しこくあるく

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四国霊場歩き遍路の記録を中心に、寺社巡りや城郭探訪など旅の日記と徒然の感想を書き連ねています。

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(つづき)
開龍寺様参拝の後は白石島内を巡った。山門脇のトイレを借りようと参道を下ると、先ほどの掃除をしていた女性も家に戻る途中だった。暫くお話しさせて頂いた。
過疎の島で高齢化が進んでいる。小学生はいないので休校中、中学校もこの春1人卒業すると生徒がいなくなるので休校となる。なのに学校へ向かう道を新しく造っている。市は何を考えているのか?
と、不満をぶちまけられた。


女性と別れて用を足した後、国の天然記念物に指定されている鎧岩へと向かった。

開龍寺本堂と高山

山のほぼピーク上にある。

神明大権現の境内

神明大権現

半花崗岩の岩肌に格子状の筋があり鎧のように見えるのでこの名が付いた。

国指定天然記念物の鎧岩

鎧岩の上から

なお、白石島には随所に花崗岩がむき出しになっている。開龍寺様の奥の院もその一つだ。このように白っぽい花崗岩が随所に見られることから白石島と名付けられたそうだ。ここからの見晴らしはとても良い。風はまだ多少吹いているが天気は非常に良くなった。
鎧岩から島の最高峰である立石山(169m)へ向かった。

立石山へ

鎧岩から下って稜線伝いにアップダウンを行く。風化した花崗岩は滑りやすいので転倒しないよう気をつけながら歩いた。どこがピークか分かりにくいのだが、いつの間にか立石山に着いたようだ。

立石山山頂

ソロの女性と暫く話した。女性も勤務先からは新型コロナ感染防止のため県外外出禁止を厳命されており、県内でも出来るだけ遠くへ行きたいとここにやって来たそうだ。皆さん苦労しつつ楽しんでいる。
立石山から島の南に下り、そこから平地を北上して集落の中を抜けて港へ戻った。


島の随所で雛飾りのイベントがあった

11時55分の船に乗り真鍋島を目指した。

白石島から真鍋島へ

白石島港

定期船がやって来た

白石島を後にする頃にはすっかり風は止んで最高の天気になった。

真鍋島へ向かう

船内で昼食を摂り、12時20分に真鍋島岩坪港へ着いた。


真鍋島岩坪港桟橋

 

 

 

岩坪集落
真鍋島に上陸し、先ずは島の最高峰、城山(127m)を目指した。
城山へ
地元の方が作った花畑
頂上からは見晴らしがとても良い。
城山頂上より
真鍋島には戦国時代、真鍋水軍が本拠を構えており、この山は見張り台となっていたそうだ。この島は全国の真鍋さん発祥のしまなのだそうだ。

城山から西の稜線上にある真鍋城跡へと向かった。本丸のは僅かだが石垣がある。

真鍋城跡

真鍋水軍の拠点である。こちらも城山と言うが地元では「じゃーま」と呼ぶそうだ。

帰りの船まで時間がずいぶんあるので城跡から西のピークである阿弥陀山(山の神)へと向かった。途中、菊畑があった。

菊畑

畑に水を供給するため

雨水を貯める水槽

昔の名残だろう。かつて昭和の時代、この島は電照菊や除虫菊の栽培が盛んだった。

本浦の家並み

島宿三虎と四国方面

この島にも島四国があり随所に石仏の札所がある。

島四国

それを辿りながら山の神(阿弥陀山)へと至った。

山の神

山の神にある三角点

この島の中心である本浦へと下り、この島の菩提寺である圓福寺様を参拝した。

圓福寺

高野山真言宗のお寺でご本尊は地蔵菩薩様だ。ご住職は香川県の十輪院様との兼務で普段はこちらには居られない。この日もご不在のようだった。
お寺から白石中学校・小学校へ向かった。

真鍋中学校の校舎

真鍋中学校の校舎と本浦集落

真鍋中学校と小学校

中学校の校舎は昭和24年築の木造で映画・瀬戸内少年野球団のロケに使われた。しかし、2年前からは老朽化のために中学生は小学校の校舎を間借りして授業を行っているそうだ。なお、この中学校も新学期に2人が3年生となるため来年春に卒業すると生徒が居なくなり休校となる予定だ。
まだ船まで1時間近くある。真鍋郵便局の近くには真鍋邸があり、庭にはホルトノキという大きな木がある。

真鍋邸とホルトノキ

真鍋邸は代々この島の有力者だった人の家で明治時代に建てられた母屋は国の登録有形文化財だ。
一旦港に出てみた。人懐っこいネコたちが沢山いる。

マニャべ島のネコたち

暫しネコたちと戯れ、4時35分、帰りの船に乗った。

本浦港桟橋

神島外浦港に入港

神島外浦桟橋に到着

5時19分に神島外浦港に着いた。


おまけ

帰りに見た笠岡のモンサンミシェルと落陽
 

無事の満願に感謝。
南無大師遍照金剛