ダンテス・ダイジ エピソード3 | かんろのブログ

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井上さんの話の続き

■私はダイジのその一言で言葉を失った。そのまま何も言えなかった。

その後も色々と、ダイジと弟子たちの間で展開されるとんでもない話の数々。

曰く

「若い頃、インドに行ってゴア(西インドのリゾート地)の浜辺でぶらぶらし

ていたら、LSDを西洋人が持ってきた。何粒飲んでも平気な顔をしているんで 彼らは悪戯で俺にビンごと寄越して「飲んでみろ」と言う。

俺が飲んでも平気でいたら、奴らびっくりしていた。確かに普通の人間なら

死んでしまう量だからな」

弟子

「それでどんな感じになるんですか」

ダイジ

「あー、そりゃ面白いよ、宇宙と一つになったり大変だ」

弟子

「悟るとLSDを致死量とっても大丈夫になるんですか」

ダイジ

「それは違う。俺はヨガの行法をやっていたので、LSDを体外に排出するテクニックをもっていた。それがなければ、悟っていても死んでしまうだろう。

・・・・

プリー(東インドの浜辺の町)で歩いていたら、向こうからインド人が歩い

てくる。そいつを見て驚いた。俺がそこにいるんだ。

それで大声でそいつに尋ねた。

ハウ・ユー・ゲット・ジス(どうやってこれを得たんだ!)

俺が何でそんなに驚いたかと言うと、インドには禅がないから、心身脱落の境地に至ることは不可能な筈だからだ。

そのインド人は、俺を寺に連れていって、クンダリーニ・ヨガを教えた。

それで、それから八日間座りっぱなしだ。

そして解脱した(この当りの経緯は詳しくは「ニルヴァーナのプロセスとテ

クニック」(森北出版刊)を参照)後、その寺に懸かっている絵を見たら、

そいつの顔なんだ。それでそいつがババジっいう聖者だったことが分かった。

・・・・

「昔、青梅の方で道場をやっていた頃、ある女が道場を訪ねてきた。

「浜のマリー」って呼ばれてたえらいスケバンで、行き詰まって俺のところ

に来た。それ以来禅で座りっぱなしになって、女としては十分なところまで

行ったんだ。ところがクンダリーニをやりたいって言うんだ。

俺は「必要ない、今のままで十分だ」って言っても、どうしてもと言う。

彼女は「死んだママに会いたい」って言う。

しょうがないから、座らせてグーッとエネルギーが上がってきて首まで来た

時点で一撃を加えた。そうしたら3分ほど死んでいた。

そして肉体に帰って来たらゲラゲラ笑うんだ。

「なんだ。死ぬことってコワイとみんな思っているけど、本当は凄く楽し
いじゃん!」「あなたもこんなバカどもを相手にしてないで早く死にましょ
うよ。」

そう言っていた。それでその後しばらくして本当に自殺してしまった。

なぜだか分かるか?

クンダリーニで抜けた人間にとって、この世界に生きるって言うのは物凄い 苦痛なんだ。

よく悟った人と人間との違いを、人間と猿やゴリラとの関係のようなものとして表現する事があるが、サルと人間だったらまだいい。

まだコミュニケーションが取れている。

クンダリーニで抜けた人間と普通の人間との落差は、人間と猿との落差よりも遥かに激しい」