テーブルの真ん中にタオルを敷き、その上にどすん、と割と重くなったお鍋を置く。


そのお鍋の中身はと言えば、頂きものの大量の白菜。お肉。そしてお豆腐。
他のものより圧倒的に安かった白だしボトルがちょっとだけ香る気がする、シンプルイズベストなザ・安物お鍋である。。。




「ありがとう」




「いいえ。もうちょっと待ってくださいね」




そう言って、既にテーブルに置いてあった緑色のボトルをグラスに傾ける。
とくとくとく、と注ぐ音が3回する頃には止めて、今度はその倍くらいの量のお湯を上から足す。ロックでも飲んでみたくはあるけど、そういう遊びの席とは違うだろう。




それぞれのグラスに同じように注いだ後、特に意味の無い深呼吸。
それから合図するように彼と目を合わせて、では、とグラスを持ち上げた。




「……えー。乾杯」





あ、そこは特に何も言わないんだ。。。




「はい、乾杯です」










この日の前日まで、彼は仕事終わりに突如襲いかかる飲み会の嵐に追われていた。
嵐の続くこと、実に三日。つまり3日連続、普段なら帰る頃になってから『今日飲んでくる』と連絡が来たり来なかったりしたのだ。。。




それもある日の帰りは3時頃。明くる日の帰りは5時手前。出勤は当然いつも通りの朝からで、ついでにお支払いは立場上ほぼ彼持ちときた。


それも、これから年末年始の重労働を控えた男達が集まってのそれである。
短慮極まるというか、愚行の極みというか。いやどれも別件なので三日連続なのは彼だけだろうけど、それならそれで周りが遠慮して欲しいし本人も断って欲しい。しかもこの2日後にはまた飲み会参加未遂を起こしたし





……勘違いされないように初めに言っておくと、私は別に、彼が好きで飲み会に行くなら特に文句はない。嫌ではあるけど。。


ただ、それが嫌々参加していること。
そのくせへいこらと付き合っていること。
で、当然ながら後日の体調とか仕事にがっつり影響を及ぼしていること。


そういう環境を許していることに怒っているのだ。『自分が我慢すればいい』の精神で他人にまで我慢を強要する勘違い、傲慢、無責任。
それが許せなくて、らしくもなく久しぶりにお説教みたいなことをしてしまった。




だけど事ここに至って、自分にとっての大事なものも取捨選択できないこの未熟さ。これを一体、誰が矯正できるだろう。
だってこの人の頑固さは折り紙付きだ。私がどれだけ言葉を尽くしても、それが行動に直った試しなどただの一度もないのだから。




……つまり、今回のお酒は彼からの『お詫びの品』のようなもの。
彼から言わせれば、『不機嫌にさせてごめん』みたいなざっくりとした意味のものなのだと思う。






「あー、やっぱりちょっとお高いものは味が違いますね……」




大きなグラスに注いだお酒をぐいぐいと飲み進めていく。
実の所お酒の味はそれほど分からないけど、それでも良いものと悪いものは何となくわかる。
これはなんて言うか、飲みやすくて、そう、美味しいやつだ(語彙力皆無)!


というか実の所、ヤケクソ気味だったのだ。言うことは散々言って伝えたが、それも手応えがなければ行き場がない。
だって元々私の言葉は怒りでもなく、悲しみでもない。そんな私情はお説教には挟まない。
単に、無意味だと知りながら良かれ良かれを説くことに疲れていた。




だって、遠慮もしてしまう。
この人はこの人で、つまりは三日も連続でおつむが足りてないおじいちゃん達の鬱憤の捌け口にされるか、仕事を知らない若い子の正論に付き合わされて来ているのだ。辟易しているのは彼の方なのだから。


だからそれに付き合うことの無意味さとか、断る権利についてとか、何なら『必見!仕事の付き合いを断る10の必殺口上』までくどくどレクチャーさせて頂いたのだけど、やはり心身ともに疲れていては愚痴にしか聞こえないようで。
つーか途中でいびきをかかれては、必殺口上も出番を失うしかなかった。。。




「……そうだな」




などと空返事をしながら、ちらちらとこちらを伺う様子のご主人様。
多分、私の不機嫌が治ったのかが気になっているのだと思う。




ちなみに、私の不機嫌はぜんっっっぜん治っていない←




そう、説教にしろレクチャーにしろ私情は挟まないし、私が彼に伝える言葉に私の感情みたいなものは全くもって、これっぽっちも混ざっていない。




とはいえ。だがしかし。
私が嫌がることを知っていて、連絡もほぼないまま、何時になっても帰ってこず。
挙句それを三日連続で行い!帰ってくれば介抱され!朝起こしてもらうことに礼もなく!!!謝罪の言葉もろくにないときたら!!!!!
それに!対して!ぶちギレするのは!!当然なのではなかろうか!!!!????





………とまぁ、そういう余裕のある発言をできるのは専業主婦、疲れていない人間ならではの特権であって。現場で酷使されている労働者に人としてまともな思考とか、他人への配慮とか、そういうのを期待してはいけないし、強要してもできないものだとも思っている。
だから、そういうワガママみたいな個人の気持ちは特に彼にぶつけはしない。なのでブログに書いたりするんですが
ただ、そうあれこれと言った先の結論として、『蔑ろにされているのではないか』という不安が付き纏うだけで。





……なんて。そうして最後に、無駄に偉そうな自分に自己嫌悪するまでが、いつものお馴染みフルセットなのだ。







「お身体、大丈夫です?無理に急いでお付き合い頂かなくても良かったんですよ」




「いや、多分平気。お前の方こそ、大丈夫か?お酒、連日飲んでたんだろ」




そう。彼が飲みに行っている間、私も一人で安酒を浴びていた。
それは冗談半分、ヤケクソ半分。ただ、個人的にはちょっとした進歩のつもりでもあったのだ。




彼のいない所で、あるいは彼に頂いたものでないお酒を飲む、ということ。それは、これまで私が自分に禁じていたこと。
それを解禁したのはいつだったか。解禁したからと言ってこうして本当に自分のために呑んだのは、多分これが初めてだった。




結果としては、何の味もしなかったし、どれだけ飲んでも酔いも回らなかったけど。でも、そういう無意味な浪費を自分に許したのは私にとっては進展なのだ。『かくあるべし』と言って、こうしなくてはいけないとかあれをしてはいけないとか、形にして身を固めていた身が少しでも柔軟になることは、多分悪いことではない。たとえそれが、その時全く善いものに思えなくても。




あるいは、それは単純に堕落かもしれないけど。堕落するならするでそれでもいい。そもそもお高くとまりたい訳ではないのだし。




何事においても、つね最後の敵は己自身であるものだ。
だから、そう凝り固めていた自身が解けることがあるとすれば。『それでもいい』と思えるようになってきたのなら。
それはきっと、成長なのだと思いたい。




「……ひとつも酔いませんでした。やはり、お酒とは時場所が肝要ですね」




いや、すごい量飲んだのでさすがに身体は酔っていただろうけど。。少なくとも後日に影響があるほどではなかったので、実質酔ってはいまい←




「そうか」




「はい。」




ことこと、と2杯目を注ぐ。
ていうかあれ?あちらが一口飲む間に一杯空にしてしまった。ちょっと勢い良すぎただろうか。




「き、気をつけろよ?無理してないか??」




「おかしいですね。なんかほら、美味しくてつい?みたいな?」




「お、おう……。大丈夫ならいいんだけど……」




複雑な顔でこちらを見守る大罪人。複雑なのはこちらの心境なんです、こんちくしょー。






静かに時間が過ぎていく。




部屋に響くのはグラスを置く音と咀嚼音、たまにお鍋の中をお椀に取る時のカタコト音。それから、ウィスキーを空けては注いで、また空ける音。
バリュー価格で揃えたお鍋一式も、それなりに美味しくて案外と箸はひょいひょい進んだ。最近は寒かったので余計かもしれない。




静寂。およそ家庭の食事というのはよく分からないけど、その日は我が家にしても珍しいほどの口数の少なさだったと思う。
そんなことに悩んだ時期もあった気がしたけど、そう言えばあの頃は、何故食事時に話さないとと焦っていたのだったか。




なんて昔のことを思い出したりしながら、静かに手早く進んでしまうお鍋の処理。
それを傍目に、ふと、胸が軽くなっている気がした。




気付けば、ついさっきまで胸の内に犇めいていたモノが失せている。何故だろう。よく分からなくて、不意に彼の顔を見る。
それに気付いた彼が同じようにこちらを見返してくるが、ブンブンと首を横に振って『なんでもないです』の意。お口に物が詰まってるので()

  


あなたの顔を見て、安心しました。
そう言ったら、なんて答えるだろう。そんなことを考えながら、何故急にねじ曲がっていたヘソが元通りになったのかと自問する。




…………お鍋が美味しかったから?
まぁ美味しかったですけども。

お酒が美味しかったから?
まぁそれも美味しかったです。また飲みたい。




いや、それはさすがに違うと思う。
これは、そう。ただ単に、4日ぶりの彼との夕食だったから。それが多分、嬉しかったんだ。
複雑だーとかぷんすかぷーとか言っておきながら、私の胸中を一番ひどく渦巻いていたのは、きっとそれだった。




もしそうなら、それはなんて現金。
我がことながら、少しおバカが過ぎると思う。もう少し複雑な気持ちを持っておいてもいいだろうに。




……いや。そうでもないか。
彼が私をどう思っているかは知らないけど。私は、このくらい単純な自分でいたいと思うのだ。







そうしてビンを空けて、グラスを空けて。またビンを傾けてはグラスを傾け。 
そうしてお鍋の中身がなくなってくる頃には、瓶の中身もまるっと空になっていた。




「え。。。ちょ、早くないです??もう終わり!?」




「大半呑んだのはお前だったと思うんだが……」




そうだろうか。そう言うならそうなのだろうけど。
その割には、やはりあまり酔っていない。




「……物足りなさは感じますが、致し方なし。
ご馳走様でした。献上品、確かに美味しくいただきました。もう四季から、先日の三連飲み会云々のお話はしないでしょう」




「いや、改まってそう言われると買収したみたいでなんかな」




そうですね、と笑ってみる。
が、笑いながらそれとなしに彼の顔を覗いてみると、どうにもまだ悩ましい顔をしているように見えた。




「……お仕事ですか?」




『まだ四季の不機嫌が不安ですか』。
そういう意味で、逆のことを聞いてみた。




「ん?あー……まぁ。悩んではいる。けど、今はお前のことを考えてるよ」




「まぁ。地雷回避、お見事です。。。
では四季から、なーんかまだ眉が険しいご主人様に一言、よろしいですか?」




「う。な、なんすか……」




まるでこれから怒られる子供のような顔をして、彼はピシッと背中を伸ばした。
その様子が少し可愛くて、ちょっと可笑しい。



一度、深呼吸をする。
それから無意味に、こほん、と咳払いもする。


一通り気合を入れたところでこちらも姿勢を正して、彼と向き合う。
それからその顔に向けて手を伸ばし、つん、と人差し指で頬をつついてみた。






「はい。好きですよ、ご主人様」