イチナナサンイチロク-母が骨髄異形成症候群になった日- -2ページ目

イチナナサンイチロク-母が骨髄異形成症候群になった日-

2017年3月16日、母が60歳で骨髄異形成症候群と診断された日をブログタイトルにしました。発症してから日が浅いので、治療はこれからですが、母が完治に至るまでの経緯を記録として残したいと強く願い、書こうと思いました。

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小さな卓上カレンダーをテレビ台の上に置いていたが、
文字が小さく横になりながら見ることが出来ないので
会社にあった大きめのカレンダーをパクり←
母の病室のロッカーへ貼り付けた。


母『・・・・・・(ジーー)』


ホワイトボードに何月何日何曜日、そして天候を大きめに書き、
その下にカレンダーを貼り付け、
母の事ふくめ家族の予定を書き込むことにした。


8月5日、6日は母のもとへお客さんがやってくる日。
土曜日は母の同級生、日曜日は私の義父母と面会。


カレンダーを見ながら、
その日が来るまで嬉しそうにカウントをしていた。


私『この日は体調崩したらあかんで!』
母『・・・・(コクコクとうなずく)』



週末、台風5号の進み具合が心配だったが、
見事に晴天に恵まれた!


母の同級生2名が地元の駅に到着したので、
車を走らせ、迎えに行った。


久しぶりの逢瀬に、同級生たちはやや興奮気味?( *´艸`)
車中で簡単に今の症状を伝えて、心の準備をしてもらい・・・
それから母と対面してもらった。


母も同級生たちも、感動の涙を流し
手をしっかりと握りしめながら、
学生時代のころの話や同窓会の話、
そのほか楽しかった思い出話をたくさん話してくれた。


およそ2時間ほど、楽しい時間を過ごし・・・
2人の同級生たちは、それぞれの家に帰って行った。
再会の約束を忘れずに(*^^*)!







次の日の日曜日。


この日も、お昼頃病室へ向かうと
スヤスヤと寝ていたので起こした。


夜は、眠りが浅かった様子・・・
しんどさはなく、ただ眠いとの事だったので、
予定通り、私の義父母と面会をしてもらった。


母は、義母に握手を求め
『ありがとう、ありがとう』を繰り返し
目をそらさず、義母の言葉をじっと聞いていた。


義父母両名は、母よりも年上夫婦だ。
2人とも、今のところ健康状態にある。
やはり、どうしても義父母の事を羨ましく感じてしまう。


母のほうが年が若いのに・・・とか。
母の何がいけなかったんだろう・・・とか。
呼吸器さえなければ・・・・とか。



もちろん、義父母にはこれからもずっと健康で居てもらいたい。
それは、私の父と母にも言えることであって・・・
知り合う人すべてに、願う事でもあって・・・・


もちろん、私自身にも言えることで。


母は言葉を発せない分、
きっと色んな感情が、常に渦巻いているんだと思う。


それをなるべく、緩和して
軽減させてあげて
理解してあげて
いつか退院できたときに、
思い出話として、過去のことを笑い飛ばしたい。


この日の夜、母は自分のケータイを操作し
メールをひたすら読んでいた。
無菌病棟引っ越しして間もないころ、
重くて持つことさえできなかった、自分のガラケー。
あの頃を振り返れば、本当に回復してきたなぁって実感する。
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どうか、このまま・・・
『頑張れない日』が、永遠に来ませんように。




page19へつづく。




 

 

看護師さんの許可を貰えたので、次は美容師さんに電話♪


美容師『カットのみなら、寝たままの体勢で可能ですよ^^』


す、すげーーーーーー・・・!!
どうやってカットするんだ(笑)
ベッドの頭部分がガクンて変形しないのに。
看護師さんに何らかの協力を仰ぐんだろうけど・・・
見当がつかない!


予約を7月27日(木)の昼2時にとり、
当日、看護師さんに協力要請をした。







カット日当日。
この日は、私が同伴することに(*'ω'*)♪
仕事を早めに切り上げ、1時半過ぎに病室へ入室。


母『Zzz・・・・』
私『おかーさん、起きて!』
母『Zzz・・・』
私『今から寝てたら、夜寝られへんで!!』
母『・・・・(目をあけた)』


時計を見て、また寝ようとする母(笑)


私『ちょっと、おかーさん!!・・・しんどいん??』
母『・・・・ねむい・・・・ダケ・・・・Zzz』
私『寝たらあかーーーん!!!www』


うっすら目を開けて、睡魔と格闘中の母・・・
そんなこんなで看護師さん&美容師さん到着。


美容師『おまたせしましたー』
母『・・・美人にしてください(ニンマリ)』


そういって美容師さんへ向けてピースを連発する母。
本当にうれしそうだ(*'ω'*)♪


※ここからは画像でお楽しみください※



まずは、ケープをセッティング。
このときは、洗髪はせずにすぐカットに入ってました。
コームで髪を整えながらチョキチョキ。
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反対側もチョキチョキ♪

患者さんのカットにとても手慣れているようで(当たり前か笑)、
鮮やかにカットしてゆきます。

看護師さんに頭を少し持ち上げてもらいながら、
後ろの髪の毛もちゃんとカット!
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カットはおよそ30分で完了。
髪を洗ってもらい、ドライヤーで乾かしてもらいました。
このときの母の表情は、ほんっとに気持ちよさそう!!
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きれいさっぱりしたところで、
看護師さんにタブレットで写真撮影をお願いしました(笑)
これもめっちゃ笑顔!
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耳のあたりが特にスッキリしたので、
とても満足げな表情で、散髪に協力してもらった
看護師さんと美容師さんに、母は心からありがとうと伝えてた。


リハビリの先生がそのあとにやってきたけど、
髪を洗ってもらって少し疲れ、ウトウトしはじめていたので・・・
眠いからと言ってリハビリを断固拒否(笑)

が、先生に無理やりたたき起こされ・・・・
ハードスケジュールをしぶしぶこなし、
この日もリハビリ頑張りました('◇')ゞ!



page18へつづく。



 

 

ある日の会話。


母『・・・・・、・・・・・』
私『何々?どうしたん?』



筆談にもかなり慣れたようで、
自分でバインダーとペンを持ち、軽やかにペンを滑らせた。


『まごのてとうちわかってきて』


この間、背中がどうしてもかゆくて
ナースコールで看護師さんを呼んだのだけど、
クチで痒いポイントをうまく伝えられず、
結局我慢したのだという。
それで、孫の手を使って背中を掻きたいらしい。


私『いいけど、どうやって掻くん?(´・ω・`)』
母『・・・・こうやって・・・・』



体を少しねじろうとするも、まだまだ起き上がる力が足りない。
奮闘するも、呼吸数が上昇、心拍数が徐々に上がってきた。


母『・・・・・・(息切れ中)』
私『がんばれー!ガンバレー!』



平常値を超えてしまったので呼吸器のアラームが鳴り、
ふたりで思わず苦笑い(笑)


母『・・・・^^;』
私『・・・・^^;』



アラームはすぐに鳴りやんだ。


うちわは、自分で体温調整が難しいので
暑いときに煽ぎたいらしい。


さっそく、大手100円ショップへ買い出しに!
さすが○○ソー、なんでも置いてるわ(*'ω'*)♪
なるべく軽いものを選び、レジへ持って行った。


母に見せると、ベッドに置いてと言わんばかりに手をパタパタ♪
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さっそく、伸縮自在な孫の手を使い、顔を掻いている(*ノωノ)
もう片方の手で、ウチワをパタパタ♪
うちわが呼吸器のチューブに当たっているけど、、、
母は特に気にしてない様子だった(笑)


私『・・・風、くる??涼しい??』
母『・・・あんまり・・・笑』
私『じゃ、煽いであげるよ。貸して』



うちわでゆるーく煽いであげると、
久しぶりの風を感じ、目を細める母。
孫の手でなおも顔を掻いている。


私『ちょ・・・おかーさん、そこ鼻やから孫の手入らんで(笑)』
母『・・・・(ニンマリ笑う)』
私『鼻に管入ってるから、取り扱い注意ね!』
母『・・・管入ってるん?』
私『うんうん、入ってるよ。気づかなかった?なんか、イタソーやけど^^;』
母『痛くないよ。ちょっと、鏡みせて』




鏡をカバンから取り出し、持たせてあげた。


母『・・・・!!』


目を見開き、顔の角度を変え・・・
自分の顔をまじまじと見ていた。


母『・・・・・』
私『・・・・どう?久々に自分の顔を見た感想は?』


母『・・・・髪伸びたなぁって笑』
私『・・・・ソコかい!笑』



母は、手に持った孫の手で
耳にかかった髪の毛をなんとかしようとしていた。


私『・・・ねぇ、髪の毛カットしてもらえないか聞いてみよっか?』
母『・・・たぶん無理よ。』
私『難しいかわからんけど、ダメもとで聞いてみようよ♪』
母『うん、そうやな。』



看護師さんが入ってきたときに、相談してみた。


看護師『美容師さんが出張で来てもらえるなら、可能ですよ♪』
私『支えありなら最長で30分くらい座り続けられるんですけど、いけそうですかね?』
看護師『カットのみなら、そのくらいの時間配分でできると思います(*'ω'*)ただ、看護師とご家族さん同伴が必須条件となりますが。平日の朝9時から3時までの間なら、看護スタッフが最も多い時間帯なので、できればその時間帯に予約をとってもらえると助かります(>_<)』
私『わかりました。美容師さんへ一度相談してみますね(*'ω'*)』



会話を聞いていた母が、
両手を握りしめガッツポーズをしていたのを私は見逃さなかった(笑)



page17へつづく。





 

 

良質な睡眠をとるための薬を投与されてから、
母はいつもの調子に戻ったようだ。


笑顔が増え、ゆっくり話してくれるようになった。
でも・・・手首に巻かれた「それ」は、
母の手の動きの自由を奪っていた。


せん妄症の症状が出て、自分で呼吸器を外した事故があってからは
両手首に「抑制」を巻かれるようになったのである。
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つまり、重しをつけて動きを制限させ、
危険な事故を防ぐための手段だった。


家族が面会中の時は、ナースコールを鳴らし、外してもらえる。
しかし、面会が終わるとまたナースコールで呼び出し、
「抑制」を手首に巻かれるのだ。


優先して診てもらえる病室に居るとは言え・・・・
看護師さんの勤務人数が少ないこともあり、
ましてや夜勤になると更に人数が減るので
呼び出しをしても待たされることが多いのだという。


この状況の中、命の綱とも言える呼吸器を自ら外す行為は、
看護師さんの負担をさらに増やすことになる。


・・・抑制を付けることは、しょうがないこと。
抑制が嫌ならば、家族が寝泊まりすれば問題は解決する。


自営業なので、ある程度時間の自由はきくものの・・・
仕事を頼める代わりの人間が居ない。


そして夜、寝泊まりできるほどの体力も精神的余裕もない・・・


私は、父に提案した。
面会時間は7時までだけど、なるべく消灯の9時まで居るようにして、
休みの日は交代で母のそばに居てあげよう、と。
そうすれば、夜寝るときだけ抑制が巻かれてしまうけど
たとえ数時間でも抑制無しで居られるから、母の負担の事を想えばこそ・・・
とにかく、何とかしてあげたかった。
体は回復してきても、抑制を巻かれることで
さらにストレス負荷を与えているような気がしてならないからだ。


父と弟、私の3人で、せん妄症が改善されるまで。。。
しばらく、交代で面会時間を長く調整するようにした。





母は、手首を自分の衣服へこすりつけるようになった。
巻かれた部分が痒いのだという。
代わりに掻いてあげると、気持ちよさそうに顔がほころんだ(*'ω'*)


抑制を巻かれる理由については、本人も理解はしているようだった。
でも、なんとなく諦めたような、辛そうな表情。
いたたまれず、看護師さんへ聞いてみることにした。


私『せん妄症の症状はその後、どうでしょうか?』
看護師『以前に比べたら、だいぶマシだと思います^^』
私『そうですか。なら、良かったです。・・・あの、抑制なんですけど・・・』
看護師『ああ、本人も辛そうですよね。事故を防ぐためとはいえ、私も正直辛くて・・・』
私『症状が落ち着いてきているのなら、離脱するのは難しいですか??』
看護師『うんうん、そうですね!主治医に確認して、なるべく早く離脱できるよう相談しますね^^』
私『お願いします!ストレス負荷も気になりますので(;´Д`)』


抑制を巻かれてから数日経過した。
抑制中は、主治医が問診する前に必ず、
本人の名前と年齢、今いる場所、入院している目的、今の時間を聞いていた。


ほどなくして、抑制は無事に離脱することが出来た(∩´∀`)∩!



page16へつづく。





 

 

病室にもどると、弟が母に語り掛けていた。
母は、うつろな表情で一点をみつめ、何も反応が無い。


私『ごめん、お待たせ。』
弟『・・・おかーさん・・・僕の事、覚えてないみたい。』
私『え』
弟『僕がしきりに話掛けても、首を傾げて「誰?」みたいな感じなんよ』
私『・・・そんなはずないと思う』


母は私を目でとらえると、また何か話し始めた。
普段なら言いたいことをしっかりと最後まで聞いてあげるのだけど・・・
私は弟の横に立ち、聞いてみた。


私『ねぇ、おかーさん。この子の名前は?』
母『・・・・・・・?』
私『・・・この子、誰だかわかる?』
母『・・・・・・・』
私『・・・・・・・』
弟『・・・・・・・』


一生懸命考えてる感じだったが、ついにわからないと答えた。


私『私の弟やで。』
母『・・・・!』


思い出したようで、母に笑みが広がった。
せん妄症のせいとは言え、
自分の事を忘れられている事実を突きつけられ、
弟のショックは大きかった(´・ω・`)


これまでに、父と弟は、面会へ毎日来るものの
長居すると母の負担になると思い早々に退室していた。


私は2人に比べ比較的長い時間居るので
(休みの日などは特に)私の顔はよく覚えているようだった。


しばらくすると、看護師さんがお薬を持って入室してきた。


看護師『あ、面会中ですね。後ほどきます^^』
私『・・・ああ、例のお薬ですか?』
看護師『はい、そうです。昨日眠れていないみたいでしたので・・・』
私『ありがとうございます。私たちはそろそろ退室しますので、お薬の投与お願いします』
看護師『お薬を入れるとすぐ眠りに落ちてしまいますが、大丈夫ですか・・・?』
私『はい、大丈夫です。面会時間過ぎていますし、他の方にも迷惑になりますので・・・』
看護師『わかりました^^お気をつけてお帰り下さいね』


母は私の手を握って離さなかったが、
私はなるべく穏やかに、母を安心させるように言葉を紡いだ。


私『おかーさん、時計見て?今、夜の10時すぎ。みんなそろそろ休む時間なので、静かにしないといけないから、私らもそろそろ病院出ないといけないんよ。おかーさんに早く良くなってほしいから、しっかり睡眠とらんと元気にならへんで。看護師さんが、おかーさんのためにゆっくり眠れるようにお薬用意してくれたよ。明日になったら、元気に治療頑張れるよ。だから、そろそろおやすみ(*'ω'*)』


母は、手のチカラを緩め。。。
小さくうなずき、手を振ってくれた。


その夜、母は覚めることなく・・・・
静かに、静かに深い眠りについたようだった。


次の日の面会時に、
ゆうべは穏やかな表情で寝ていたと看護師さんが教えてくれた。



page15へつづく。








 

 

私『おかーさん、首には大事な機械がついてるの。これ、絶対外したらだめなやつ!』


つい、キツイ口調になってしまった。
母はみるみる表情が変わり、私に対して怒るのかと思いきや・・・
意外な事をクチにした。



母『・・・・ひ・・・・・・ひ・・・・・!!』


ドアのほうがとても気になるのか、
表情はみるみる強張っていき、
瞬きを忘れてしまったのかと思うほど目を見開き、
必死な表情で私に訴えかける。


私『ひ?ひって・・・・燃える火のこと?』
母『燃える火!そこ、燃えてる!!』
私『ドアのほうが燃えてるの?』
母『うん、うん・・・燃えてる!』
私『火、消してこようか?』
母『・・・・消さなくていい・・・・』
私『消さなくていいの?怖くない?』
母『・・・・怖い・・・・けど、大丈夫。しっきぃがいるから・・・・』


そう言って、私の手をぎゅっと握る。


私『うん、わかった。傍にいるよ』
母『・・・・・・・・。』


時計をみると、いつのまにか面会時間はとっくに過ぎていて、
8時前だった。旦那に連絡しなければ。。。と思って
ケータイを取り出し、


私『ねぇ、おかーさん。旦那に電話してきていい?私の帰りが遅いから心配してると思うし。すぐ戻るから』
母『だめ!ここに居て!旦那って誰!?』
私『え・・・・旦那って、私の旦那さんやで?』
母『しっきぃは結婚してないよ!電話しなくていいから、ここに居て!!』
私『んじゃ、ここで電話していい?』
母『・・・・・いいよ。』


私は簡潔に現状を話し、旦那に今日は帰りが遅いことを話した。
旦那に適当にご飯を食べてもらい、先に休んでもらうよう伝えた。
私も、夕ご飯はまだだった。
手をぎゅっと握って離さない母は、私の電話の様子を
不安な様子でじーーーっと見ていた。


次に、父へ電話を入れた。
長いコールの後、弟が出た。


私『もしもし?おとーさんは?』
弟『これから風呂はいるとこ。どうしたん?』
私『実はまだ病院にいるんやけど・・・おかーさんが寂しがって手を離さなくて(笑)ご飯食べてないので、急に言うて悪いんやけど、どちらか交代に来てくれんかな??詳しいことは病院で話すよ。おかーさんは大丈夫だから。』
弟『わかった。風呂から出たら声かけたあと、僕が交代に行くよ』
私『うん、ごめんね。』


電話を切った後、弟が来てくれることを伝えた。


母『え、なんで??』
私『ご飯食べてなくてさ。お腹ペコペコなんよ(笑)今すぐ食べて来ていいん??』
母『あかん』
私『そやろ?(笑)んで、弟呼んでここにご飯もってきてもらうねん(*'ω'*)』
母『・・・・・・・・』
私『そういえば、火は消えた?ドアのほうの』
母『消えた。』
私『そっか、良かったね^^』
母『・・・・・・・・・・』


奄美の姉さんの曲をかけてあげた。
面会時間は過ぎているので、音量を小さくして。


私『聴こえる?みっちゃん(一番上の姉)の歌声やで』
母『・・・・・・・・(首を横にふった)』
私『そっか。小さすぎて聴こえんのやね。また明るい時間にかけるね』


すると、主治医の先生が入ってきた。
私が居ることに驚いていた。
私は簡単に、これまでの経緯を説明をした。


主治医『夜は特に※せん妄症の症状が酷くてですね。せん妄症を抑える薬もあるにはあるんですが、体の事を考えるとあまり薬は使いたくないんです。ですが、昨日眠れていないようでしたし、自分で呼吸器を外したという事故の報告も受けています。しっきぃさんも心配で帰れないでしょうし、今夜はよく眠れるようにお薬を使いますね。』


※せん妄症・・・意識混濁に加えて奇妙で脅迫的な思考や幻覚錯覚が見られるような状態。
 

※症状・・・「入院した途端、急にボケて(痴呆のように見える)しまって、自分がどこにいるのか、あるいは今日が何月何日かさえもわからなくなってしまった。」というエピソードが極めて典型的である。
通常はこういった障害は可逆的で退院する頃にはなくなっているので、安心してよい所見である。


また、高熱とともにせん妄を体験する場合があり、とくに子供に多い[2]大半の患者はせん妄を覚えており、苦痛な経験だったとの調査報告がある。せん妄は意識障害だから覚えていない、というのは全くの誤解である[3]

こういった症状をおこすせん妄という病態の背景には意識障害、幻視を中心とした幻覚、精神運動興奮があると考えられている。※ウィキペディアより抜粋※


母はしきりに文句を言っているようだった。
私はちゃんと寝ている、おかしくない、薬は嫌だと訴えるかのように。


私『おかーさん、何にも心配することないよ』
母『・・・・・・・』
私『先生はおかーさんの体の事よく知ってるから、辛いの取り除いてくれるって』
母『・・・・・・』
私『今夜はゆっくり眠れるよ。起きたらいつも通り、気分爽快になるよ』
母『・・・・・・・』


声が出ず、言いたいことを伝えられずもどかしいのか、情けなく感じたのか、
それとも嬉しいのか・・・、本心は定かではないが、母の目に涙がにじみでた。
私は、子供の頃母に頭を撫でてもらったように、
同じように前髪をかき分けながら優しくなでた。


私『おかーさん、泣くと呼吸器と喧嘩して息苦しくなるよ』
母『・・・・・・・っ・・・・・・っ』
私『昔、私が喘息で夜眠れないとき、こーやって頭撫でてくれたよね』
母『・・・・・・(ニコっと笑った)』
私『そうそう、そうやって笑ってると、良いことがあるよ。頑張ろうね。』


すると、弟がやってきた。


弟『姉ちゃん、お待たせ』
私『来てくれてありがとう。ご飯買ってくるまでの間、おかーさんの手、握っててくれない?』
弟『うん、わかった』
私『おかーさん、時々いろいろ言うけど・・・・うんうんって聞いてあげてくれる?』
弟『わかった』


弟が手を握ると、パッと嫌がって離した。


母『・・・・・!・・・・・!?・・・・・っ』
弟『・・・・かーさん・・・・・』


私に何か訴えていたが、うまく読み取れず・・・・
弟の手を握りたくないのなら、そのままでも良いと弟に伝え、
なるべく早く戻るからと言い、病院の売店へ買い出しに出た。


買い出しを終え、エレベーターホールにあるベンチに座り、少し一息ついた。
母の事を考えると、どうしても涙を堪えきれなかった。




page14へつづく。









 

 

※過去記事です※

 

7月6日(木)の面会。
いつも通り仕事を終えた私は、
母の病室へ足早に向かった。


母は私の顔をみるなり、とてもホっとした表情を見せた。
・・・・が。
いつもと、何か様子がおかしい。
眉間にしわを寄せ、両手の動きに落ち着きが無く、
興奮した状態、鬼気迫る表情で私に何かを訴えていた。


人工呼吸器をつけているので、声は出ていない。


母『・・・・!・・・・!?・・・・・っ・・・・・・』
私『どうしたん、おかーさん?』


首を激しく横に振り、
泣きそうな表情や、とても困ったような表情で、
私に必死に何かを訴えてきた。


いつもならゆっくり唇を動かして、
こちらにわかりやすく単語で話してくれるのに
このときは、やたら早口で話していたため理解するのに難しく、
とにかく母の焦燥感が尋常じゃなかった。


汗をびっしょりかいている。


呼吸数は普段より早く、心拍数も高い。
私は数値を気にしながら、とにかく母をなだめることにした。


私『おかーさん、ちょっと心拍数高いよ。少し落ち着こう?』


母はコクコクと頷き、ふーっとため息をついた。
私は汗を拭いてあげた。


私『汗すごいね。暑い??』
母『暑い。タオルケットとって』
私『ん、わかった。寒くなったら言ってね。』
母『あのね、あのね・・・、かばん、見せて』
私『かばん?おかーさんのカバンね。・・・・はい!カバンどうするの?』
母『買い物に行く』
私『え、買い物??』


カバンの中身を一生懸命見ようとする母だったが、
人工呼吸器が妨げとなり、自分で体を起こすチカラがまだないので
また眉間にしわが寄り始め、私にイライラしながらこう言った。


母『カバンの中身全部見せて!!』


私は母に言われた通り、ひとつひとつ取り出し
説明をしながら、母の体の周りに母の私物を置き始めた。


私『・・・・はい、これで全部よ?』


カバンを広げて見せて、すべて出し終えたことを伝えた。
すると・・・・母は途端に暴れだした。



母『財布!!財布が無い!!!取られた!!!!』
私『いつも持ってた長い財布やんね?あれはおかーさんが集中治療室に入ったとき、病室の私物はすべて撤収したから、ちゃんと自宅に置いてあるよ。おとーさんが持ってるから、今ここにはないよ(笑)』
母『そんなはずないよ!?・・・お金10万はいってるし、免許証はいってるし、キャッシュカードとか・・・・』
私『うんうん。とても大事なものがはいってたから、病室に置きっぱなしにはできないので、ちゃっと自宅に置いてるよ。お財布探してたんやね?』
母『・・・・・そうなんか・・・・・通帳、見せて。』
私『通帳?明日でもいい??』
母『通帳記入して、明日必ず持ってきて!ドロボウがいるかもしれんから!』
私『ど、ドロボウ??家に??』
母『うんうん。鍵かけてないから、ドロボウが入るから!』
私『・・・・ん、わかった。明日、ちゃんと持ってくるよ^^』
母『・・・・・・・・』


母は、お金に対してこんなに不安になるような性格ではない。
そもそも、眉間にしわを寄せて怒鳴りたてるような、
鬼気迫る表情で話をする人じゃない。
ドロボウが入るとか、人を疑うような事は一切考えない人なのに。


・・・・なんだか、おかーさんじゃないみたいだった。



母の右手は、とてもイライラしていた。


私『おかーさん、どうしたの?』
母『どうもしないよ!』
私『なんだか今日は、とてもイライラしてるね?』
母『すっごくイライラしてる!』
私『珍しいね。何か嫌な事でもあった??』
母『ないよ!!いつも一人だからとてもイライラしてる!!』
私『・・・・あ・・・・ごめんね。いつも一人で辛いよね。』
母『車に乗って買い物行きたい!!』
私『買い物かぁー、いいね♪どこに買い物行きたいの??』
母『オークワ(地元のスーパー名)!!』
私『うんうん、いつも買い物してたよね。オークワで何買うの??』
母『みかんの缶詰と、バナナ1本。じゅーす!』
私『甘いものが欲しいんやね♪おかーさんが食べるの??』
母『違う!!看護師さんに差し入れする!!』
私『そうなんやぁ!偉いね、おかーさん!(*'▽')』
母『あまったらちょうだい』
私『うん、わかった!だから、あんなにカバン気にしてたんやね?』
母『そうそう。代わりに買ってきて!』
私『おっけぇ!看護師さん、喜んでくれるといいね(*'ω'*)』


眉間に深いしわがあったのに、いつの間にかなくなっていた。
しばらくして、今度は目がキラキラと輝き始めた。


母『見て!見て!』


壁を見ながら、嬉しそうに話しかけてきた。


私『ん?』
母『めっちゃキレイ!』
私『ん、何が??』
母『海!うみーーー!!』
私『今、おかーさん海辺に居るん??』
母『そうそう!ほら、ほらぁ!!』
私『今アトレー(母の車)に乗って運転してるの??』
母『うん、楽しい!!』


周りを見渡すように、目の動きが激しい。
運転してるつもりのようで、体が左右に動いている。


ふいに、母の右手が人工呼吸器に軽く当たった。
アラームが鳴った!


私『おかーさん、危ないって!!』


私は慌てて母の右手を押さえつけた。
母は訳が分からないというように、私の手を叩き始めた。


私『おかーさん、首には大事な機械がついてるの。これ、絶対外したらだめなやつ!』


つい、キツイ口調になってしまった。
母はみるみる表情が変わり、私に対して怒るのかと思いきや・・・
意外な事をクチにした。




page13へつづく。

 

タブレットを使ったリハビリを始めてから、2日後の事。


母『こんにちは』


母が約2か月ぶりに、奄美グループのチャット欄に
LINE発言キタ――(゚∀゚)――!!


もう、気分は『立った!クララが立ったー!!』でした(笑)
yjimage[2]
ネット情報によれば「クララが立った」のセリフ・・・
ハイジは発言しておらず、ペーターのセリフのようですね。

まぁ、どうでもいいですね(*ノωノ)w


発言できたのはその一文のみ。
そりゃーもう、奄美メンバー達はお祭り騒ぎですよ!


あっという間に自分の発言が流されていきます(笑)


使用しているタブレットは11インチのものなので、
結構大きくて重いんです(;´・ω・)


なので、手で持ちながら入力することが出来ないし
テーブルに置いてうつむきながら入力する、という方法も難しいので
タブレットを固定してアームが自在に動くボード?のようなものをセットし、
顔を俯かせることなく腕さえ動かせればタップすることが可能なようです。


以前に比べると、肘はだいぶ上がるようになってきました。
利き腕が右なので、左肘はまだまだ筋力は甘い感じですが
右腕は結構チカラがついてきているように思えます。


手を握ると、なかなか離してくれません(笑)


リハビリにより、体の機能は順調に回復してきていました。
体は少しずつ回復しているものの・・・・、


このころから、母の『言動』について
少しだけ、気になることが出てくるようになってきたのです。




page12へつづく。


 

 

※このブログは過去にさかのぼって書いています※

 

7月1日(土)の面会のとき。



母『ケータイ、持たせて』
私『ん、なんで?』
母『看護師さんに文字を打って、伝えたいことがあるから』
私『・・・おお!』



↑唇の文字を必死で読みました(;´Д`)



母に頼まれ、ケータイを持たせてみた。


私『・・・・・どう?文字、打てそう?』
母『・・・・・・・。』


顔をしかめながら、文字を押そうと頑張っている。
顔が段々赤くなってきている。。。
一生懸命打とうとして、リキんでいるのだろうか。。。。


母『・・・・ケータイ、重いな^^;』


諦め笑顔でそう伝えた。


母『ごめん。ケータイはやっぱいいや』
私『そっかぁ(´・ω・`)・・・ケータイ、昔は肌身離さず持ってたのにね』


母はしばらく考えた後・・・・私に提案してきた。


母『・・・ねぇ。沢山のメモと、ペン持ってきて。筆談する』
私『筆談かぁ、いいね!明日早速用意して持ってくるよ!』


そして、母のカバンに奄美の親戚が送ってくれた
お守りをつけました♪
キイロイトリの中には貰った手紙が何通か入ってます!
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その日のリハビリの成果は、
10秒ほど支え無しで自分のチカラでベッドサイドへ
座り続けることができました!ヾ(≧▽≦)ノ



今日は特に、母の闘志がメラメラと燃えていたキガスル!




7月2日(日)の面会。



昨日頼まれていたメモ用紙と、ペンを数種類用意して入室。


母は、待ってましたと言わんばかりに
手をパタパタさせて


母『ペン、ペン!』


と連呼していました(笑)


最初はマジックを持たせたのですが
少々重い・・・ということで普通の軽いボールペンに持ち替え。


書きにくいだろうと思って下敷き用に購入した
ファイルバインダーも、重たいからとこれも拒否。


体を起こしながら筆談するのはまだできないので
とりあえず寝ながらの状態紙を見ずに筆談する
というスタイルで行くようだ!


母『ひらがなの練習する!』


そう言い放ち(もちろん声は聞こえないので読唇)、


あ、い、う、え、お、ア、イ、ウ、エ、オ


と書き始めた。


私『読めるよーおかーさん!』


母はニンマリ笑った(笑)



母の頑張って書いた筆談の一部を公開します('◇')ゞ
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明日の月曜日から、リハビリの新たなメニューとして
タブレット操作を開始するようです( *´艸`)


入院をきっかけにタブレットを持たせていたので
主治医も看護師さんもリハビリの先生みんな、
母がタブレット操作ができることを知っていた。


今は筋力が落ちているので持つことさえできないが・・・、


リハビリが本格的に始まれば、
みんなとLINEチャットが出来る日も近いかもしれない!




page11へつづく。



 

 

 

 

 

これは、母のとても大事なものである。
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母が肌身離さず持っていた、黒のガラケー。

5月5日の夜、
自発呼吸が難しくなり人工呼吸器を余儀なくされ、
ICUへ移動直前までずっと手に持っていたケータイ。


『電話したい・・・お願い・・・ケータイ・・・・』


消え入りそうな声で先生へお願いするも、
ケータイを没収され、通話やメールをさせてもらえなかった。


伝えたいことが沢山あって、
連絡とりたい友達が沢山いて、
受信メールの返信がしたくて。。。


ICUは高度医療清潔区域領域になるため、
私物を持って入ることは不可能だった。


母がICUへ入っている間は、
母のケータイの電源を切り、自宅で保管していた。


母の容態が良くなったら、親しい友人に連絡しよう。
父の判断だった。


電源を切ってから、およそ1か月。
母は人工呼吸器をつけたままだが、
容態は著しく回復し、元の病棟へ戻ることが出来た。


病棟に戻ってから、10日ほど経過したある日。
家族の精神的不安定さも解消され、
穏やかな日常へ戻りつつあった。
母の親しい友人に連絡を入れるべく、ケータイの電源を入れた。





メールの受信件数ががががgggg



無菌病棟に戻った母は、
人工呼吸器装着により話すことはできないが
目も耳も聞こえるので、簡単な意思疎通はできた。

勝手にケータイを見る訳には行かないので、
母の了解を貰い、メールの内容を目の前で確認させてもらった。


奄美の親戚たちからの心配メール。
和歌山の親友たちからのランチのお誘いメール。
母の同級生たちからの同窓会のお知らせメール。
会社の同僚たちからの心配メール。
幼馴染からの何気ないメール。


メールだけじゃない。
お留守番センターからも通知が来ていた。


きっと、返信がないので電話をくれたのだろう。
最初は他愛ない内容だったメールも、
徐々に心配しているので連絡くださいと書かれている内容ばかりになり
心から母を慕ってくれている人たちがこんなに居るんだ、と改めて知った。


父に頼まれ、母の友人たちひとりひとりに電話をかけた。
母の代わりに、メールの返信もした。


詳しい病気をほとんどの人に伝えておらず、
ただ『しばらく入院するね』としか伝えていないようだった。


母の事だから、大ごとにして心配させたくなかったんだと思う。
願わくば、何事もなかったかのようにみんなの元へ戻りたかったに違いない。


自分の声で真実を話すことが出来ず、
指を動かす力が無いため、
ご友人たちへの連絡が大幅に遅れてしまったことをなるべく丁寧に詫びた。


家族以外は面会を断っている状態なので、
人工呼吸器が離脱できれば即連絡します、と伝えると


『ありがとうございます。ご家族様もどうか、体調ご自愛ください』


とあたたかい言葉をかけてもらえた。


母は毎日、沢山の人から気持ちを受け取っている。
早く良くなってください。元気になってください。会いたいです。

ガラケーにメールが来れば読んで聞かせているし、
タブレットには奄美の親戚たちからのわいわいLINEが盛りだくさん
詰まっているので、文字サイズを最大にして、
顔の前へかかげて、読んでもらっている。


本当に嬉しそう。
見ているこっちも、すごく嬉しいし安心する。


この瞬間はいつも、生きててくれて良かったって思える。
明日の治療の糧は、周りの人たちのお陰で満ち足りている気がします。


いつも本当にありがとうございますm(_ _"m)
感謝の言葉が止まりません。


母の回復が、最大の恩返しになると思うので、
病気にくじけそうになったらメールを読んで聞かせ、
生きる希望を与え続けたいと思います。






page10へつづく。