「 !」
聞き慣れた声に振り返る。
遠くから駆け寄ってくるのは私よりやや年上の、若い男の姿。
その姿に私は喜びと緊張、それから安堵の気持ちを同時に覚える。
我ながら器用だな、などと内心くすりと笑えた気がした。
「……おはよう。どうだったの?アークス、なれた?」
私の目の前まで来て止まった男に、私は問う。
男はそれを待ってましたと言わんばかりに満面の笑みで、ぐっとこちらに伸ばした手の先で親指を立てて見せつけてきた。
「…………そう。良かったね」
「リアクション薄いな!?もうちょっと何かないのか!?こう……何かさ!」
満足げな顔のまま、不満そうに彼は言う。
そんなことを言われても困る。無感動な顔なのは今更だ。そこは私の芸風と思って諦めて欲しい。
それでも、リアクションが薄いというのは心外だった。
「…………私なりに、これが精一杯のリアクションだよ。
おめでとう。これで一緒にいられるね」
そう言った時の彼の顔を、今でも明確に覚えている。
ひとつ、突然びっくりしたように固まった顔。
ふたつ、かと思えば何やら赤面しだした顔。
みっつ。最後に、その顔を逸らして手で隠した姿。
ああ、何もかも明確に、正確に覚えている。
この後、顔を隠すのに飽きた彼はこう言うんだ。
手をどけて、赤いままの顔をこちらに向け直す。それが何やら神妙な顔つきをしていて、思わずこちらが身構えてしまう。
それから、彼は私の名を呼んだ。
「ああ。これからずっと一緒だ。 」
「ふぅん。それがあなたの彼氏ですか?」
童子めいた袴姿に金髪赤目、そしてその上に立った二本の獣耳。
映えているようなミスマッチなような雰囲気の少女と出会ったのは、これより少し前のことだった。
「なっ、何なんだこの子は? 、お前の知り合いか?」
男は問う。私は頷いてそれを肯定すると、まじかぁ……と彼は何故か残念そうなリアクションをするのだった。
それを見て少女は、こほん、と咳払いをしてずいっと彼の前に一歩出た。
「どうも、ご紹介に預かりました謎のケモミミ美少女こと さんのアークス仲間です。 さんとは同期です。かつ今やマブダチです。つまり私はあなたの先輩です。
ふふふ、この意味がお分かりですかぁー?こ、う、は、い、さん?」
ニヤニヤとどこか小馬鹿にするように(必死で背伸びして)、しかしだいぶ下の方から見上げる金髪の和服少女。
その様子に男は苦い笑いを浮かべながら、おお……、とだけリアクションした。
「…………よ、よろしくな、謎のケモミミ幼女センパイ!」
「むきーーっ!!なんですかその呼び方なんですかその無根拠な余裕!!つーか幼女とか言うなし!私にだって立派な名前があるんですけどぉー!!」
「 !」
聞き慣れた声に振り返る。
いつものように駆け寄ってくるのは、癪だけど最近は少し様になってきた気がするアークスの男。
でもその姿が、今日はどこか少しだけ違って見えた。
「今日のクエストは終わりか?だったら、今日一緒にメシでもどうかと思うんだが……」
単刀直入な誘い文句。言葉を飾るとかシチュエーションとか、そういう概念はこの男には多分ないんだと思う。
ため息半分、安心半分。だって、私にもそんな回りくどいばかりでめんどくさいノリはよく分からない。
読書は好んでするほうだけど。恋愛小説の類だけは管轄外だな、と思い知ったのはつい最近だ。
「…………別に、いいけど」
が、私は何故か目を逸らして口ごもってしまった。
「…………?どうした?都合悪いなら、今日は外すぞ?」
「い、いや。そんなことはない。大丈夫」
慌てて訂正すると、彼は特に訝しむこともなく納得してくれた。
良かった。勘違いでせっかくの機会を逃すのは不本意だったので、そうならないでくれたことが素直に嬉しい。
…………同時に、自分のその気持ちに違和感を覚えた。
気持ちだけではない。なんでさっき、彼の顔が見れなかったのだろう?
つい目を逸らして口ごもって、危うく彼に勘違いさせてしまう所だった。
嫌な気持ちではないのだけど、どうしても見れなかったのだ。考え直してみてもよく分からない。さっき感じた、いつもと違う雰囲気があったからだろうか?
ちらり、ともう一度目の前の男を横目に見て観察する。
いつもの慣れたものと違う雰囲気は、ある。
だがそれがどこから生まれているものなのか、どうしても分からなかった。
…………とにかく、気を付けなければ。今後こんなことがないようにしないと、間違って嫌われてしまうのは本意ではない。
「いやあなた何トンチンカンなこと考えてんですか???」
「「うわっ!」」
背後からの声に思わず変な声でハモってしまう。
いつの間にかそこにいた金髪のケモミミ少女は、はぁぁぁ、とあからさまに私に対して何か物申したい、という感じのオーラを纏った赤い瞳で睨めつけてきていた。
「待って。あんたのその目でそういう目付きやめて。結構怖いよそれ」
「んな事はどーでもいいんですよ。でもそれほんとに?ちょっと傷付いた。
んな事はどーでもいいんですよ(二度目)。あなたもしかしてその…………、えっと、ほら。…………これまで意識してなかったんです?(ヒソヒソ」
と、何故か後半私にだけ聞こえるように耳打ちして伝えてくる少女。私は彼女の言わんとしていることがイマイチ読めなくて、思わず首を傾げる。
すると少女は上にピンと立ったケモミミを珍しく横に寝かせながら、はぁぁぁ、と同じ反応を繰り返す。
「何?言いたいことがあるならハッキリ言って。さっさとしないとそのミミ撃ち抜くよ」
「待てぇい落ち着いて話し合おう!いや、実際私からは言えないやつなのでほんと許してくださいケモミミだけは!!謎のケモミミ幼女から謎の幼女にランクダウンしちゃいます!!!」
あ、その呼び方気に入ったんだ。
とにかく!と少女は珍しく男の方に近寄ってその背中にくるりと回り込み、
「今日は私はこれで。 さんはこの人と素敵ディナーを楽しむように!
で、あなたはちゃんと楽しませるように!男子として、そこは器の見せどころですよ!ふぁいっ!」
「い、いきなり何なんだよほんとお前は!どういうポジションなんだ!」
男が手を伸ばすと、それを軽やかに避けて離れる金色の少女。
そのまま距離をとって、ふっふー、とか得意そうに笑っているのを見ているとやっぱりこの子、ちょっと小生意気で腹立たしい。やっぱ撃っとくか。
「それはダーメ♪(はぁと)まじで(命乞い)。
それと、私のポジションは応援ポジですよ!ほんとほんと!それじゃあまた!あでぃおす!!」
とたたーっと走り去って行く少女の背中を二人並んで眺める。
それから二人で顔を見合わせて、自然、笑いあった。
「…………行こうか。緊張がどっか行っちまった」
「緊張してたの?何で?」
別に食事に誘われることは珍しくない。
それを疑問に思って素直に問うと彼は、はぁぁぁ、とあの少女と同じようなリアクションをした。
「────── !!」
聞き慣れた声に振り返る。
駆け寄って来るのは、いつもとは違う黒くて巨大な敵の群れ。
その後ろで、必死の形相でこちらに手だけをどうにか伸ばしている、今は血塗れになった彼の姿だった。
「…………、…………」
声が出ない。
気が付けば、私の身体は動かなくなっていた。
…………横たわった身体には既に感触らしいものが無い。地に身体を寝かせながら、目で見える範囲、それから目で見えない周囲の状況の確認を試みる。
見える範囲には既に何もない。倒した敵はことごとく霧散し、跡形も残っていない。
背後には、動いている敵が多分一匹。しかし、どうにも生きている人の気配はどこにもない。
それでもう、全部を察してしまった。
ああ、あの男もやられたのか。
存外呆気なかったな、と思った。
それは誰に対して、何に対してのものだったのだろう。彼に対してだけのものではなかった気がする。
ただただ、勿体なかった。
私は、ようやく得たはずのかけがえの無い他人を。その死に際さえ、見る機会を失ったのだ。
…………実感が湧かない。こういう時、どういうリアクションをすれば良いのだろう。
思い浮かんだのは、彼がよく言っていた『リアクション薄いな』なんて声とその顔だけ。
「…………、…………」
そんな事言われても、困る。
私はそういう奴なんだってば。だから、そこは諦めてほしい。
こんな私だけど、受け入れて欲しい。そうして、そう。私と一緒にいてほしい。
『──ずっと一緒だ』
「………………あ、」
ふと、思い出した。
ああ、そういえば。彼はあの時から、そんなことを言ってたっけ。
…………なんてひどい女だろう、私は。
もしかして私は、彼にずっとこんな想いをさせていながら、そのことに気付かないでいたのだろうか?
そうだとしたら、どうしよう。謝りたい。でも、彼はもう
謝って、出来れば許してもらって、それで安心させたい。安心したい。きっと目を凝らせばそこに
それから、今度は私から伝えたい。倒れた姿が、そこに
──背後で動く最後の敵の気配がする。
私がまた動きだしたことに気が付いている。
だけど、私の関心は既にその敵から離れていた。
…………見なくちゃ。せめて、その姿を。
これが最後。身体に残った熱をかき集めて奮い立たせた最後の想いは、そんな義務感だった。
今見える範囲にいないなら、後ろに振り向けばきっといる。
その姿をせめて見届けよう。彼の最期を貰いたい。彼の最後を受け止めなくっちゃいけない。
言葉にするとよく分からない、そんな気持ち。
……そうして、私は残った力を使い尽くして朽ちるんだろう。
それで良い。あの人がいるなら、私はここで構わない。
ずっと一緒だって言われちゃったし。私なんかにそんなことを言ってくれた彼の気持ちに応えられるなら、私はそれで。
さぁ、最後のひと踏ん張りだ。どうかあの黒いやつが、私の目を潰してしまわないうちに。
それさえ終われば、きっと私のすることは──
その時、ずどん、と大きな地鳴りが真後ろに突き刺さった。
そう、突き刺さった。見えないけど、私の背後に何か大きな物が突立つように上から降ってきたのだ。
───それはまるで。背後の様子を見せまいと壁になるかのように。
それから続いてもうひとつ、そのさらに後ろで何か大きな衝撃と打撃音が地面に響く。
察するに、黒い敵が倒された。今になってここに来た、誰か味方の手によって。
つまり、間一髪のところを助けられたのだ。
「…………あーあ、残念。遅かったかー」
冗談めいた明るい声がやけに響く。
聞き覚えのある声だ。聞き間違えようもない。助けに来たのは、あの金色の髪の少女であるらしい。
「…………こっちはまだ生きてましたか。キャストさんは不便ですね、こんなになっても簡単に死ねないんですから」
いつの間にか私の目の前に来ていた少女は、くすくすと童女のように可笑しそうに笑う。
綺麗な笑顔だった。向日葵とかその手の花を思わせそうな、明るい顔。
思えばあの金色の髪は向日葵の花びらのようで、例えとしては合っていたかもしれない。
だけど、そんな綺麗な笑顔なのに。
その下から覗く二つの赤い瞳だけがやけに暗く澱んで、しかし確かに輝いていた。
この惨状に似合わない笑顔の意図がわからなくて、しばらくその赤色二つを眺めていた。
……あれは、宝石だ。人の目を奪わせたり狂わせる、魔性の光。
魅入られたが最後、魂を売り渡す代わりに願いを叶える系の小さくない悪魔的セールスの類なのだ。
ことここに及んで、ようやく気付いた。
なるほど。この子はきっと、悪い子なんだろう。
「…………助けてあげます」
と。少女はその赤い瞳で私を見下ろしながら、か細い手をこちらに向けて差し伸べてきた。
「………………?」
助けなんていらない。
私は、もういい。それより最後に、私にはやることがある。
それを伝えようにも上手く声が出ない。仕方ないので、彼女のことは無視して後ろを振り向こうとして、思い出す。
そうだ。後ろには、地面に突き立てられた大きな障害物がある。
この子がここに来る時、何より先に突き立てた壁が。
「─────お前、」
一瞬だけ怒りを覚えたが、それもすぐに消え失せた。
彼女の意図に気付いたら、何故かどっと疲れが溢れてしまったのだ。
……だって、ひどい。
この気持ちを、叶わなくなってから気付かされて。その上、せめて最後に願った懺悔さえ許してもらえないなんて。
もう、情けなくって、許せなくって、諦めがついてしまった。
私を見下ろす少女の瞳に、後悔とか謝罪とかの色はない。
そう、彼女に非はない。だけど彼女はどうしてだか、私が何も言わなくても私の意思を察している。
その上で彼女は私を助けようとしているのだ。
当然といえば当然。だけど、それをこうも遠慮なくされてしまうと、その崩れない姿勢には威圧めいた強制力と恐怖を感じさせられる。
『もうお前に自由意志などないぞ』、と。
そう言われている気がして。それに対してそうなのか、と納得してしまうくらいには諦めていた。
……伸ばされた手に、手が伸びる。
動かなかったはずの身体は案外とよく動いて腹立たしい。
「あなたには、私の手助けをしてもらいます」
『だって、もう何もかも諦めちゃったんでしょう?』
彼女の瞳はそう言っている。続けて、『だったら私が自由に使ってもいいですよね』、と。
──手伝い?
ひどいね、とか、それはダメ、とか言うより前に、私はそう反復した。
彼女は私の手を取って身体を持ち上げると、脇から背中に手を回して荷物でも運ぶようにお姫様抱っこで抱えてくれた。
そうして初めに突き立てた壁、もとい私の背丈より高そうな、石の塊のような斧剣を片手で持ち上げて背中に担ぎ直し、くるりと踵を返す。
その間、私にその壁の奥を見せないようにしながら。
「詳しいことはまた後ほど。まずはそうですね、身体を治してもらったらエステ行きましょうか、エステ。今よりもっと可愛くしてあげますとも」
ふふふ、と笑う少女の不気味なほどに明るい笑みにも今は何も感じない。
頭の中を巡るのは、ついぞ見せてもらえなかった私の責任の在り処だけだった。
……いや、待って。それより彼を。そこにいるはずの彼を。
……あれ。でも、どうして私は助けられてるんだろう。
どうして私だけ助かってるんだろう。
どうして私はそれを受け入れているんだろう……?
分からない。考えられない。考えたくない。
今は、疲れちゃった。もう、何でもいいから身を任せて。
今は、そう。少しだけ。楽に。
◇◇◇
──ふと、今目を覚ましたような錯覚に目眩がする。
壊れたユメを見ていたようだ。
広がる森を遠くに眺める。緩やかな風を頬に感じて、何となく手で顔を隠してみる。
それからもう一度、目の前の小さくてちゃっちい石碑っぽい何かに目を落とした。
「…………ごめんね。もう、忘れちゃったよ。あんたの名前も」
その場にしゃがみこんで、私は独白する。
「何て言ったっけね。あんたは何度も私の名前を呼んでくれたのに、私はろくに呼ばなかったから」
ごめんね、ともう一度。
それは本当に、本心からの謝罪だった。
「…………ごめんね。ごめんね。本当に。
ヘタレちゃって。意気地がなくって。正直今でも後悔してる」
……最後に見れなかったのはあの幼女の仕業ではあるけど。
それでも、私にまだ気力が残ってればそうはならなかった。幼女の手を振り払って、それから這いつくばってでも、頑張ればどうにか見るくらいは出来たはずだ。
それをしなかった私が、今は何より許せない。
──だって私は、彼を失った。
彼の最期を受け止めなかった。その事実を察しておきながら、この目で受け入れたがらなかった。
その喪失感が、今もこの胸に空洞を開けている。
それはまるで呪いのように、いつもこの胸を冷たく、辛辣に悪辣に吹き荒ぶ。
『どうしてあの人を捨て置いたのか』と。
「ひどいよね。ごめんね。
…………でも、ごめん。許して。名前はともかく、あんたのことを忘れることは、多分ないから」
私だけは。あなたのことを忘れない。
今もよく覚えている。私に良くしてくれた、私と一緒にいるって言ってくれた、一人の奇特な青年のこと。
あなたのことは、決して忘れない。
「あっ、いた!!おーい、もう帰りますよー!
もー、その格好だと雰囲気違って見間違えます」
聞き慣れた声に振り返る。
駆け寄ってくるのは、金色の髪と赤い瞳の和服少女。
どうやらお迎えに来たらしい。はいはい、と答えて私はくるりと踵を返す。
「…………最後に、やっぱりごめん。
あんたがどう思うか知らないけど。今は今で、まぁ、楽しくやってるよ」
私だけ助かったことへの罪悪感か、それともだから安心して、とでも言いたかったのか。
最後にそう言い残して、私はその場を後にした。