「姫さん、これ。バレンタインのお返しです」
朝。まだ四季ーずが居間に揃って、コーヒー片手にテーブルを囲んでくつろいでいる朝食後の軽いひととき。
猫四季さんは皆さんの前で唐突に、しかしごく自然にホワイトデーのお返しを手渡した。
「……あ、そういえば、そうですね。今日、ホワイトデーでしたか。」
対して白いドレスの女性はとぼけたもので、まるで本当に忘れていたかのように口許に手を当てて軽く笑って見せてきた。
……その姿がいつも以上に可愛げを残していて、少し驚く。
普段の静かな雰囲気が大人びて見えるからか、そんな彼女の不意に出た少女的な仕草に、つい目を奪われてしまった。
それから姫さんは猫さんに差し出された四角くて平べったい、いかにも市販品らしい贈り物を両手で受け取って、
「ありがとうございます。今開けても?」
「あ、はい。せっかくですからコーヒーと一緒に。というか、ホワイトデーってチョコで良かったんでしょうか……?」
どうなんでしょう?と素直に首と一緒にかしげられる金髪。
そこはどうだったとしても『問題ない』と答えておいて良いところです。
「まぁ、物によって意味だなんだは色々あろうがな。
しかしマシュマロなんぞ貰っても腹はふくれんし、そもそもイベント事において、細かすぎて認知されていないルールなど捨て置け」
とは、二人のやり取りを隣から堂々とガン見していた御前さん。。
言い残すように彼女は腰を上げて、すたすたと台所の方に姿を消す。
それから間もなく戻ってきたかと思うと、その手には大きな四角いお皿を持っていた。
「そういう訳でだ、姫。私からはこちらを」
とん、と無駄にイケボしながら控えめに音を立ててテーブルに置かれた大きなお皿。
その上には、数種類の小さなクッキーがそれぞれ列を作るように綺麗に並べられていた。
まぁ、と手を叩いて喜ぶ姫さん。
その横で、うっ、と自分が渡した市販の包装と見比べているメガネの人がいた気がするけどそれは見なかったことにする。。
「御前さんも、ありがとうございます。
ですが量もありますから、皆さんで頂いてよろしいでしょうか?」
「そこまで私に言わせなさい。ええ、こういう方があなたの好みだろうと用意したのです。
というわけで私も頂きますから、なくなる前にとりあえず一種類ずつくらいは食べるように」
はい、と可笑しそうに笑う彼女の顔は、本当に楽しそうだった。
「…………待って。私も持ってくるわ。見ておいて渡さないって言うのもやっぱりおかしい気がするし」
と、白さんが御前さんと同じように台所に向かう。
続いてじゃあ私も、と慌てて立ち上がる闇さん、魔女さん、mk-2さん。
結局、その場にいた全員が各々用意していた物を持ってきて、その場で姫さんを囲んで一斉に手渡す形になってしまっていた。。。
──賑やかなお菓子パーティーも終わり、静かなマイルームで一人、キッチンに立つ。
ホワイトデー。それは、想いをチョコレートに込めて贈るバレンタインデーから1ヶ月後、そのお返しの日。
──湯煎したホワイトチョコに蜂蜜を入れる。
想いを告白する日に対して、受け止めてその返答をする日。
渡した想いがようやく答えを出す日。
平たく意味を拡げてしまうなら、誠意に対する返礼の日である。
──大丈夫なのかと疑うくらいに分離してしまったが、とにかくくっつくように祈って混ぜてみる。
もちろん彼女がバレンタインの日、知り合いに片っ端から贈りまくったチョコの群れは、そのどれもがいわゆる『義理チョコ』と呼ばれるものだったのだろう。
想いを込めるだの告白だの誠意だのと、そう深く考えるほどの意味を持たないものだっただろうとは理解している。
──大丈夫。くっついた。ちゃんとチョコしてる。
あとはそれを3種類の大きさに3つずつ分けて、丸くして、それから少し横に伸ばす。
それでも私がこうして敏感になっているのは、きっと渡された側としてはそれこそ誠意を持って返すべきだと思うから。
バレンタインの形に沿って渡されたのなら、ホワイトデーの形に沿って。
チョコを渡してきた時の気持ちの軽さは彼女の様子を一目見て分かっていても、ならこちらも軽い気持ちで、とさっぱりしていられるほどの器用さは持ち合わせていない。
『──そう言えば、そうでした』
あのあっけらかんとした顔、まるで意識していなかった風な素振りを思い出す。
いや、思い出しただけであって、どう思うとかではないのだけど。
だが、それをやたらと反芻する。彼女が皆さんにお返しをされて喜んでいる姿を思い出す。
思い出す度、きゅっと唇が固く閉まる。
それが何かの促進剤になっているのか、作業を進める手はいつになくスムーズだった。
冷蔵庫に入れてしばらく、作業しやすい硬さになったチョコを小さいパーツから丸めていき、それを包むようにして大きいパーツを外から重ねていく。
『──はい、ちょっと、近いですね』
バレンタインの日、至近距離で見た彼女の赤くなっていた顔を思い出す。
いや、思い出しそうになって頭をブンブンと振って邪念を振り払う。手作業なのだから、集中しなくては。
「……あとは、カップケーキの上に乗せて、と……」
そうして丸めたチョコを重ねたものを既に用意していたカップケーキの上に乗せ、金箔をまぶしたら出来上がり。
御前様直伝、初心者でもできるお洒落なお菓子作り術そのいち。『薔薇乗せカップケーキ(仮)』はひとつの失敗をすることもなく完成した。
「……………大丈夫、ですよね。一応味見しておくべきでしょうか……………」
「はい、味見はしておくが吉かと。
味見役が必要でしたら、どなたかお呼びしましょうか?」
「ありがとうございます。ですが、これは姫様のためにご用意したものですので……、
って、姫様!?」
背後からの声に驚いて振り返ると、そこにはさも当然のように噂の金髪碧眼お姫様がいらっしゃった。
はい、姫です、とかにっこり笑顔で自己紹介してから、ひょいっと私の手元のカップケーキたちを覗き込んでくる。
慌ててその視界を遮るように彼女の目の前に立ちはだかると、姫さんは不服そうに私の顔を見上げてきた。
「む。メイドさん。私の為とかなんとか言ってませんでしたか?」
「……………………………シチュエーション、というものがございます。ムードとか、そういうの」
感情を顕にした、彼女にしては珍しい表情を惜しく感じなからも、全力で顔を背けて苦し紛れの返答をする。
すると彼女は何を納得したのか、なるほど、とぽんと手を叩いてから、
「では、今からムードを作りましょうか。それとも今はお待ちしましょうか。」
「待っている方向でお願い致します!!」
「というわけで、改めまして。どうぞ、こちらを」
喫茶店風のマイルームBに移動して、彼女の待つテーブルに例のお菓子を乗せた皿を静かに置く。
それからティーカップをその隣に置いて紅茶を注ぐ。
「薔薇乗せカップケーキ(仮)でございます。名称については御前様が鋭意考案中とのことです。拙い出来で恐縮ですが、どうぞお召し上がりくださいませ」
お菓子と紅茶を見て、まぁ、と喜んでくださる姫さん。
が、それからふと目を曇らせて、あの、と不安そうにこちらを見上げてこられた。
「ありがとうございます。ですがあの、私、紅茶のマナーとかはよく分からないのですが」
「ティータイムという程洒落こんだものでもありませんし、人の目もございません。気兼ねなくお楽しみください。
強いて申し上げるのでしたら、テーブルが低いので、紅茶をお飲みになる際にはコップの受け皿の方も持ち上げられるとよろしいかと。
それとこれは私のオススメですが、1杯目はそのままで、2杯目にはミルクを入れてお試しになっては如何でしょうか。参考までに」
「ではその方向で。頂きますね」
こちらに会釈をしてから、かちゃりと小さく音を立ててソーサーを持ち上げて、ティーカップに口を付ける。
その一連の動作に、ほう、と小さくため息が漏れた。
……綺麗だ。
わからないとは何だったのか。それ以上の言葉が思いつかないくらいに、この人の姿は綺麗そのものだ。
「……ふふ。これだと、お姫様と言うよりお嬢様みたいですね」
「お嬢様とお呼びした方がよろしいでしょうか。メイドとしましては、その方が合っている気もします」
「うちのお嬢様筆頭は幼女さんですから。あの子に使ってください。お嬢様は少し、恥ずかしいです」
「そう言えば、今日はお客さんがいらっしゃいませんね。来られても今は少し困ってしまいますが……もしどなたかいらっしゃったら、分けてあげても?」
「本日、当喫茶店は姫様の為に貸切とさせて頂いております。
具体的に申しますと、先程お部屋に鍵をかけさせて頂きました」
「物理ロック。つまり二人きりですか。ふふ、緊張してしまいますね」
「御用がないようでしたら下がりますが」
「もう。そう言わずにいてください。」
「メイドさんも座って、一緒に頂いたりはしませんか?」
「メイド的にノーです。今日に限っては、私は姫様のメイドのつもりですので。
ですが可能な限りはご要望にお応えしたいと思っております。なんなりとお申し付け下さいませ」
「ところで、『お申し付けください』っていう言い方は敬語的には間違いだとかなんとかって聞きました。その辺メイドさん的にはどうなのでしょう」
「常用されている物であるならば、その正否を問うことは不要かと。慣用句として用いられる以上、辿った元がどうであれ現実問題にならないのですから。そういう意味ではむしろ正しい言葉なのではないでしょうか」
「ふふ。分かってはいたのですけど、すみません。そう言葉にしてみて欲しくて、からかってしまいました。さっき意地悪されたから、ついカウンターをと(ง'ω')و三 ง'ω')ڡ≡シュッシュ」
「…………姫様。お茶菓子の上で(ง'ω')و三 ง'ω')ڡなさいませんように。それと、言葉にして欲しいというのは?」
「そこはそれ、二人きりですし。私とメイドさんの仲じゃありませんか。言葉にしてほしいっていうのは…………、
…………ふふ。そんなに恥ずかしがらないでください。こっちまで照れてしまいます」
気安い紅茶を嗜むのには、少し長い時間が過ぎた頃。
ケーキも紅茶も切らして片付けた後も、しばらく彼女は席を立とうとはしなかった。
その視線はただ窓の外をじっと眺めるばかり。
シーナリーパス的に言うと市街地にかかる夕暮れの景色には、金の髪も、白いドレスも、そのどれもが不釣り合い。
まるで似合わないくらいに、彼女の姿は眩しかった。
「………………どうなさいました?」
その背中につい、声をかける。
彼女はこちらに振り返ると、いいえ、とその綺麗な髪を横に振った。
「眺めていただけです。
…………私、たしかにバレンタインにはつい張り切って色んな方にチョコをあげてしまいましたが、こんなに皆さんからたくさん貰えるなんて思っていなくて。
予想以上というか、予想外で。びっくりしちゃいました。メイドさんに至ってはこんなにその、色々と用意してもらって、準備してもらって。」
こんなに良くしてもらって、ダメじゃないでしょうか。
彼女は最後にそう言って、外を眺めていた目を伏せた。
…………良くしてもらうことは、ダメなのか。それは『自分にそんな価値があるのだろうか』と思い悩むということか。
他人に認められる自分が許せないのか。
それとも、他人に認められる訳がないと思ってしまうのか。
いずれにせよそんな彼女にはまるで似合わない弱音に、少しムッときた。
「…………ダメ、とは。積極的ですね。」
「ふふ。あなたのそういうとこ、好きです。」
「と、突然何ですか!私、今結構きついことを申しました、けど……」
「…………叱ってくれるところが、好きです。
優しい人が好きです。他人に熱くなってくれるあなたが好き。だって私にそうやってぷんすかしてくれる人、少ないんです。
だから私、メイドさんのことが好き。
…………ふふ、ごめんなさい。ちょっと強がってたというか、我慢しすぎたみたいです」
振り向いた彼女の顔に、どきりと胸が高鳴った。
困ったような、弱ったような照れ顔。夕日に照らされるのには少し色っぽすぎて、見ていてくらりと目眩がしそう。
何を我慢していたのか。何を強がっていたのか。
そんな、彼女がもう言ってくれた言葉をもっと欲しがる自分の浅ましさに恥じ入りつつ、だけどそれこそ我慢できない自分がいる。
それから突然すっと立ち上がる姫さん。
彼女はこちらに視線を移すと覚束無い足取りで歩み寄ってきて、とん、と私に正面からもたれかかってきた。
「ひ………姫様、あの…………!」
軽い身体を抱えて支える。
彼女はそれを恥ずかしそうにはにかみながら、いつかのような笑顔で、もっと近くで、私を間近に見上げていた。
「…………もっと早くから、言っておけばよかったんですけど。
…………………さすがに。食べすぎたみたいです」
「…………………………………………………………はい?」