shikouuuさんのブログ

いつでもありのままがモットー。飾らない言葉でその日の自分に一言。明日の「がんばる」のために。
Amebaでブログを始めよう!
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

手術

2024年9月16日朝の8時に病室を出発。

夫に見送られ、手術室のあるフロアで心配そうな夫と手を振って別れた。 


真っ白な天井の高い空間にたくさんの手術室が並ぶ。待機場所もパーテーションで区切られて壁に向かって椅子がたくさん並んでる。朝イチだけど思ったよりたくさん待機中の人がいた。私も椅子に座る。付き添いの病棟看護師さんに他愛もない質問して、緊張をほぐす。すぐに担当医の女医さんが来てくれて、なんだかホッとした気がした。


 まもなく呼ばれ、真っ白な廊下の真っ白なたくさんの扉のうちの1つに誘導された。手術室に入ると思ったよりたくさんのスタッフが待機してて、前日に担当してくれた新米麻酔科医がポケットに手を突っ込んで立ってたのだけ鮮明に覚えている。手術台の上に寝て、いつものようにタイ語で数字を数えた。あっという間に大勢のスタッフが私の身体にいろんなものをつけてくれて、始まった!って思った頃には意識はなかった。 


 目が覚めたときはICUのベッドの上で、夫が半ベソ?で左手を握っていた。手術は無事成功して、最小限の範囲しか切り取らなくてよかったって。そんなことよりとりあえず左半身が痛くて重くて、何がなんだかわからなくて。そのうえ気持ち悪くて。吐きそうになると肺がどうなるのかもこわくて。息できるのかもわからなくて。夫は早々に帰らされた。その後、2人の看護師さん(新人ちゃんと指導の先輩)が私の担当になってくれて、一晩中お世話してくれた。人生で一番わがままにナースコールを押した気がする。 


 消灯の22時から3時くらいは熟睡できた。でもその前後の時間はきつかった。白くて暗くて広くて、大きな空間のベッドにぽつん。痛くてこわくて気持ち悪くて。こんなに苦しいなんて思わなかった…って思った。 


 ICUのボスのような人の怖い声が聞こえてて。指導してるんだけど。靴音カツカツ聞こえるし。不快だったなぁ。けど病棟に戻る時に顔みて、丁寧な挨拶してくれて。患者にはきちんとした人なんだなーって思った。


 あと私担当の新人ちゃん。仕事がめちゃくちゃ雑で。酸素マスク外して何かしてくれた後、必ず酸素マスク放置したまま立ち去るし、ナースコールが手の届かない場所に放置するし…。先輩がそつなく丁寧に仕事するから、とっても気になる。がんばって成長してくれたらいいなぁ。


 ICUでは一度だけ嘔吐した記憶がある。力入ると左半身めちゃくちゃ痛くて、それが悲劇だったなぁ。あとは思ったより早く、うがい?させてくれた。歯磨きもさせてくれた。(自分で磨いた気がするから右手でしたのよね)朝、着替えと身体拭きしてくれた。身体を自力でほとんど動かせないけど、拭いてもらえて気持ちよかった。水飲みチェックもした気がするな。飲んでむせないか?みたいな。大丈夫だったからその後水飲んでいいって。でもなかなかむせちゃうのが落ち着かなかったなー。5日くらいかな、落ち着くまで。 


 翌朝9時過ぎには病棟に移動した。病棟のベッドが来て、移って、そのまま運ばれた。ずっと朦朧としてたけど、まだあの夜の担当してくれた看護師さんのことは覚えてる。ホントありがとうございました! 


 病棟戻ったら、確かまた着替えた気がする。で尿の管を早々に外されて。自力でトイレに行けと言われた。でもなにげに必死に7回も行ってる。すごい私(笑)。階下のレントゲンには車椅子で行った。昼からお粥で昼ご飯出た。けどお粥3口がやっとだった。夕飯はお粥とゼリーだけ。痛くて苦しくてやっとだった。 


今日で術後1ヶ月。忘れないうちにあのときの記憶を残そうと書いてみた。(左上葉肺癌切除術)



 


長男高校卒業

3年間。中3の夏の初めに長男と離れる決断をして、3月に送り出した。結局毎日おはようLINEして生存確認したし、ずっとずっと気にしてた。子離れする気なんてさらさらなかったけど、依存体質?長男は自立しないとだし、私も長男をほっとく必要があったから、離れる時間が必要だって思ったから。

帰ってきて思ったのは、やっぱり必要な時間だったってこと😂でも3年間何だった??っていうくらいお互いもとに戻っちゃったりして😂でもまた時間がたって、ちょっとずつ良い形になってきてる?なっていけそうな気がするんだ。自分でできることをあえて母にやってもらう…っていうことの意味をわかってくれればいいと思う。

私はいつだって子供たちが一番大事だし、結局大好きなんだって思うし。たまに困るな~って思うことももちろんある。もちろん自立してほしいし。できればそれぞれが自分が一番好きな人、自分を一番好きでいてくれる人に出会ってほしいと思うし。もちろん失敗したりしながら経験して欲しいし。

そして長男が行く直前に出会ったチェリまほ。そこからのTwitterからの推し活からの…タイにも出会い。(もともとドラマはめちゃくちゃ観る人だった)正直、この活動がなかったら3年間の長男のいない生活に耐えられなかったと思う。寂しさとか不安とかいっぱいあったけど、SNS上では安定して寄り添ってくれる友がいてくれて、推し活仲間がいてくれて、苦しいこと忘れられる時間が持てるってほんと救いだった。

今日無事長男は高校を卒業します。離れ離れだった時間の私のそばにずっとずっといてくれた皆様、本当にありがとうございました!感謝してもしきれないです。

そしてこれからもよろしくお願いします!

生きる力を育む推し活

生きる力

生きる力を育む教育
って何年前かの教育目標だったと思うんだけど…実際どんな教育してたんだろ?そのころ世代て今いくつだ?

生きるのに必死だった私が今はとっても楽しく生きてて、それは何かっていうと、やはり「推し」の存在。じゃあ推し、推し活ってどういうこと?って考えたら、

好きなもの(推し)好きでいる自分(推し活)

じゃあ好きなものはどうしたらみつかる?それが意外と難しくて

好きなものを否定されない
他人の好きなものを否定しない

という環境がとても大事なんじゃないかな。

好きなものを否定されて、好きなもの好きって言えなくなったり、気持ちよく推せなくなったりすることってよくあると思うし。

だから是非学校では

他の人の好きなもの、ことは否定しない

という教育をきっちりして欲しい。そうすれば好きなものに好きでいる自分を大切にして、楽しく生きていられると思う。

次の楽しみがあれば生きていられる❗️ってオタクはよく言うから。「推し」をみつけて、生きる力をみんなが身につけたらステキだなと思う。

🇹🇭Polcaさんという人たちがいて、推しさんたちへの姿勢がとてもステキで、健気でかわいくて、何よりポジティブで、とてもステキだなと思って、私はPolcaさんを推す「北極」さんになったのだけど。

みんな楽しくポジティブに推し活できたらいいなと思います。

朝からこんなことを考える私って…。暇じゃないよ‼️

今日もステキな1日を。


1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>