がたんがたん。がたんがたん。




今や年に一度しか聞かなくなった、懐かしいはずの音と感触。
窓の奥に走る景色。座った座椅子の柔らかい感触。利用客がいなくて開けた電車内と、昔はこれによく乗っていたはずだが、今やこの風景に新鮮ささえ覚えている。




それはきっと、これを利用していた頃の自分が『過去』になってしまったからだろう。


今の私が、学生時代の私と別のものになってしまったからだと思う。
時間の流れで記憶が薄まるというより、その時間の内にあった出来事を経て変わった『今』の有り様がまるで別物だという話。
それはもはや、当時の自身を自分の事として実感を持って反芻出来ないほどに。




ふぅ、とひとつ、小さく息を吐くようにため息を漏らした。




たまには懐かしさに浸ってみるのも良いかと楽しみにしていたのだけど、いきなりアテが外れた。期待はずれ、というやつだ。




「ここで降りるぞ」




隣の席から突然の声。立ち上がった彼に遅れまいと、はい、と慌てて席を立つ。
と、ぶら下がっていたつり革にこつんと帽子がぶつかってしまった。。。




「あいたっ!?」




別に痛くはなかったが、思わず帽子の上を押さえる。
最近は髪が長いので外出時には帽子の中にまとめてしまっていたのだが、電車の中ではこんな弊害があるとは。普段なら届かない障害物からの攻撃にちょっと驚いた。。




「おお……あざとい。さすがだな、良いと思うぞ」





「変な感心しないでくださいっ!」












季節は秋、というのにはまだ早いか。日がよく出ていて残暑のしぶとい、しかし真夏を思えば涼しいくらいのお出かけ日和。


この日。私と彼は、デートをした。






我が家では毎年、夏になると必ず足を運ぶお決まりのデートスポットがあったりする。
それは私が学生時代に使っていた駅で、そこのすぐ近くにあるパン屋さんでお昼を買って食べるという小さな気まぐれのような、しかし静かに、確かに約束されたプランニング。




そのパン屋さんというのは確か私が初めて利用したパン屋さんで。
そしていつかの下校中、駅で待っていた彼を連れて行った場所でもあったと思う。




……私は昔から無駄遣いを好まなくって、外でできあいの食べ物を買うなんてことさえしなかった。実際高校を出る直前になるまでそういうことは一切なかった。友達いなかったから付き合いでってこともありませんでしたし
いや、正しくは意味を感じなかったからしなかっただけなのだけど、その辺はまぁどうでもいいとして。
とにかくそのお店は、思い出の場所、というやつなのだ。











「ここは変わりませんねー。お店のメニューはちらほら変わってますが、駅前の街並みは昔のままです。」




色とりどりのパンを詰めた袋を両手に持つ。
それは懐かしむ訳でもなく、嘆く訳でもなく。ただ、思ったままの感想を無意味に口にした。




「変わっていた方が良かったか?」




「いいえ。変わっていれば安心しますが、変わっていなくても安心します。
ですけど、ここには昔の景色を見たくて来てるんですからね。変わっていない方が良かったのかもしれません」




「ま、パン屋は変わってなくてよかったな。俺も結構好きだし、ここのパン」




そうですね、と両手を少し上げて笑ってみる。
こちらを見下ろす彼の顔も、いつもより穏やかに見えた気がした。




このデートコースをこなすも、もう何度になっただろう。
昔を懐かしむ。古い思い出を振り返る。実際にやっていることは同じ場所を同じように歩いて通り過ぎるだけの散歩じみた事だけだが、今とこれまでではその意味合いは違う気がする。




懐かしさは感じない。残っているのは、ただ単純に彼と一緒に外に出かけられるという事実。




それを物足りないとは感じないし、心の底から嬉しいと思えている。
過去の出来事などを考慮せず、今を素直に感じられる。そう実感出来る程度には、私も成長出来たらしい。




そう。期待はずれ、などと不服そうに考えを傾かせてみたが、実際のところこの場所には特に何も思わなかった。
というか懐かしさを感じてみるということにそう大きな意味は感じないし、それも考えてみれば当然のことだった。




なにせ今の私は、昔の私を取り巻いた境遇に何も思わない。
だって単純に、懐かしむほどの親しみも憎しみも羨望もない。あるのはただ、そういう過去があったから今の私がある、という時間的な繋がりだけ。




そんなものはただの記録。あるいは結果でしかない。実感を伴わない事実は他人事でしかない。
今の私にとって、それは特別価値を持たない。



「どうかしたか?」




と、物思いに耽ける私を覗き込んでくるご主人様。


帽子を被っているので、普段より屈んでくれていて目線が低い。いつもより近い視線に思わず目を逸らして、何でもありません、と答えると彼は何も言わずにすぐ引いてくれた。
こういう素直すぎるところは彼の長所だ。短所でもあるけど。




「お店は混んでいましたけど、どこかベンチとかで座って頂きたいですね。帰りはまた歩いてみますか?」




去年のことを思い出してそう言ってみる。
去年というか、割といつもそういうパターンが多かった。あそこのパン屋は席が少なくて座れることは多くなく、帰り道にその辺のベンチに並んで座って食べるのだ。
私はそれも気に入っているけど、かといって帰り道は正直長い。あまり歩いて行くような距離でもないので、どうかと思うのも本心だった。




「そうだな。幸い、この道は公園もベンチも多いからな。せっかく焼きたてを買ったのにすぐ食べれないのは残念だけど、まぁ落ち着ける場所がいいだろう




そう言って、帰り道となる長い自転車道路を並んで歩く。
確かにこの道には点々とベンチがあり、公園も多い。座れる場所はすぐに見つかるだろう。








「ふぅ。あと半分、ってとこかな」




途中で見つけた、人気のない公園という名の林……?のベンチに腰を下ろして息をつく。
ちなみに半分というのは帰り道のこと。時間にしてどの程度歩いたかは分からないが、急に動いて明日筋肉痛になったりしなければいいのだが。。




「そうですね。それはともかくはい、早速頂いちゃいましょうか!」




座ったベンチの真ん中で袋を開けて、中から適当な物をとって差し出す。
彼はそれを受け取ると、む、と一言。




「カレーパン潰れてる…………」




「ごめんなさいぶつけましたかね!?」




笑って許してくれる心優しいご主人様。。。
うう。そしてパン屋さんごめんなさい。あとカレーパンさん。ちゃんと美味しくいただくので許して頂きたい。




「よし、メロンパンは無事でした←
では、頂きます!」




「頂きます」




そう言う時に目線を合わせて会釈してから、ぱくりとひとくち。
うん。美味しい。スーパーで売っている菓子パンなどより値段は張るが、やはりどこか根本的に別物なのではないだろうか。




「何が違うんでしょうね、こういうの……?パン屋さんのパンって、やっぱり何か違いますよね?」




「分からんが、まぁコンビニとかで買う菓子パンは無難すぎてあまりピンとくる美味しさはないよな。肉まんとかは好きだけど」




「あー、肉まん。いつかご主人様が作ってくださいましたよね!あれも好きでしたよ、私!」




「何度か挑戦したけど、コンビニのに勝てる気がしなくてやめたなー。。。
……最近は家事とかまるっきり任せてて、その、悪いな」




「い、いえいえ!ご主人様のことで不満があるとしたら外食の頻度くらいのものです。
ほんと。どーにかならないんですかね。。そこばっかりは。。。」




「あ、あぁ……その……できる限り、断るんだけど、さ……(目逸らし」




はぁ、とため息をつきながら半分食べたメロンパンをご主人様に差し出す。
そしてリアクションを待たずに、その手に持っていたカレーパンの残りをふんだくった←




「あ。悪い、半分も残ってない……」




「構いませんよ、ちょっとご主人様の方が多めな方がちょうどいいです」




もはや半分こにはツッコまない彼と、不満そうにしたかと思えば笑ってみせる私。


思い上がっているかもしれない。増長してしまっているかもしれないけど、それをふと『通じあっている』と感じて、嬉しくなってしまった。




内輪ノリ、というやつか。仲の良い人達なら当然あるだろう、そこだから通じるやりとり。


そういう空間を共有出来た気がして、嬉しくなる。……なんていう程度には、まだまだ私も臆病なのだ。きっとそれは彼の方も。




「昔俺から半分こにしようって言った時は、『何を恥ずかしいこと言ってるんですか(真顔)』みたいなこと言ってたのにな。お前も変わったよな」




「はい、変化を止めないことは心がけております。
そういうご主人様もお変わりになりました。昔はそうやって、やれ半分こだ、それ逢引だと超わざとらしく大きな声で話して周囲の人の視線を集めて楽しんでらっしゃいましたね?」




「いや、別に周囲の視線が欲しかったんじゃない。俺はお前を恥ずかしがらせたかっただけだ、そこは勘違いしてもらっちゃ困る」




「それもそれでタチが悪いですよっ!」




恥ずかしくなってぷいっとそっぽを向いてしまう。
その後ろで、はははー、とまったく悪びれない様子で笑ってる声がする。ちくせう、ちょっと調子に乗ろうとしてみたけど先に耐えられなくなってしまった。。


というか、そういうのは男性からやるのは感心しない。ただしイケメンに限る、という言葉を知らないのか。知らないのかな。イケメンだからな。←嫁補正






…………これも、『懐かしむ』と言うのかもしれない。
昔のことをおしゃべりすること。どう変わったとか、変わらないとかそういうお話で盛り上がってみるのも悪い気分ではないものだ。




きっと、今こうしていることも同じようにお喋りのネタにできる日が来るのだろう。
そんな未来を夢想して、同時に不安に思う。本当にそうだろうか、と。




良いことばかりが続く訳がない。楽しいことがあれば、理不尽に全てを奪われることが必ず来る。
ありもしない物を来る前から怖がってしまうのは悪癖だ。こればっかりはどうにも治る気配がない。




でも、そう思えば今を大事にしていられる。
先に何があるとしても。今出来ることをしたのなら、結果が伴わなくても納得する。容認できるはずだと思う。
いや、そうでなくても無下にはしないけど。




「…………早いな」




それはこれまでの時間の流れが。
ゆっくりとした時間があると、最近の彼は口癖のようにそう呟く。




「はい。早いものです」




それはこれからの時間の流れが。
人一人の視点において、時間の流れは変わることなく、しかしどんどん加速するように流れていくだろう。
 



それを止めることは出来ないし、緩やかにすることも許されない。
人は変わらなくてはいけない。成長し、克服し、各々が自分をより良いものにしようと上を目指さなければいけない。そういうものの集まりでなくてはいけない。いや、そうでなくては嘘だろう。




いつまでも過去に囚われていてはいけない。切って捨てるというのも違う気はするが、少なくとも私に関しては、以前のように昔を思い出すことを怖がるようなことはなくなった。今回のデートで、そう思えた。




「……ありがとうございます。今日は、ゆっくりできてよかったです」




ん、という小さな肯定の返事。




…………それにしても、こうして長い時間彼といられる時はいつも自分を省みることばかり考えてしまう。
嫌という訳ではないのだが、これもこれでどうだろう。目の前の彼を差し置いて、自分の事で頭がいっぱいというのも失礼ではないだろうか。
これも課題かもしれない。こういう時くらい、少し可愛げがあった方が良いかもしれない。うむむ、でもわざとらしくても嫌がられそうだし……。




「……難しい顔してるぞ。でもそれは面白いこと考えてる顔だな?」




「真剣ですよ!?な、何ですか面白いことってどんな顔です!?」




「どれだけ一緒にいると思ってる。お前も何だかんだ、顔に出る時出るよな」




「気の所為です、ご主人様以外に言われたことありません。どちらかと言うと鉄壁の笑顔です(?)」




そうか?といたずらっぽい顔で半分残したあんパンを差し出してきたご主人様。
それを受け取ろうとする時、ちらりと一際強い視線をこちらに向けて、




「まぁ。それを知ってるのが、俺だけというのは悪い気分じゃない」






────────、




(ボトッ)←パンを受け取りそこねて落とした音。




(バサバサバサッッ)←途端群がってくる鳩たちの群れ




「あっ、あんパンがーーー!!」




「ぎゃーー鳩がーーー!?」








※その後、二人であんパンを奪取しようと試みたものの群がった鳩たちの剣幕がヤバすぎて、というかこっちにまで向かってきて断念、その場を去りました。。。




『知ってます?あいつら平和の象徴とか言われてるんですよ?』




『いやー、何者も飢えにはかなわないんだなって……』