この世の出来事は予めすべてが決まっている。
そのように言われたらあなたはどう感じるだろうか?
そんなはずない!
私は私の意思と選択によってこの現実をつくっている。
そうおっしゃるかもしれない。
仮に100%そうだとしたら、今目の前の現実はあなたの望むようなものになっているだろうか?
いやー、人生最高!!!
目標設定して、そこに向けて行動して、一つずつ達成して、成長を感じながら毎日ワクワクした気持ちで感謝に溢れる日々を送っています!!!
このような方もいるだろう。
それ一方で、なんでこんな人生になったんだ?と自分には辛く苦しいことが積み重なり、世の中の理不尽さに絶望している方もいるかもしれない。
どちらにしても、あなたの目の前にある現実は果たして本当にあなたの意思と選択によって作られたものだろうか?
【決定論的世界感】
この言葉を聞いたことはあるだろうか?
人間に自由意思はなく、すべてが決定されたものの中で私たちは選ばされた選択を自ら選んだ選択と勘違いして生きているとしたら?
何を訳のわからないことを、と感じるかもしれない。
1983年、カリフォルニア大学のリベット教授がある実験を行った。
被験者は、意識して体を動かそうするとき、無意識ではその意識よりも0.35秒早く反応が起こっていることがわかったのだ。
つまりどういうことか?
あたなはコンピューターゲームをしたことがあるだろうか?
フラッシュブラザーズだったり、モンスターハンターだったり、マリオカートだったり、何でも良い。
その中のキャラクターはあなたが操作しない限り動くことはないはずだ。
あなたがボタンを操作するよりゲームの中のキャラクターが先に動くということは絶対にない。
そのような感じで、コントローラーを持っているプレイヤーが先、ゲームの中のキャラクターは後に動く。
これと似たような現象が私たちにも起きており、私たちは自分の意志で体を動かし、様々な選択をしていると思っているが、それは錯覚であって、事実としては意識できない無意識領域があなたが行動を意思決定するよりも0.35秒早く反応している。
そう、まるで誰かに操作しれているかのように。
この辺りの詳しいことは、妹尾武治さんの著書『未来は決まっており、自分の意思など存在しない。』や『僕という心理実験』に書いてある。
「うまくいかないのはあなたのせいじゃない」
この言葉に救われるという人もいれば、いやいやそんなバカな!俺は俺の意思と選択で生きているという方もいるだろう。
自分の人生が望み通り進んでいる人にとっては別にどちらでも問題ない。
もし、あなたが望んでいる人生とはかけ離れた現実を生きていると感じているのであれば、その負のループから抜け出せないと感じているのであれば、この決定論的世界感は一つの拠り所になるのではないか?
あなたの人生は、あなたの意思にやってつくられたのではなか、誰かに操られていた。
そうすると、こういう感情が湧いてこないだろうか?
「俺をコントロールしているプレイヤー、ふざけんな!」
「なんで俺の人生こんなストーリーにしてんだよ!」
おそらく辛い現実であればあるほどその想いは強くなるに違いない。
だが、そのプレイヤーは別にあなたに地獄の苦しみを味わって欲しくてそのようなことをしているのではない。
あなたのプレイヤーは、あなたというキャラクターを通して、あなたを100%活かした最高のゲームをやっている。
あなたは今、そのストーリーの一部だけを切り取って感情的になっているに過ぎない。
昨日、【10億円の宝くじ】の話をした。
手元に10億円の宝くじがあって、交換の締切日は今日。外は台風、天候最悪、車も途中でパンク、足を挫いて捻挫、這って銀行に向かうあなた。
このシーンを切り取ったとき、
・交換の締切日が今日→最悪
・台風→最悪
・車がパンク→最悪
・足を捻挫→最悪
と、捉えることもできる。
その一方で同じ状況を、まるで難しいゲームをクリアしていく勇者のように楽しむ人もいる。
どちらにしても行動に私たちの行動には意思決定がないという決定論的世界感を採用するのであれば、私たちにできるのは起きる現実をどのように解釈するのか?ということだけではないだろうか。
世の中の成功者とそうでない人の差。
それを10億円の宝くじで表現するのであれば、成功者は10億円が手に入ることも、それを自分が達成できることも、その後にどんな嬉しいことがあるかもイメージができている。
ところが、そうでない人は、そのイメージができず台風、パンク、捻挫という不幸な事実にだけフォーカスをして、最終的には銀行がすぐ目の前にまで来ているのに自分の不幸を嘆き、宝くじの存在を忘れ、立ち止まっている状況なのだ。
すべては導かれているとしたらあなたはどのようにこの人生を体験していきたいだろうか?
先日、たまたま観たアニメの勇者がこんなことを言っていた。
(漫画『葬送のフリーレン』から引用)
魔王討伐パーティの勇者ヒンメル。
彼は1000年以上世界を支配する魔王がいる世界を嘆いたりしない。
その魔王を討伐することに対して、周りの期待や使命感によって押しつぶされることもない。
自分という人生の物語を楽しむ。
おそらくすべての人にその人固有の物語が設定されている。
その決定論的世界感の物語の中で、その作者なのかプレイヤーなのかはわからないが、私たちを操作している〝何か〟の存在に対して、
悲観的に捉えて足踏みして物語を進めることを止めるのか、
今の現実が何であれその導きに応じて成長し、愉しみ、自分の可能性を信じて体験を積み重ねていくのか。
私たちに与えられた選択肢が〝体験すること〟だけなのだとしたら、どちらを選ぶのか。
僕は、流行りのアニメを観ながら、今からでも勇者を目指して生きようと思った。
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