『願ったものはすでに全部ある』自分というのは、

 

もう一人の自分みたいなものだ。

 

『潜在意識』が表面に出てきた自分とも言える。

 

このもう一人の自分に気づくと、『エゴ』の自分というものにも気づく。

 

二重人格みたいなものかなと感じた。

 

でも、よりはっきり言うと、

 

『すでにある』自分こそが本来の自分。

 

二重人格というよりも双子に近いかもしれない。

 

『すでにある自分』が頼れるお兄さんで、

 

『エゴの自分』がとっても弱い弟みたいな自分。とにかく不安なことばかり考えてる自分。

 

そんな二人の自分が自分の中に存在しているのだ。

 

『エゴの自分』のイメージとしては、シャニマスの甜花ちゃんみたい。不安ばかりを抱えていて一人では何もできない、甘奈ちゃんに頼りっぱなしの存在。

※まあ、シャニマスでは甜花ちゃんは姉で甘奈ちゃんが妹なのだけれど。それに、この二人の持っている性格・潜在能力はゲーム内でのちのち変わってくるのだけど、まあそこは考えないで、あくまで二人の表面的なイメージで。

でも、かわいいんだよ甜花ちゃん! みんなに愛される甜花ちゃん! ――というか、自分のエゴちゃん! という感じです。あのイウォーク師匠も言ってましたよ、エゴも愛そうよ、と。そう、今まで必死に頑張ってきてくれた自分のエゴちゃんだもの。

あっ、シャニマスって何? 甜花ちゃんって誰? ってな人には、自分の部屋にある観葉植物をイメージしてみましょう。まあただの観葉植物ではなく、人間が擬態した観葉植物ね(よくお遊戯会とかで木の役とかやってる子のイメージ)。

その観葉植物がつまりエゴちゃんで、とにかく部屋の片隅でずーっと不安なことをぶつぶつ喋りつづけているのです。

でも、エゴちゃんの言葉を聞いてるのはいいけど、その言葉を真に受けてはいけないよってことなのです。ただ、聞き流すだけっていう感じね。観葉植物なので、こっちがお水あげながら「よしよし」とお世話してあげる感じです。観葉植物ってのは、ただそこにあって、見てて癒されるだけの存在ですからね。

以上、『すでにある』になってからのエゴの対処法。

 

 

 

無になる(別の言い方をすると、『自分をリセットする』)と、

 

この本来の『すでにぜんぶある』自分が表面に出てきやすいと思う。

 

あのイウォーク師匠も言っていた。ゼロになろう、と。何度も強調していっていた『ゼロ』になろうと。

 

ゼロになると、『なる』が簡単にできる、と。

 

ゼロになる。無になる。自分は存在していない。自分をリセットする。

 

どれも言っていることは同じ。感覚として、どれが自分にしっくりくるかでいい。ファミコン世代はリセットするの感覚はとても分かりやすいかもしれない。なかったことにして、最高の形からやり直してしまえばいい。実は潜在意識を活用する人生はリセットというものが可能なのだと気づける。

 

 

それまでずっと不安だけを抱えてきた『エゴ』に任せていた人生だったから、『すでにある』本来の自分は、ずっとえらく長い間、眠っていたような感覚。

 

だから、目が覚めて、その視点で物事を見ると、世界が一変しているように感じる。

 

みんな言っているよね、『なった自分』『すでにある自分』になると、世界が変わって見えるって。

 

あの感覚が分かったわ。

 

 

あと、シャニマスの甘奈ちゃんと甜花ちゃんの関係は、『すべてある』自分と『エゴ』の自分という二人の自分に気づくのにとても分かりやすいと思う。『エゴ』をキャラクター化させやすいというか。

 

 

とにかく『ゼロ』になって『すべてある自分』に目覚めると、そっちの影響力が少しずつでも大きくなっていく。そして、エゴちゃんの存在というか影響力がどんどん小さくなっていくよ!(これもいわゆるタイムラグ) そしたら、エゴちゃんの声を客観的に・観葉植物的に見ることができるようになってくるよ!