布団に潜ることしばらく。
いつまでも眠りに落ちない瞼に嫌気が差して、つい、身体を起こしてみた。
隣からは、小さな寝息が不規則に聞こえてくる。
疲れているのと、熟睡出来ていないのだろう。私はその不器用な声の主に手を伸ばし、髪をそっと指ですいた。
「……………………」
暗くてよく見えないけど、その寝顔は子供のように無防備で。
いつまで経っても変わらない。その姿に、やっぱりこの人はこうでなくちゃ、と安心した。
普段から睡眠時間はあまり確保出来ていないが、明日はいつもよりも少し早い。日付が変わってから帰ってきたくせに、朝六時には出発と来た。
というのも、明日から数日、会社の仲間で海外旅行に行くのだという。
海外旅行。会社の人たちと。いわゆる社員旅行というやつか。
それはいいが、そのことを彼本人が乗り気じゃないことだけは心配だった。
この人は、どうにも人間関係というのが不得手な人だ。
いや、不得手というより、今風じゃないというか。
他人に自分のノリを分かってもらえないから、そもそも応答以上の会話をしない。きっと彼なりの自衛手段なのだろう。
それに私も、はっきり言って旅行なんて行ってほしくない。
そんな暇があるなら四日間の休日を寄越して、がっつり家で休ませて欲しい。
最近の仕事の時間はいくらなんでも長すぎる。睡眠と食事の時間を極力減らして、とにかく仕事だけどうにかこなすので精一杯の毎日だ。休日も平然と出勤するし、ブラック気質が染み付きすぎだ。
彼の体力は信頼しているけど、流石に限度というものがあるだろう。
ていうか私が寂しいですし←
ここの所、家に帰ってこられてもあんまり相手してもらえてませんし。余裕がないのは分かるので、まぁ、仕方ないんですけど。。
そうこうしているうち、朝のアラームが鳴り出した。
時刻は四時半。少し余裕を持って鳴らしたのだろう。
私は、その早朝には響きそうな軽快な大ボリュームを急いで止めて、それからもぞもぞと動き出した背後の気配に振り返った。
「おはようございます。四時半ですよ」
「……………んぅー………………」
あら可愛い←
「じゃなかった。。。ほらほら、ご主人様。朝ですよー」
いきなり大声も刺激が強いかと思って、とりあえず控えめにぽんぽんと肩を叩いてみたりする。
と、おもむろに身体を起こすご主人様。
寝起きの悪い彼にしては珍しく、1度目のポンポンでこちらに視線を向けてきた。
「………………おはよう………………」
「はい、おはようございます!」
寝惚け眼を覚まさねばと、今度はいつもよりテンション高めに声を出す。
それに驚いたように彼はちょっと仰け反るようなポーズをしたが、それからもう一度目を合わせると、既にハッキリと焦点があっていた。
「……おはよう。朝ごはん、とりあえず食べないとな」
「お持ちしますね。先にお着替えなさっててくださいませ。あ、寝てちゃだめですよ?」
などとちょっと悪戯っぽく念を押してから、私は寝室の戸を閉めた。
軽い食事を取って、持ち物など最後の準備を済ませて、飲み物を片手に時間を待つ。
朝の早さに寝過ごしてしまわないかが心配だったが、時間になってしまえばいつもよりも断然に余裕を持って過ごせた朝だった。
その間、旅行のことは何一つ話さなかった。
転がって出てきた話題と言えば、ゲームの事とか、最近は体力がどうとか、そんなお話。
体力はまぁ、はい、正直衰えてますし、私も気にはなってましたけど。。。
でもいいんです、筋肉落とすのが最優先だったので。
「うーん。どうなんでしょう、昔より細くなりましたかね、私?」
腕を前に出して彼に見せながら聞いてみる。
彼は素直にその腕を見て、うーん、と一度唸ってから、
「そうかもな。いや、当然そうだろうけどさ。
でも体力が落ちてゲームが下手になってきたとかすごく認めたくないものだな案件なんだが……」
「下手っていうか、集中力?が落ちたとは感じてます。。。四季の場合はゲームより、ブログを書くところで感じるんですが」
そんなもんか、と小さく笑ってから腰を上げる。
それを見て、私も彼に言われる前に立ち上がった。
視線を交わす。
そうして、言わなくても分かってることを強調するように、彼は改めて確認した。
「そろそろ、行ってくる」
「はい」
簡潔に答えて、玄関まで向かう彼の背中について行く。
…………そういえば、今日だけではない。結局、旅行の話なんてその日付と準備以外のことはほとんど口にしなかった。
だから分かったのは、『行きたくないなー』という怠惰っぽい彼の気持ちくらい。
私も彼が口にしないのならと、必要な持ち物をあれこれ口出ししただけで特に『楽しんで』とも『ごゆっくり』とも言わなかった。
言葉にしなくても通じている。
……なんて、カッコいいものなら良いのだけど。これは単に、お互い言ってしまっても困らせるだけだから口を噤んだだけのこと。
通じているものは確かにあるけど、そんなことを分かってもあんまり嬉しくなるものでもない。
嫌だと言ってしまえば、余計に悲しくさせる。
寂しいと言ってしまえば、余計に心配にさせる。
「忘れ物、大丈夫ですね?」
「ん。」
「お財布、スマホ持ちました?
歯ブラシとお風呂関係は大丈夫です?
寝巻きとお着替え、ありますね?
あ、メガネケースは?メガネ拭きも!」
「ん!」
「…………えっと、あ、朝ごはん足りました?お腹すいてません?あ、お水は?」
「大丈夫大丈夫。。。」
ちょっと呆れ気味に苦笑するご主人様。。。
ぐぬぬ。だってだってやっぱり嫌なんですもん!←
「………………じゃあ、はい」
そう言って、彼に向かってばっ、と両手を広げてみる。
「え。」
キョトンとするご主人様。
だがそんなごまかしなど通すものか。
「ん!」
さぁこい、とばっちこいの体勢でもっと手を広げてみる。
すると彼は何故かあっさりと観念してくれたらしく、自分の両手を私の手の下に通して、後ろから背中をちょっとだけ押して、軽く抱き寄せた。
────沈黙。
その間、数秒だったろうか。数十秒だっただろうか。
仕返しのつもりか、私の背中に回した手をポンポンと叩きながら変な微笑みでこちらの顔を覗いてきた。
「…………あっさりさせて下さるんですね?」
抱き寄せるなどと言っても、背中に手のひらが届くかどうかというくらい。およそ抱くという表現には遠いものだ。
だというのに彼は、ここまでな、と言ってすぐに身体を離してしまった。
「────行ってくる。じゃあな」
そう言い残して、こちらの返事も待たずにドアを開ける。
「あ、はい!行ってらっしゃいませ、お気をつけて……!」
不意打ち気味な出立に慌てていつも通りの挨拶をする。
それを聞いて、彼は横目にこちらを見ながら、閉じるドアの向こうで軽く手を振っていた。
「………………………はぁ」
ため息をひとつ。私はとぼとぼと寝室に戻った。
…………彼のいない生活なんて、考えるだけでもげんなりするのに。
これまでも、朝夕に必ず顔を合わせられていてもまだ足りないと嘆いていたのに。
3泊4日。
それだけの時間、彼は楽しくもない旅行で上司のご機嫌伺いに勤しみ、私は死んだように過ごすことになるのか。
スマホを開いて、時刻を確認する。
とりあえずもう一度仮眠しようと充電器を差して、そこで大事なことに気付いて彼のスマホに電話をかけた。
「はい!どうした!」
「ご主人様、スマホの充電器忘れてません???」
「うわー取りに行きます!!」