自殺未遂で警察病院に搬送。
国家警察のデータベースに登録。

―――
厳しい家庭で育った。
 

共働きで一人っ子だったこともあり、

小学生の頃は自分が自宅の鍵を開けて、

親が帰ってくるのを待つことがほとんど。
 

物腰は柔らかいがほとんど不干渉な父と、

教育ママで口うるさい母。

元々勉強ができる子ではなかったからか、

ずっと勉強しろと怒られて育った。

二言目には「勉強しなさい」と言われていて、

褒められたことはなかった。
 

携帯も与えられずテレビも

ろくに見せてもらえなかった。
やりたくもないし、

うまくいかない勉強漬けの毎日。

母が口癖のようにいつも言っていたのが

「普通になさい」。
 

「普通」に勉強して、

「普通」に高校に行って、

「普通」に大学に行って、

「普通」に就職して、

「普通」に結婚して。


そうしなくてはならないんだと思っていた。

―――

中学生のある日、担任の先生の趣味で

授業として「スタンド・バイ・ミー」を見た。
 

娯楽にほとんど触れてこなかった私は、

こんな自由な世界があるのかと衝撃を受けた。
 

私にはこんな友達はいないし、

抜け出すなんてできるわけはないけれど。
でも、何か踏み出さないといけない気がした。

映画監督になりたかった。

あんなキラキラした世界を作ってみたかった。
きっと私がみつけた、最初の夢。
 

脚本や映像作りの勉強をしたかったが、

そんなの「普通」ではない。
 

だからそこそこに勉強をして

近所の普通科に入った。

―――

高校では親友ができた。
いつか戦場カメラマンになって、

真実を届けるんだとずっと語っていた。
 

映画の話も少しはつきあってくれて、

お互い夢を語ることが増えた。

「映画できたらぜってー見に行く!

 ていうか試写会とかで女優の写真撮らせろ!」
 

「お前の撮ってきた写真とか話を

 ドキュメンタリー映画にしてみたいな」

彼は美術大学に進んで

カメラの勉強をするんだと。

とても羨ましかった。
 

俺も夢に向かっていきたくて、

人類学の研究がしたいと言ってみた。
 

適当にそれっぽいことを並べて

親を説得したが、

映画のキャラクターを

作る上で人を見ることは

勉強になるんじゃないかと思ったんだ。

―――

妻とは大学のゼミで出会った。
唯一の夢であり趣味である映画を

共通の話題として話すうちに親しい仲になった。
 

デートらしいものは基本的にどちらかの自宅で

一緒に映画を見ていることがほとんど。
 

外に出るのは映画館に行くか、

コラボイベントに出かけるくらい。
 

それでも映画館で新作の映画を見て、

自宅までぐっと堪えて、

 

帰ってきてから二人で

感想会をする時が幸せだった。

―――

人の観察が面白くなって、

雑誌記者になることを選んだ。
映画監督になんかなれはしない。

記事という形で、素敵な世界を届けたかった。
 

彼女のことはともかく、

仕事は両親に否定されると思っていたが、

 

一人暮らし始めて実家に

ほとんど帰らなかったのが寂しかったのか、

結婚が見えていたのが嬉しかったのか、

驚くほどあっさり許しが出た。
 

「大変な仕事だと思うけど頑張って。

 いつでも帰ってきていいからね」
 

なんて応援までしてくれて拍子抜けした。
 

―――

就活は難航した。
大手出版社はことごとく落ち、

なんとかゴシップ誌を

メインとしている出版社に転がり込んだ。
 

旧態依然とした会社で、

セクハラパワハラは当たり前、

残業という概念すらなかったが、

給与は悪くなかった。
 

入社して2年目で妻と結婚。
相変わらず上司の命令で動く

こま遣いみたいな仕事ばかりだが

それなりにやり甲斐もあった。

―――

結婚してすぐ子供を授かるが、

流産してしまう。
 

妻は、自分のせいだと

ふさぎこんでしまった。
 

数年の間、妻を支え、向きあい続けて

ようやく彼女の表情も明るくなってきた。
 

しばらくして、また子供を授かる。
私も不安だったが、それ以上に不安そうな妻を

見ていると不安がってもいられない。

二人の不安をよそに、

無事に男の子が生まれた。
 

産声が聞こえた瞬間、

涙が溢れて止まらなかった。
 

妻と二人で、我が子以上に

ぐしゃぐしゃに泣いた。
 

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私はより仕事に精を出した。
妻と、あの子を守っていきたかった。
2年後には女の子も生まれて、

一層賑やかになった。

そんな時、戦場カメラマンとなった

親友の写真が世間の脚光を浴びる。
紛争地域に飛び、現地の写真を撮る。

彼は夢を叶えていた。
 

偶発的に遭遇した爆撃に巻き込まれ、

己の命も危うい状況の中、

爆撃で傷ついた少女の写真が人の心を打ち、

『真実を切り取る戦場カメラマン』として

一躍時の人となった。

だがSNSで噂が流れ始める。
 

『カメラマンは、傷ついた少女の

 写真を撮ることに夢中で

 その子を見殺しにした』

それを知って上司が私を呼び出した。

「お前、このカメラマン友達なんだってな?」

やりたくなかった。
でも仕事だから…彼に連絡を取った。

「そんなわけないだろ!

 先に写真を撮ったのは事実だけど、

 すぐに医者の元へ運んだ!

 …でも間に合わなかったんだ」

私は上司に事実を伝えた。

「そういうのじゃねぇんだよ。

 うちはゴシップ誌だ。

 読者の需要はわかるな?」

親友を売るなんてできなかった。
自分とは関係のない俳優や

アイドルのことは売ってきたのに…。
 

締め切りが迫る中、

遅々として記事が上がってこない上司が

しびれをきらして、別の話を持ってきた。

「流産の特集でも組んで間に合わせるか。

 お前の嫁も流産してたよな。」

二人の子供たちに囲まれて

ようやく明るくなってきた

妻にそんなことを聞けるはずがない。

「ダチの記事書くか、

 嫁を取材して記事書くか。

 どっちかにしろ。でなきゃクビだ」

今仕事を失うわけにはいかない。
妻と二人の子を養っていかなくてはならない。
 

辞表をつきつけるような

勇気も度胸もなかった。

どちらを捨てるか。

最悪の二択だ。

―――

私は、妻を守ることを選んだ。
記事が出ると親友からすぐに連絡が来た。

「こんな記事が出てるんだ、

 お前のいる出版社だよな?」
 

「すまん、知らなかったんだ」
 

「…そうか」

嘘をついた。
それから連絡が来ることはなかった。
私の中の何かが壊れた。

ゴシップを書き殴った。

 

俳優女優の不倫記事。
アイドルのお泊まりデート。

スターが隠してる趣味。
 

なんでも撮って、記事にした。

世間の需要を満たせばいいんだ。

芸能界にもパイプができていった。
裏事情も仕入れやすくなった。
子育ては妻に任せっきりになっていった。
生活を支えるためだ。仕方ない。

ある日、上司からまた指示が出た。

「あの俳優夫婦、

 奥さんが不倫してるんだってよ。

 お前、裏取ってこい。」

数年前に電撃結婚で

世間を騒がせたおしどり俳優夫婦。
その妻が、新人俳優と不倫していた。

旦那とは、以前取材した時に意気投合して、

何度か食事にも行く仲だった。

連絡先も知っていた。
 

妻や子供のこともよく相談していて、

おしどり夫婦であるコツは?

なんてことも聞いたっけ。
 

そんな彼が、愛する妻に

裏切られた辛さはよくわかる。
 

ちょっと焚き付ければ、

いい燃料になると思った。

妻と新人俳優が郊外の

ホテルに入っていくところを押さえ、

その場所を旦那に伝えた。
 

予想通り、掴み合いの喧嘩になった。
それを撮って記事にした。

上司は大絶賛だった。

仕事に打ち込んできた私も

ようやく一息つけるようになり、

子供達に次の休みはどこかに

遊びに行こうなどと言っていた矢先、

記事に対して世間は

意外な反応に変化していった。

―――

私を褒めちぎる人が出始めた。
芸能界の真実をあばいた真の

ジャーナリストとしてSNSで人気になっていた。

あんな焚き付けるようなマネをしているのに。

しかし、しばらくして、

また世間の反応が一変した。
 

隠してたものを無理やり暴いた

非道なヤツだとか俳優を焚き付けた外道だとか。

チャンスだと睨んだ上司や同僚が

どんどん話をリークしていった。
 

書いた記事も、書いてない記事も、

私が書いたこととして知れ渡っていく。

 

しまいには生活、人間性、家族まで、

あることないことリークされていった。
妻が、流産したことまで。

いち記者とその家族が

火だるまになるのに

時間はかからなかった。

考えて、考えて、考えて、考えて、考えて。

全てが面倒になった。


「取材に行ってくる」
嘘をついて家を出た。
いってきますは言えなかった。
約束の『次の休み』は、もう来ない。

―――

駅に向かい、電車に乗り込み、

そのままふらふらと山の方に向かっていった。

もう終わらせようと思った。

獣道をかきわけて山の中腹あたりだったか、

大きな木があった。
 

近くにあった踏み台に乗り、

縄に首をかけたところで、

急に怖くなった。

死んだらどうなる?残された家族は?

本当にこれで死ねるのか?苦しいのか?

 

どうでもいいか。

もうめんどくさいな。
 

あーーーーあ。

――――――

気がついたら、ふもとの町を

あてもなくさまよっていた。
 

酸欠で頭がふらつく。

首の擦り傷がじんわりと痛み続ける。

 

いきなり、制服警官が近づいてきた。

病院に行くぞ、とかなんとか言っている。

 

私の記憶はそこまで。

 

―――

【名前の由来】

 

・杵

→取れた穀物を叩きつぶす、物をうつ道具。

 

・キネマ

→映画。

 

・ねき

→西日本の方言で「そばにある」「傍らにいる」