝転んだ。
そして自分の方へ寄せるとしばらくそのままで抱きしめていた。

ニャーという鳴き声がしたかと思うと、すいかがティルの頭の側にちょこんと座り、そこで丸くなった。
「よぉすいか、お前どこにいたんだ?やけに暖っけーぞ」
きっと布団の中には違いないだろうが、坂崎がティルを抱いている間もそこにいたんだろう。

坂崎は指先ですいかをつつきながら、
「俺さぁ‥」
とすいかに向かって話し始めた。
「いつかこいつににプレゼントしたいんだよ。デビューして、『トップ』っていう座をさ‥こいつにプレゼントしたいんだ」
すいかは丸くなったままじっとして動かない。
それでも耳だけはピクピクさせて眠っていない証を見せる。

「こいつに逢ってまだ何ヶ月しか経ってねーけどさ、でも俺 こいつとずっと一緒にいたいんだ。で、いつかプロポーズをして‥‥」
言葉が途切れる。
坂崎もまた眠りについたようであった。
すいかは坂崎が寝たことを確認したかの様に、ひとつ大きな欠伸をするとまた布団の中へもぐりこんでいった。