先日、日本列島に強い寒気が流れ込み、全国各地が大雪に見舞われた。
私が住む上田市の市街地も雪がこんもりと積もり、家の近くのスタバが時短営業をしていたり、全長野県民の味方であるスーパーマーケット「ツルヤ」が全店休業になるなど、身近なところでも影響が出ている。
全国ニュースでは首都圏の鉄道の運行状況が報じられ、お決まりであるかのように雪に足を取られて転倒する人の姿が映し出される。
そんな映像がメディアで流れると必ず、次のような趣旨のセリフを声高に言う輩が出てくる。


「たかが数センチの雪で大雪かよ」


いわゆる「雪国マウント」というヤツだ。
時には雪への抵抗力がない人を嘲笑ったり、またある時には誰も求めてないのに雪道の歩き方を指南したりする。

基本ネタでやっているのだろうが、時折ネタとも本気とも取れる温度感で迫ってくる輩も垣間見える。奴等に対して、私はいつも「本当にみっともないから止めてくれ。せめて思うだけにしておけ」という感想を抱きつつ静観している。

どうして人は「雪国マウント」を取ってしまうのか。
吉幾三の『雪國』を聴きながら、その真相を追いかけて、追いかけて、追いかけて…


人がマウントを取りたがる時、往々にして自ら(あるいはその所属しているグループ)が対象物と比較して、潜在的(時には顕在的)に劣っているという意識が根本にあり、その優劣を覆したいという心理状態が働いている。
「雪国マウント」が基本的に「優=雪国」、「劣=東京(都会)」という構図で描かれることから逆算すると、普段は雪国の人が都会の人に対して何かしら劣等感を抱いており、雪への経験値だけを武器にして優劣を逆転させようと企んでいる(あるいは逆転したと思い込んでいる)のだ。
なんと浅ましいことか。

ちなみに私は思想が強めなので、「雪国マウントを取る輩は大体引きこもり」説を提唱している。
せいぜい一年に一度の大雪のために関係各所が万全の除雪体制を整えておく方がコスパ悪いだろうし、せいぜい1日2日のためにスノトレなんか買わないし、雪道を歩く練習なんてする訳がないのだ。
たまたま雪の多い地域で過ごしているだけであって、マウントを取っているお前さんは何にも偉くないんだよ、と思っている。
「東京はほとんど雪が降らないから…」という人もいるが、実は奥多摩の方とか結構雪降るぜ。

そんなこんなでまとめると、「雪国マウント」を取ってしまう心理的要因は都会への劣等感・コンプレックスであり、その劣等感を表出することは知識・見聞・配慮に欠ける行為だと結論付けられる。
人のことを嘲笑った時、その姿を見た別の人に嘲笑われてしまうのだよ…
まるでイソップ寓話みたいだ。

随分とけなし倒してしまったが、まぁそういう日もあるよね。
この文章を読んでいる皆さまが「雪国マウント」を取るような愚者ではないことを信じて、冗長な戯言に終止符を打ちたい。