「ただいま」




夜、日付が変わって少々といった時分。
居間の戸を引いて入ってきた彼の声は、やけに疲れているようだった。




「はい、お帰りなさいませ!お疲れ様です。お夕食ちょっと待ってくださいね、今ゲーム切りますので……!」




そう言って、pso2でお話していた方たちと一言だけ挨拶を交わしてログアウトする。




本当は今晩、夜に一緒に買い物に行こうなどと行っていたが、それもここまで遅いと明日に響くし中止だろう。
深夜に買い物に行くと普段は何か買って帰ったりするのだが、今日は一応作っていたというよりド忘れして用意してたのが幸いした。




いや、というより、そうしたかったのだと思う。
 



最近、やけに遅い日が続いたのだ。
飲み会の日とかは仕方ないにしても、ここしばらくは出勤の日となると日付が変わるまでに帰ってくる日の方が珍しかった。




昨日は2時過ぎ。一昨日は1時半。それで朝は8時に出る。
お盆の時期も過ぎて、今は別に忙しい時期とかそういう訳でもない。それなのにそんな生活が続くようでは、さすがの彼でと体力的にも精神的にも無理が出てしまう気がして。




だから、たまの買い物デートは嬉しいですけど、それより今は少しでも長く休んでほしくて。
自分でも、彼の帰りを待つ時間が切実になってきている自覚はあった。




PS4の電源を切って席を立つ。
じゃーさくっと温めてきますね、とか言って台所に早足で向かおうとすると、いや、とその背中を呼び止められた。




振り返ると、何やら言いづらそうに目を泳がせている様子。
なんだろうと思って立ち止まっていると、彼はこちらと目を合わせるのを避けながらこう言った。




「あー……えっと、夕飯、食べてきたんだ。






──瞬間。ぴしっ、と自分の時間が止まったように何かが固まった感覚が走った。






「……悪いな、連絡入れなくて」




続く謝罪の声にハッとする。
それから申し訳なさそうな彼の目と視線が一瞬重なってしまって、今度はこちらが思わず目を逸らしてしまった。




「いえ、それは、はい。。
でしたら、早めに休みますか?」




「いや、お前は食べてないんだろ?俺はともかく、四季は食べてくれ」




「あー……私も、ちょっとお昼多く取ってしまいましたから、あんまりかなーと思ってましたので……」




む……、と口を噤んでしまうご主人様。
私はその隙にと、ちょっと片付けてきます、と言ってそそくさと台所に逃げだした。










お昼が多かったのも嘘ではない。


だけど、彼の為に用意したものを一人で食べるのは、どうにも慣れない。
それは多分気持ちの問題。そういう場面は幾度となくあったけど、どうしても喉を通らないので、時間の無駄なのだ。




お米をタッパーに分けて冷凍庫にしまいながら考える。
彼だって分かっているだろう。自分が食事をいらないなんて言わなければ、私も普段通りに一緒に食べていたことは。


そしてそれを自分のせいに思ってしまうだろう。
あるいは拗ねてしまったかなとか、そういう風にも思われているかもしれない。最悪それを面倒くさく感じられているかもしれない。




そう思うと、少しだけ寂しい。
余人にどう思われようと構わないけど、あの人にだけは誤解したまま終わって欲しくない。


でも、それをわざわざこちらから訂正する勇気もないのだ。
あの顔を曇らせたくないし、そんなことに彼の時間を費やすくらいならさっさと休んでほしい。




そうやっていつも後回しにして、最後にもううんざりだと見当違いな捨て台詞を吐かれていつの間にか捨てられている。
そんないつものパターンを知っていながら、そういう自分から脱却できないでいる。






どうして連絡のひとつもしてくれなかったのか。




そんな言葉が頭をよぎって、思わずブンブンと首を振った。
何をそんなに不満がっているんだろう、私は。
たかだかお夕食を1日すっぽかされたくらいで穏やかでなくなるなんて。




いや、彼に食事はいらないと言われた時もそうだった。
普段ならもう少し軽く流せるのに、今日はやけに効いた。なんと言うか、胸にちょっとした風穴が空いた。




もちろん外食されて帰ってこられること自体嫌なものは嫌だけど、それは何度も言ってるので彼も分かっている。だから必要な時には仕方なく、というスタンスのはずだ。
連絡の有無もそう。連絡はして下さいと、これも何度言ったか分からないけど、それでもそれがなかったのなら今日はできなかったのだろう。
さしずめ穏やかじゃないノリで上司に連れていかれた、とかそんな所か。あの方、クズい男性相手には嘗められるか目の敵にされるかのどちらかだからなー。。




別にその真偽はどうでもいいのだけど。それを許さないほど自己中心的なつもりは無い。だって悪意のない過失を責めても何も益はない。


文句というのは、次は気を付けて欲しいからぶつけるものだろう。相手の改善を求めないならただのストレス発散だ。 それを他人に向けるほど偉いつもりも、対等に付き合っているつもりもない。
というより、疲れて帰ってきただろう人に追い討ちをかけるような小悪党な趣味はない。




実際、許せないとかそんな気持ちは今の驚きひとつで消えてしまう程度のものだったし。
それでも残るこの胸の空洞は、やっぱりきっと、寂しさという奴なんだろう。




「…………………はぁ」




自分の短気ぶりに失望しそう。
今の生活に慣れて、いつも彼が良くしてくれるのが普通になってしまっていたのかもしれない。




…………よし、今日はいつもより甘やかそう。
今日できないなら明日。ちゃんと時間が取れるまで。
寂しさを埋めたいという欲求もあるけれど、それより先に不満に思ってる訳ではないアピールを早めにしなくては。拗ねてるとか怒ってるとか思われたくないですし。おすし。


今あの人に必要なのが何かは分からないけど、私に出来るのはそのくらいなのだから。










片付けを終えて寝室を覗くと、床からベッドに上半身を預けて倒れ込んでいる彼の姿があった。




やはり落ち込んでいるのだろうか。しょうがないなー、と小さく口にしながら部屋に入って、彼の突っ伏している横にストンと腰を下ろしてみた。




「…………四季」




「最近いつもそんなんですね、もう」




彼の言葉を遮って、ベッドに放り投げられた彼の手に、上からそっと手を重ねる。 
すると彼はその手を引こうと動かしかけたが、すかさず手首を掴んで捕獲した←




「えっ反応早い。。。」




「お疲れですか?お膝、使います?」




ぽんぽん、と空いた手で膝を叩いてみる。
彼はうつ伏せていた顔をこちら側に向けてから一度笑って、いや、とだけ返事をした。




「…………お疲れ様です。でも本当に最近は遅いですし、早めにお布団に横になって休みませんか。それか、少し気晴らしとか必要でしたらそちらでも」




「明日は早めに出ないと。今日はずっと話を聞かされてて、自分の仕事をさせて貰えなくってさ」




ご主人様の邪魔になる奴は皆新幹線に撥ねられて死ねばいいのにもう、そんなんばっかりなんですから。。自分の仕事だけこなせば良いのです。




「まぁ、そうなんだが……」




と、顔を反対側に向けてしまうご主人様。
仕事の上で中々そうもいかないのだろう、バツが悪そうに頬をかきながら言葉を探しているようだった。




「…………忠告しておきますけど。ご主人様は、一定数の人間には無条件で見下されて、罵られて、その癖良いように使われるだけのカモなんですからね。
無視の仕方がなってないんです、敵意を向けないのに下手に口を利くからつけあがるんですよ。
善人ぶるのも結構ですけど、毎日の生活に支障が出るまで付き合わないでください




「よく分かるなお前……」




「餓鬼畜生の常識は分かりかねますが。あなたのような方の死に様は想像つきますね。。。」




などと言ってくつくつと嫌な笑い方をしてみるも、彼は力なく鼻で笑うだけだった。




…………困った。想像以上に疲れているのだろうか。
もう少し反感を持ってもらわないと、私までただ彼を罵倒しただけになってしまうじゃないか。




ふと、今度は彼の頭の上にそっと手を乗せてみる。




「ちょ、い、今は…………!」




振り払おうとする彼の力無い手をもう片手でガードして、構わずポンポンする。
ていうかいつもの仕返しです。よくこうやって四季の頭ぽんぽんするじゃないですか。。たまに勢いあって痛いですけど




「それは男の特権だと思う。男としてはそう、格好つけるのは義務みたいなものもあると思うと主張します」




「え、格好つけてたんですかアレ???
ていうか四季に格好付けたかったんですか?やだもーご主人様ったら!(はぁと)」




わしわしわし、と頭をぐちゃぐちゃにする←
うぐ、とか何か呻きながらも反論に困ったのか、観念して受け入れる体勢に入っていた。




……少しは気もほぐれただろうか。その様子を見て、少しだけ安心した。




「まぁ、そうですよね。四季も自分より弱い子というか、そういう方に対してやたらとイケメンムーブして懐の広いフリをしてみせたりとかしていた自覚がないでもないです。
別に見せたいとか、目的があってそうしていた訳ではありませんが。しちゃうのは分かります」




「お前割とナチュラルに上から目線だからなー。そんなだから嫌われるんだぞ?」




「む。仕返しですか。。ふんだ、別に構いません。
甘いと美味しいの差も分からないお子様にナメられたところで、四季は痛くも痒くもございません。生姜の美味しさを分かってから出直してきてください。




「その比喩表現は実際わかりづらいと思う」




えー。




と、急に身体を起こすご主人様。
こちらも手を引いて、座ったまま立ち上がった彼を見上げる。




「…………ありがとな」




そう言って、ぽん、と私の頭に手を伸ばして触れてきた。




いつもよりやや優しめな感触。
私も身体の力を抜いて、目を閉じて、ただその感触を確かめる。




「…………お前にいつも助けられてる。ありがとう」




本当は、そんなお礼は余分なのに。
だって、救われているのは私の方なのに。




だけどそう言葉にしては繰り返しになってしまう。


それに、言葉にしなくても分かっている。
きっと伝えたかったことはそこではなくて、『だから』どうだという話。




本心なんて口にしなくても分かっている。
言葉にできない思いも悩みも多々あれど、それよりもお互いを信頼している。
だからこれは、どちらかと言うとお世辞とか社交辞令のようなもの。本心ではあるけど、本当に大切なそのものではない、その隠れ蓑。


だから私の返事も、慣れ親しんだ初めの言葉で。




「はい。四季はあなたのものですよ」







…………そう思いつつ。いざ口にしてみるとやっぱり向こう1ヶ月くらいは御免だな、なんて冷静に恥ずかしくなってしまうのだった。。