『三十路』

この言葉から放たれる加齢臭に恐れおののいていた20代前半も、今は昔。
今年ついに『三十路』の仲間入りを果たしてしまった。
当初は「仲間入りしてなるものか」という気概を持っていたが、28歳あたりでようやくその気概は空虚であり、加齢が不可抗力であることを悟った。

そう言えば、中学生の頃に思い描いていた30歳の自分は、もう少し成熟していたはずだ。
『論語・為政』では「三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る」とあるが、実際はそうもいかない。三十になって全然自立できている気がしないし、四十になってもきっと迷いっぱなしだし、五十を過ぎても天命など知る由もないのだろう。

現実として在るのは、電話番号を尋ねられたら「0120…」と答え、視力を尋ねられたら「3.14…」と答えるしょうもない一人の男に過ぎない。
そして何よりもしょうもないのは、大真面目な顔をしてパソコンに向かい、幾度となく校正しながらここまでの文章を連ねてきたという事実であろう。

それでも何とか生きていられるのだから、案外世界は優しくできているのかもしれない。


おっと、いけない。明日は仕事だ。
皆さま、おやすみなさい。