このブログを開設し、1ヶ月が経過した。

初回から読み続けてくれている妻より、先日このように言われた。

 

 

「書いている文章は面白いけど、学びにはならないよね」

 

 

「痛烈」や「辛辣」の化身とでも言うべき、このセリフ。

「学びにならない」というフレーズが「言葉にできない」のメロディーと合わさり、頭から離れない。

確かにその指摘はぐうの音も出ない正論であり、何なら私も激しく同意する。

むしろ私の文章から学びを得ている人がいるとすれば、それはただの変態である。

 

だがしかし「学びになる文章」とは、一体どういうものだろうか。

「学び」について論じると話が壮大になり過ぎるので、一旦それっぽく「摂取することで自己にとって、そして共有することで第三者にとって実益となるような知識・経験」と定義しておこう。

 

果たして、私は学びになる文章を書くことができるのか。

そう思い、自己分析を始めてみた。

株・投資・自己啓発といった類いは数多あるから、今から猛勉強したとて差別化を図りづらい。

フェルマーの最終定理を解説できるほどの頭脳も持ち合わせていない。

そもそも、役に立つ知識や経験を展開していこう、という志がほとんど無い。

あれっ、もしかして…

 

考えれば考える程、私には学びになる文章を書く素養が無いことに気付かされた。悲しいね。

 

足りない頭を振り絞った結果、私に出来そうなことは「継続は力なり」という言葉を盲信し、最低でも週1回のペースを維持しながら投稿を続けることくらいなのだろう。

 

良く言えば呼吸の如く、悪く言えば排泄物の如く「シコウ」を垂れ流し続けることが、私の果たすべき責務なのかもしれない。