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難波潟

みじかき葦の

ふしの間も

逢はでこの世を

過ぐしてよとや

 

 

作者は、伊勢です。

 

伊勢は古今集の時代の代表的女流歌人で、小野小町や紀貫之らとも並び称されました。

 

 

【意味】

難波潟に生えているアシのあの短い節と節の間ほどのわずかな時間でさえも、あなたと逢わずに人生を過ごしていけとおっしゃるのですか。

 

 

逢いに来てくれない恋人に向けて詠んだこの歌は、女性のやるせない気持ちが強く込められています。恋人を責め立てる激しい歌にも感じられます。

 

 

伊勢は恋多き女性でもありました。

 

 

伊勢は、宇多天皇の中宮・温子(おんし)に仕え、温子の弟(兄との説もある)・藤原仲平と恋仲になります。

 

そして仲平と破局したのちは、仲平の兄である藤原時平と恋仲になったようです。

 

その後、宇多天皇の寵愛を受け、宇多天皇の皇子を生み、伊勢御息所(いせのみやすんどころ)となります。

 

さらに、宇多天皇の皇子である敦慶親王とも結ばれ、女流歌人・中務(なかつかさ)を生みます。

 

 

そして、伊勢と同じく三十六歌仙のひとりである凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)とも恋仲にあったようです。

 

凡河内躬恒は、

 

29

心あてに

折らばや折らむ

初霜の

置きまどはせる

白菊の花

 

の作者です。


 

【なにはが】【こころあ】

 

 

伊勢は、上記以外の男性との恋愛もあったようです。


伊勢の歌人としての評価は高く、地位ある方々からも注目され、気に入られていたことがうかがえます。

 

 

 

また、歌を通して交流のあった人も多くいます。

小倉百人一首に入っている歌人では、

 

 

43

逢ひみての

後の心に

くらぶれば

昔は物を

思はざりけり

 

の作者、権中納言敦忠(藤原敦忠)。

敦忠は、伊勢と恋仲にあった藤原時平の子です。

 

 

 

44

逢ふことの

絶えてしなくは

なかなかに

人をも身をも

うらみざらまし

 

の作者、中納言朝忠(藤原朝忠)。

朝忠は、伊勢の家と垣根を隔てて隣に住んでいました。

 

 

 

28

山里は

冬ぞさびしさ

まさりける

人目も草も

かれぬと思へば

 

の作者、源宗干朝臣(みなもとのむねゆきあそん)。

源宗干は、【君がためは】の作者である光孝天皇の孫にあたります。

 


【なにはが】

【あひ】【あふこ】【やまざ】


 

 

華やかな交流関係を持つ伊勢。

 

【なにはが】の歌からは、気の強い女性の面も感じられますが、それも、歌人としての才能とともに持つ、伊勢の魅力のひとつなのだろうと思います。