「調子はどうだ」
時刻は、深夜1時前後。
ベッドで寝ていた私に小さく問いかけるその声に、私はぼうっとしていた意識を取り戻した。
「……あ、おかえりなさいませ。
……熱はそこそこ、今は腹痛と、だるさで目を開けてるのが億劫、ってところです……」
優しい問いかけに相応しい、厳しい報告。
実はここ最近、体調が悪かった。
とはいえ前の晩には熱もなくて、だるさも全然無かったのだけど。
朝起きたら微熱と気だるさがあって、午前中はゴロゴロして休んでいたのだが、
夜にPSO2で約束があったのでそれだけでもとログインしていたら腹痛と一緒に一気に熱もだるさも元気を増して、これは無理だとベッドに潜り込んでこのザマなのであった。
彼は私の言にため息のひとつも漏らさず、少しだけ笑顔を残した真面目な顔で、うん、そうか、と私の頭を撫でてくる。
「…………。あんまり、近くに……」
「うん、そうだな」
聞いちゃいねぇ。
ともあれ帰ってこられたなら起きなければ。
私が身体を起こそうとすると、彼は私の額に指をトンと立てて、
「休んでろ。夕飯ありがとな。
あ、あとただいま。」
きっといい感じにくらっと来そうなイケメンな笑顔でそう言ったのだろうけど、目をしっかり開けられなくて、よく見れなかったのが残念だった。
小学生の頃、熱だか風邪だかで学校を休んだことがあった。
いや、 私は子供の頃から病弱で、毎年少なくとも1度は寝込むことはあったと思う。
だからそれ自体は珍しくなかったのだけど、そんなよくあったはずの看病イベントで、心の奥に今でも輝く思い出が一つ残っている。
……あんまりしたくない補足をしておくと。私の親は厳しいというか、経済的にも性格的にも当時の精神的にも余裕がない人だった。
仕事と家事に急かされていて、それ以外にできることがあんまりない人だったから。
できることと言えば酒とタバコ。余裕なんかまるでなかったはずなのにその二つだけは絶対やめない辺り、頑固さだけは私の親だなと思ったものだ。。
で、そんな大概余裕のなかった親が、体調を崩して学校を休んだ私に、見慣れない物を買ってきてくれた時があった。
我が家では見ることさえほとんどなかったコンビニの袋と、その中の市販のお弁当とリポ○タンD。
弱っていたからか、物珍しい使い捨ての容器にか。
それともお弁当が子供向けな甘いオムライスだったことにか。
その小学生はそれが自分でもよく解らないくらい嬉しくなって、感謝して、そして再確認した。
『ああ、私、この人が好きだな』って。
この人はこんな風に他人に優しくできる人なんだと。オムライスひとつで陥落するちょろい子供、みたいな笑い話でもあるのだけど。。。
まともに動かない身体じゃいざとなったときに身を丸めることも、逃げることもできやしない。
そんな恐怖で疑心暗鬼になっていた時に気まぐれに見せられた優しさに、すごく安心できたのだ。
……あの時以上の他人への純粋な好感を私は未だに知らないし、きっとこれからもないと思う。
美談でもなんでもない、振り返ればよくある家庭環境の闇のつま先。
だけどそれが今でも私の心の奥で、尊い思い出として輝いている。
……簡単に言ってしまえば。
私は、誰かを信用したかったのだ。
だるい身体を奮起させて、夕飯のカレーを無心にお腹に積めてからしばらく。
ベッドに座って寝る準備を整えていた私は、昔の思い出と今の現状を重ねて考えてしまっていたと思う。
一度限りの美談モドキと同時に、普段の扱いを思い出して。
『こうも具合が悪いと、何をされても抗えない』
そんな理由のいらない、ただの妄想と現実を目の当たりにして。
頭をめぐるのはどれもこれもがバッドエンド。
不思議なくらいに良い未来にモヤがかかる。そのくせ悪い未来ならいくらでも鮮明に想像できてしまうからたちが悪い。
――怒って、ないかな。
ちら、と彼の背中に目を見やる。
私のいるベッドに背中を預けてスマホを弄ってる彼の様子からは何の感情も読み取れない。
というか、彼は理不尽と弱いものいじめを何より嫌う人だ。体調を崩してる相手に怒るとか、そういう人ではないことは私が一番知っている。
だというのに拭えないこの不安。この恐怖。
くっきりとまぶたに浮かぶそのイメージは、これまで私が築いては壊してきた人間関係の賜物か、なんて自嘲したくなる。
……タチが悪い。ナーバスも大概にしろってんです。彼はそんな人じゃないって知ってるくせに、それでもまだ信じられない自分が許せない。
――だって人間、気まぐれ一つで簡単に心変わりしてしまうものだから。
そう、私の経験が無感動に告げる。
もし、やっぱりちょっとはイラついていて、その上私が気にくわないことをしたりでもしたら、今度こそ――
「四季」
「はっ、はい……!」
よいしょっと彼はベッドに腰を掛けて振り返り、私と視線を合わせてきた。
「カレー、美味しかったよ。ありがとな。
でも、体調悪いのに無理して作らなくても良かったのに」
あんまり表情に出さなかったけど、多分私を安心させようと笑いかけてくれていたと思う。
……なんて、優しいひと。
『誰であろうと、人は信用しない』
それは言葉にするまでもなく身に付いてしまっていた、私という人間の習性みたいなものだった。
どういう人間なのかは計る。
何をする人なのかは想像する。
その人のなす事、どこまではするだろうという仕事の信頼みたいなものはする。
だけどその本音は信じない。言葉として言われたことを鵜呑みにしない。
本気で言ってるかどうかは信じるとしても、じゃあその時本気で言ってるからその人が必ずそうするだろうとは思わない。
何故かと問われると難しいけど。強いていうならさっき言った通り、心変わりなんて唐突だし、珍しくもないことだから。
気まぐれも裏切りも当然誰にもあり得るし、なったらなったで『ま、そうなりましたか』と納得してしまうのだ。
優しい良い人だと思っていた人が、突然誰かの悪口を言い出すこともある。
ひどい悪い人だと思っていた人が、義憤に燃えることもある。
そりゃあ、良い心も悪い心も誰にでもある感情ですし?らしくないこともしたい時くらいあるでしょうとも。
例えば『掃除をサボって帰っちゃおうかな』みたいな初歩的な悪い心は誰しも覚えがあると思う。
そういうジレンマに苛まされながら、でもできるだけ良い方を選んで行動に移していこうと努力するのが人間らしく生きる前提であり、第一歩だ。
だから人が悪いことをするのに理由なんて求めない。そんなものはないんだから。
別段それを否定もしないし、悲観的に捉えているつもりもなければ、当然あるものだと納得もしている。
大抵の悪いことは、楽しそうだから道を踏み外してしまうんだもの。
……そこへいくとこの人は聖人じみていて別の恐怖すら覚えるけど、まぁそれはさておき。
「……あの。ご主人様。怒らないんですか?四季が体調崩して……」
……調子が悪かったからだ。
私はおずおずと、しかし本気でそんなことを尋ねてしまった。
「昨日言うことは言った。悪くなったなら今は早く直せるように、してほしいことがあれば言え。」
端的な言い方だけど、声に棘はなくてホッとする。
だけどしてほしいことと来たか。それこそ端的に言えば、看病してほしい、とかはあるのだけど、そこまで迷惑かけられないし。
「……ご主人様のしてくださることの限りで、それ以上は……。あの、明日のお仕事は?」
「休みだよ。」
えっ。。。
私の視線に、やっぱり聞いてなかったのか、と呆れたように笑う彼だけど、こっちは笑えたものじゃない。
……逃げ場がない。これ以上迷惑をかけたくないのに、こんなときにまで、そうなるのか。
「…………申し訳、ございません。せっかくのお休みなのに…………」
彼は、謝ることはない、とか言ってくれたけど、それも私の心には届かなかった。
いつもなら半分は喜んでそうなものだったのだけど、今はどうにもダメだった。やっぱりナーバスになってるみたい。
具合が悪いのを隠せもしなくて、これ以上迷惑をかけられないと思った矢先にこれだ。
彼のお休みは割と貴重なのに。今週なんかPSO2のブーストとかもあるのに←
邪魔にだけはなりたくないとずっと思っているのに、こうしてどうしてもうまくいかない時がある。
それがたまらなく悔しくて、許せなくて、自分のちっぽけさを思い出す。
――どうして、私のこと見限らないんですか。
出かかった言葉の無意味さに口を閉じる。
そんなの、彼が私を許しているからに決まってる。
彼に負い目を持って罪滅ぼしとか恩返しとかを理由にしてお仕えしている私だけど、そんなものを彼が求めていないのも知っている。
そんなのはとっくの昔に許していて、私のその姿勢を煩わしくと思ってることも知っている。
……だけど、許してもらえたからその一言でふんぞり返るほど私も恥知らずなつもりではないのだ。
何せ自分が許せていない。まだまだ全然借りを返せていない、このままでは不義理だと、私が私に言い続ける。
それはまるで無間地獄。いつ終わるのかも解らない、罪悪感で出来た謝罪と恩返し、そして返済をいつまでも繰り返そうとする最後の良心。灼熱に変わり果ててしまった心の底の、良識の形をしていたもの。
誰にも求められていない。誰にも強制されていない。それでも『甘えるな』と叫ぶ私の中の何かがある。
お前がしたことを思い出せ、と。
……いや、考えるだけ無駄なことだった。
何しろ納得できているのに譲れない、なんていう根性論じみた問題だ。あとは行動が結果を生むのみの話だし。
せめて早く治そう。
ならここは開き直って彼の手を最大限借りよう。そう思って私はもう一度口を開いて、
「……あの、」
――じゃあ。治るまで、優しくしてください。
そんなことを口走りそうになって、また口を閉ざした。
開き直るにも程がある。さすがの四季でも、それはちょっと恥ずかしかったらしい。
「……えっと。ごめんなさい。今の私、落ち込んでます」
「知ってるよ。昨日も自分で言ってたし、こうなるとも思ってた。そこはお前の落ち度だけど、だからって責めたりはしないしできることはする。
だからほら、また肩張ってるぞお前。。力抜けって」
ちょっとからかうみたいに言いながら、私の肩に置く手のそっとした優しさにもう一度安心する。
……本当、優しいなぁ。
その優しさにつけこむのは不本意なのだけど、でもそれならいいのかな、ともう一度顔を上げる。
「……あの……、」
肩に置かれた優しい手。
威圧しまいと緩ませる不器用な視線と変な表情。
厳しく努めようとする声に、
正しくあろうとし続ける、頼りなくも頼りがいのある可笑しな矮躯。
そのどれも、今の私が守りたいものだから。
「……えっと、ですね。
今日一日、体調悪くなっていく中一人きりで、ちょっと心細かったーとか言ったら、笑います……?」
「ぶふっ。。。」
こいつ(←)。
じーっと睨んでいると、悪かった悪かった、と笑い半分に謝ってきた。。
まぁこっちも半分笑わせにいったから良いんですけど。。。
「ほんと、人を睨むってことをそこまで上手に出来る奴中々いないよなぁ……」
すごく嬉しくない評価だけど、今はツッコむ気力が惜しいのでスルーしておく。
人がいざと気合いを込めてあらぬことを口走ったのに、報われない。
でも、甘えも口にした。それを笑い飛ばしてもらった。
だからこの話題のままもう一押し、甘やかしてもらいに行っても変じゃない。
深呼吸したら咳き込みそうだからしないけど、心の中で準備をして、思いきって本題を口にする。
「………さっき、してほしいことって、仰いましたよね。
その………私が良くなるまで、怒らないでください、とか………」
「……それは心外すぎる。お前の中で、そんなに怖い存在なの俺……?
ていうか何で怒るんだ。怒るところあったか?」
困った風に首をかしげるご主人様。
それはむしろ四季が幼少期に聞きたかったことですっ。。。
「い、いえ、そうなりそうだなーって思ってるわけではなくて……そうなったら死ぬなーっていうか……、その、目の前でこんなんなってて、鬱陶しいのかな?みたいな……。
い、いいから優しくしてください、甘やかしてくださいってことです……!」
「お、おう。。。」
しまった、言い方がおかしくなった。。
顔を見られたくなくて、思わず頭を垂れてしまう。でも何て言えば良いだろう、こういうときのうまい頼み方なんて解らないんだもん!(
「……い、今怒られたら、私ダメですから……イライラされたら、マジで泣きますからね!
だから……お願いですから、優しくして……ほしいです……」
……しばらく、沈黙。
何度もしつこかったし何か脅迫みたいになってるし。
ていうかダラダラと余計に苛つかせそうなお願いになってしまった気がする……。ううう、ごめんなさいごめんなさい!←
「……なるほど。解った、ひとまず身体が良くなるまで甘やかせば良いんだな?」
彼はやけにうんうんと頷いて、確認するように問いかけてきた。
ゆっくりと顔を上げると、悪戯を思い付いた子供みたいな顔で彼は私に笑いかける。
……本当に?
思い付いた言葉はこれだった。
「……そ、そう、ですけど……。い、言いましたね。聞きましたからね?」
「はいはい。怒らないし、優しくする。約束するよ。元々看病をするのにイライラすることなんかないだろ」
それは違う。彼はそういう追い詰められ方を知らないだけだ。なんて思ったのは口にしないけど。。
――でも、ああ、安心した。
誰かを信用したかった、なんてカッコつけた言い方をしたけど。
そこまで確認して、安心してまず思い描いた姿は、もっと具体的なものだった。
ただゆっくりと目を閉じて、眠りたい。
その時に身を預けられる、信用できる人が傍にいれば、それはきっと安心して寝て起きられるんじゃないかと……そう思ったのだ。
そんな風に思い至ったところで涙が出そうになって、考えるのをやめた。これ以上はまずい。もう泣くことなんか出来なくなってると思ってたのに、幼児退行しそうだこれ←
「……こんな風に頼るのも、信じるのも、こういう時だけなんですからね……。
今だけ、そのお言葉信じますからね……?
だから……絶対ですよ……」
そう言って彼の肩甲骨辺りに頭突きして、そのままゆっくりと体重を預けてみる。
……彼のいたずらっぽい笑顔が何となく気に入らなくてまた睨み付けようと思ったのだけど、それも途中で面倒になってやめた。
看病をお願いするなら、相応しくない態度っていうのもあるだろうし。
咳き込まない程度に大きく息を吸って、吐く。
それは信愛のこもった吐露のように、ちょっとしたデレを見せた時と似た面映ゆさを感じてしまう。
「……何度も言うけど。普段から信用してほしいんだけどなぁ」
まどろみのなかで聞こえたのはそんな聞き馴染みの深い口説き文句。
……まだ、そこまでデレてあげません。
そう言ったか言わないか、視界がゆっくりと暗闇に落ちていくのと共に、私の意識も眠りに落ちていき――。
「んで四季、そろそろ自分のベッドで寝ないんですか?」
「えっ。。。あれ……?」
眠りに落ちようとした意識がぶわっと覚醒する()
「うん。こっちは俺のベッドだと思うんだけど……あ、いや添い寝か?いいぞ?」
とかいって明かりを消して入ってこようとするご主人様。。。ぶわぁ!(
「ど、どきます!どきますから……!
ちょっと待ってください……」
よろよろとベッドから出ようとかけ布団をどかすと、彼の手が私の足に、そして背中に伸びてくる。
「は……!?な、いや、その」
「いいからほら、首に手を回せ」
とか言いながら自分で私の手を引っ張って首にかけるセクハラ主人。。
いやいやいやいや、と声にならない悲鳴をあげるも都合の悪い声は聞こえないようで、そのままひょいっと私の身体を持ち上げやがった。。。
「――――――、」
息を呑む。
あんまりにも軽々しく持ち上げられて驚いてしまった。体重で言えば、ご主人様だって大差はないだろうに。
……ああ、さっきのいたずらっぽい笑顔はこれを思い付いてのことだったか、などと今になって気付いても遅いのである。
初めから、私がこちらのベッドにいた時点で、きっと彼の中では決定事項だったのだ。
……そう、優しくしろだの甘やかせだのと言ったのは私だ。
そんなお姫様発言をする輩にはこれがお似合いだと、そんなせめてものお姫様だっこ攻撃か……!
「ばっ……いえ……、お、重いでしょう……」
危うく変なこと言いそうになってやっぱり変なこと口走ってしまう。。。
持ち上げるなりすぐに私のベッドの前まで運んでくれていた彼だったが、それを聞いて、む、と少し考えてから、
「いや、言うほど?俺よりは軽いだろ、50キロ……は、あるくらいか?」
「ねぇですよっ!!(ギリギリ」
※これは三日前の出来事で、今は身体の調子も回復しつつあります!
ご心配をお掛けした皆様、申し訳ございません。。