※この物語はノンフィクションです。

これは、2012年2月の出来事である。
当時旭川在住の高校3年生スギムラ少年は、まさに翌日、某私立大学の入試を控えていた。
試験会場は札幌。元々特急で札幌に前日入りする計画を立てており、そのためにホテルも取った。
親の車に乗って旭川駅へ向かう道中、ラジオから交通情報が流れる。
「大雪のため、札幌~旭川間の特急は現在運転を見合わせています」
そんなこともあろうかと前日入りを計画したんだし、まぁ大丈夫だろうとタカをくくっていた。

16時半頃、旭川駅に到着。
電光掲示板を見ると、11時ちょうどに旭川駅を出発する予定の特急電車が表示されている。
随分遅れているんだなぁ、とまだまだ能天気なスギムラ少年。
程無くして「17時頃に11時発予定の特急が発車する見込み」との構内アナウンスが流れた。
同じ試験を受ける友人と合流し、ひとまずその電車に乗り込む。
運転見合わせの煽りを受け、車内は大勢の人でごった返していた。
自由席・指定席ともに満席なのは覚悟をしていたが、通路にすら立ち入れない始末だったため、友人と私は電車の連結部分に立つことを余儀なくされた。
連結部分に設置されている温度計は、氷点下10℃を指している。
寒さを紛らすために、足踏みしながら英単語や古文単語の本を読むなどした。

17時を迎えるが、一向に電車が動き出す気配がない。
すると車内に「沿線の除雪作業が難航しているため、運転再開は19時頃を見込んでおります」のアナウンスが流れた。
この時点で、長期戦を覚悟した。

19時を迎え「運転再開は21時頃を見込んでおります」のアナウンス。
21時を迎え「運転再開は22時頃を見込んでおります」のアナウンス。
22時を迎え「運転再開は23時頃を見込んでおります」のアナウンス。
23時を迎え「運転再開は0時頃を見込んでおります」のアナウンス。

23時半を過ぎると、いい加減痺れを切らした人達が指定席をキャンセルし始め、何とか指定席車両の通路のエリアに移動することができた。
都合7時間、氷点下10℃の世界を耐え忍んだことになる。
参考書片手にブレザーを着て立っている男2人に対し「まさか明日受験じゃないよね?」と禁断の質問が投げ掛けられる。
「実はそうなんです…」と友人が答えると、周囲から悲鳴にも似た同情の声が寄せられた。
腰の曲がったおばあちゃんが席を譲ろうと立ち上がったので、さすがにそれは丁重にお断りした。

指定席にもちらほらと空きが出てきた。
自由席券しか持っておらず、指定席に座るのを躊躇っていた私に対し「いいから座りなさい。自分の人生が一番大事なんだから。それにこんな状況だし、誰も怒らないよ」とご婦人が声を掛けてくれたので、その言葉に甘えることにした。

そして日付を跨ぎ、ようやく運転再開かと思われたその時、非情のアナウンスが流れる。

「岩見沢駅付近の除雪が追い付いておらず、運転再開は0時半過ぎを予定しております」

奈落の底に突き落とされた気分だった。
大真面目に受験会場にたどり着けないのではないか、という恐怖心に駆られた。
一体私が何をしたって言うんだよ。
確かに、小さい頃から不運なヤツと言われてきたけどさぁ…

結局、運転が再開したのは1時頃であった。
14時間遅れの電車が、ようやく旭川駅を出発したのだ。
出発の瞬間、車内は拍手喝采だった。
徐行運転の影響で、札幌駅に着いたのが3時半。
最終的にホテルに到着したのが4時過ぎであった。
ホテルの部屋に入った途端、意識を失ったかのようにベッドに倒れ込んでしまった。

どう考えても寝坊まっしぐらなのだが、何故か6時半過ぎに目が覚めた。
前日(当日?)の疲労は色濃く残り、ホテルの朝食レストランでも意識が朦朧としていた。
部屋に戻ってベッドに入ったら二度と起き上がれない自信だけはあったので、勢いのまま身支度をし、そのまま試験会場に向かう。
会場に着いたら試験開始直前まで最後の追い込みをするつもりだったのだが、その体力は残っておらず、試験開始数分前に監督員に叩き起こされるまで深い眠りについてしまった。

この2日間の状況を鑑みれば、受験できているだけで僥倖。
これ以上ないバッドコンディションな訳で、受からなくても誰も責めないだろうし、万が一合格したらメッチャ格好良くない?
そんな開き直りと下心を交差させているうちに、試験は終わってしまった。

結果から言うと、なんと合格。
そして2ヶ月後にはその大学に通い、その大学に入らなければ妻に出会うこともないのだから、人生は分からないものだ。

あの恐怖体験から時間が経過し、もう干支が一周してしまった。
その場に居合わせた多くの方々の配慮を、今でも鮮明に覚えている。
直接感謝を伝える術がなかなか見つからないのだが、この投稿を通して、何とか元気でやっていることが伝わればと祈念し、結びとしたい。