すっと開いた戸の先には、今日も今日とて変わらぬ姿の主人がいた。
「ただいま」
いつも通りの優しい声。
なのでこちらもいつも通りの、わざとらしい笑顔と声で安堵を隠す。
「お帰りなさいませ、ご主人様!
あ、もうすぐマザー始まっちゃうみたいですけど、どうします?お夕飯先にしちゃいます?」
「ん。マザーか、コレクトファイルが残ってるから行きたいな。
夕飯はそのあとでいいか?」
「了解です!とにかくお荷物下ろして下さいな。」
「あ、はい。PC付けてブロックに入るのは任せた!」
「はーい。。。」
本当に大事なことというのは、言葉にしずらいものである。
大事であるならそれは前提だし、前提であるならわざわざ改めて言うのも野暮になる。
だから大事なことというのは省みる機会がない。その重要性と反比例するように、『忘れやすさ』を持ち得てしまう。
だけどそれを忘れさせないのが『重要性』。
大事であればあるほど、それは一本の筋となって自分の歩みを矯正し、踏み外さないための道となる。
言葉としては忘れても、それを大事だと思った心が変わらない限り、その道だけは残るものだ。あとはその通りに進めば自分にとって間違いのない通りに進める。
だから大抵の場合、何が大事だったのか、何のために歩いてきたのかは、歩みを止めて振り返ってから解るもの。
他人にどう言われていても、どう思われていても。自分が信じた通りに生きてきたのなら、残した足跡は確かに真っ直ぐに見えているはず。
……怖いのは、途中でその道が見えなくなること。
『大事だ』と思った心が薄れたり。何かのきっかけで道を踏み外したり。曲がったり。
自分にとって何より大切だと思っていたものを次の日にはあっさり手放して、違うものに光を見いだすなんてのは割とよくあることだったりする。
だって世の中広いですし?そりゃ目移りしてしまうこともありましょうとも。。。
自分の在り方をこうと決めるのに、普通は長い時間を要すると思う。
それは段々と信じ始めた自分の結論であったり、何かのきっかけから始まった自分への縛りであったり。
これといって自分のいた意味を見いださないまま終わる人だっているだろう。それをわざわざ安いとは言わないけれど、だからといってそういう人が自分に厳しい人を馬鹿なんだと一蹴するのは許せない。
……つまり何が言いたいかと申しますと。
私は、自分の大事なものを忘れてしまうのが怖いのです。
キッチンにて。鍋の蓋を開けると、大量のカレーは表面を固くして冷めていた。
……しかし大量である。なにせ10皿分くらいあるのだからそりゃまぁ多い。
具材の量が半端に残りそうだったのでついついどばばっと作ってしまったのだけど、やっぱりやりすぎだっただろうか。
すぐ冷凍庫をパンパンにするのはケモミミさんの悪い癖だ←
弱火にかけて、ささっと彼のいる寝室の前まで向かい、戸からひょこっと顔を出してみる。
「ん?」
「あの、お夕飯のカレー、ちょっと大量なのでゆっくり温めますね。遅くなっちゃいますけど、ごめんなさい。」
「いや、悪いな。
……もうひとつ悪いんだけど、ちょっとデイリー受けたりギャザリングしてきたりしてて良いでしょうか。。。」
「どうぞー。。」
そう言ってキッチンに戻ろうとすると、私を呼ぶ声に背中を止められた。
振り返ってみれば、ほんの少しだけ気まずそうに目を逸らしたりこっちを見たりと忙し可愛いご主人様のお姿。
あら可愛い。何かございましたらどうぞ遠慮なく。今日のは全然辛くないですよ?
「辛くても頂くよ。
夕飯、ありがとな」
そう、彼はいつものように心を込めて言ってきた。
大事なことというのは、言い方を変えれば『本心』みたいなもの。
本心であるならば、なるほどそれは自分の進む道にもなる。
そしてそうなら言葉も濁すというもの。ヤンデレもそうだが、ツンデレも日本人の文化だと私は思う。私だけですかそうですか。
……最近知ったことなのだけど。年を取ると、人は言葉を素直にしていく傾向にあるらしい。
若い頃は素直すぎて恥ずかしかった言葉も、ド直球ドストレートに豪速球でノックアウトにホームラン出来てしまう老人が多い。CNIW。日本語訳すると、C(ちょっと)N(何を)I(言ってるのか)W(解らない)。
いや、正しくは素直になっていってるのではなく、『自分にとっての本当に大事なことだけを避けている』のだと思う。
例えば何かしてもらった時の感謝の気持ちは当然起こるのであって。それを一々恥ずかしがるほど、その日暮らしをしていないってことなんじゃないかなと思うのだ。
ようするに視野が広いとか、そういう違い。自分の今の姿を見てるのか、自分の人生を見てるのか。
大切なものが明確になったからこそ、使える言葉の幅が広くなったのかな、と。
これが今日その瞬間に生きている若者だと難しかったり、あるいは成り行きで言っていて心がこもっていなかったりするから面白い。
私もそうなのだろうか。その日暮らしをしているつもりはないけれど、そうなってしまいたい怠惰も諦めも作れはする。
私が自分に定めたことなんて、二つも三つもないのだから。
自分の大事なものを忘れてしまう恐怖にかられる。
本当に大切なこと。一つだけ決めた、こうと信じた私の道筋。
それを振り払いたがる自分の欲深さを知っている。自分の気持ちを知っている。
それが彼とどれだけ交わらないモノかは身に染みている。
…………そんな汚さを知っているはずなのに、いつまでも私を邪魔物にしないあの方の気持ちが解らない。
夢物語は好きだけど。これが現実なら、そこに現実味がないと不安が募って堪らない。
『貴方の気持ちを教えてください』
……なんて。面白すぎて、さすがの私も聞けないのだ。
「ば、バルファルク強いな……回復薬がなくなってきて、後半焦った……」
↑モンハンのお話。
「ごめんなさい、全然撃てませんでした………。。。
とにかく!HR12、おめでとうございます!さぁもうしばらくで解放ですよー!そうした暁には、ちょっと四季の防具作りとかも付き合って貰っちゃいますからね!」
はいよ、と彼はため息混じりに笑ってくれる。
「今日はどうかしたか?」
かと思いきや、突然そんなことを言い出した。
私はキョトンと目を丸くして、それからちょっと笑ってみたりと誤魔化しながら言葉を探してみるも、うまい返しが見つからずに内心でため息をついていたと思う。
「と、仰いますのは?」
結局これである
「いや。何もないならいい。お前からモンハンしようーって言ってきたから、それだけだ」
そう言って、彼がよくやる『頭に手をぽん攻撃(いてぇ)』。
「難しい顔してるぞ。あんまり考えすぎるなよ。気楽にしてくれる方が、俺は嬉しい」
………何を見透かした気でいるのか。何をキメ顔で言っているのか。
子供だったり大人だったり、本当にこの人はよく解らない。いや、こんなことを恥ずかしげもなく言えてしまうのは大人子供関係ない別の才能か何かなのだろうか。
「……真っ正直すぎるのも考え物ですよ。
そんなだから、四季みたいなのに捕まるんです」
「お前でよかったと思ってる。正直解ってくれる人はいなかったからなー(ヤケクソ)」
私だって貴方のことを解ってる訳じゃありません。
そう言おうかと思って、でもやめた。
きっとそんなのは彼も解って言っている。
彼を見る度安心した。
彼が笑ってくれる度、救われた気持ちになっていた。
少し考えたら、もうひとつ安心しちゃって笑えてきた。
なんだ、はじめから答えは出ていたんじゃないか。何を紆余曲折していたのか私は。
それを見ていた彼が何やら心配してきたけど、これについてはそれこそ伝えられるものじゃない。
ただ、ああ、そうか、と安心したのだ。
忘れるはずがなかったんだ、と。
「ただいま」
いつも通りの優しい声。
なのでこちらもいつも通りの、わざとらしい笑顔と声で安堵を隠す。
「お帰りなさいませ、ご主人様!
あ、もうすぐマザー始まっちゃうみたいですけど、どうします?お夕飯先にしちゃいます?」
「ん。マザーか、コレクトファイルが残ってるから行きたいな。
夕飯はそのあとでいいか?」
「了解です!とにかくお荷物下ろして下さいな。」
「あ、はい。PC付けてブロックに入るのは任せた!」
「はーい。。。」
本当に大事なことというのは、言葉にしずらいものである。
大事であるならそれは前提だし、前提であるならわざわざ改めて言うのも野暮になる。
だから大事なことというのは省みる機会がない。その重要性と反比例するように、『忘れやすさ』を持ち得てしまう。
だけどそれを忘れさせないのが『重要性』。
大事であればあるほど、それは一本の筋となって自分の歩みを矯正し、踏み外さないための道となる。
言葉としては忘れても、それを大事だと思った心が変わらない限り、その道だけは残るものだ。あとはその通りに進めば自分にとって間違いのない通りに進める。
だから大抵の場合、何が大事だったのか、何のために歩いてきたのかは、歩みを止めて振り返ってから解るもの。
他人にどう言われていても、どう思われていても。自分が信じた通りに生きてきたのなら、残した足跡は確かに真っ直ぐに見えているはず。
……怖いのは、途中でその道が見えなくなること。
『大事だ』と思った心が薄れたり。何かのきっかけで道を踏み外したり。曲がったり。
自分にとって何より大切だと思っていたものを次の日にはあっさり手放して、違うものに光を見いだすなんてのは割とよくあることだったりする。
だって世の中広いですし?そりゃ目移りしてしまうこともありましょうとも。。。
自分の在り方をこうと決めるのに、普通は長い時間を要すると思う。
それは段々と信じ始めた自分の結論であったり、何かのきっかけから始まった自分への縛りであったり。
これといって自分のいた意味を見いださないまま終わる人だっているだろう。それをわざわざ安いとは言わないけれど、だからといってそういう人が自分に厳しい人を馬鹿なんだと一蹴するのは許せない。
……つまり何が言いたいかと申しますと。
私は、自分の大事なものを忘れてしまうのが怖いのです。
キッチンにて。鍋の蓋を開けると、大量のカレーは表面を固くして冷めていた。
……しかし大量である。なにせ10皿分くらいあるのだからそりゃまぁ多い。
具材の量が半端に残りそうだったのでついついどばばっと作ってしまったのだけど、やっぱりやりすぎだっただろうか。
すぐ冷凍庫をパンパンにするのはケモミミさんの悪い癖だ←
弱火にかけて、ささっと彼のいる寝室の前まで向かい、戸からひょこっと顔を出してみる。
「ん?」
「あの、お夕飯のカレー、ちょっと大量なのでゆっくり温めますね。遅くなっちゃいますけど、ごめんなさい。」
「いや、悪いな。
……もうひとつ悪いんだけど、ちょっとデイリー受けたりギャザリングしてきたりしてて良いでしょうか。。。」
「どうぞー。。」
そう言ってキッチンに戻ろうとすると、私を呼ぶ声に背中を止められた。
振り返ってみれば、ほんの少しだけ気まずそうに目を逸らしたりこっちを見たりと忙し可愛いご主人様のお姿。
あら可愛い。何かございましたらどうぞ遠慮なく。今日のは全然辛くないですよ?
「辛くても頂くよ。
夕飯、ありがとな」
そう、彼はいつものように心を込めて言ってきた。
大事なことというのは、言い方を変えれば『本心』みたいなもの。
本心であるならば、なるほどそれは自分の進む道にもなる。
そしてそうなら言葉も濁すというもの。ヤンデレもそうだが、ツンデレも日本人の文化だと私は思う。私だけですかそうですか。
……最近知ったことなのだけど。年を取ると、人は言葉を素直にしていく傾向にあるらしい。
若い頃は素直すぎて恥ずかしかった言葉も、ド直球ドストレートに豪速球でノックアウトにホームラン出来てしまう老人が多い。CNIW。日本語訳すると、C(ちょっと)N(何を)I(言ってるのか)W(解らない)。
いや、正しくは素直になっていってるのではなく、『自分にとっての本当に大事なことだけを避けている』のだと思う。
例えば何かしてもらった時の感謝の気持ちは当然起こるのであって。それを一々恥ずかしがるほど、その日暮らしをしていないってことなんじゃないかなと思うのだ。
ようするに視野が広いとか、そういう違い。自分の今の姿を見てるのか、自分の人生を見てるのか。
大切なものが明確になったからこそ、使える言葉の幅が広くなったのかな、と。
これが今日その瞬間に生きている若者だと難しかったり、あるいは成り行きで言っていて心がこもっていなかったりするから面白い。
私もそうなのだろうか。その日暮らしをしているつもりはないけれど、そうなってしまいたい怠惰も諦めも作れはする。
私が自分に定めたことなんて、二つも三つもないのだから。
自分の大事なものを忘れてしまう恐怖にかられる。
本当に大切なこと。一つだけ決めた、こうと信じた私の道筋。
それを振り払いたがる自分の欲深さを知っている。自分の気持ちを知っている。
それが彼とどれだけ交わらないモノかは身に染みている。
…………そんな汚さを知っているはずなのに、いつまでも私を邪魔物にしないあの方の気持ちが解らない。
夢物語は好きだけど。これが現実なら、そこに現実味がないと不安が募って堪らない。
『貴方の気持ちを教えてください』
……なんて。面白すぎて、さすがの私も聞けないのだ。
「ば、バルファルク強いな……回復薬がなくなってきて、後半焦った……」
↑モンハンのお話。
「ごめんなさい、全然撃てませんでした………。。。
とにかく!HR12、おめでとうございます!さぁもうしばらくで解放ですよー!そうした暁には、ちょっと四季の防具作りとかも付き合って貰っちゃいますからね!」
はいよ、と彼はため息混じりに笑ってくれる。
「今日はどうかしたか?」
かと思いきや、突然そんなことを言い出した。
私はキョトンと目を丸くして、それからちょっと笑ってみたりと誤魔化しながら言葉を探してみるも、うまい返しが見つからずに内心でため息をついていたと思う。
「と、仰いますのは?」
「いや。何もないならいい。お前からモンハンしようーって言ってきたから、それだけだ」
そう言って、彼がよくやる『頭に手をぽん攻撃(いてぇ)』。
「難しい顔してるぞ。あんまり考えすぎるなよ。気楽にしてくれる方が、俺は嬉しい」
………何を見透かした気でいるのか。何をキメ顔で言っているのか。
子供だったり大人だったり、本当にこの人はよく解らない。いや、こんなことを恥ずかしげもなく言えてしまうのは大人子供関係ない別の才能か何かなのだろうか。
「……真っ正直すぎるのも考え物ですよ。
そんなだから、四季みたいなのに捕まるんです」
「お前でよかったと思ってる。正直解ってくれる人はいなかったからなー(ヤケクソ)」
私だって貴方のことを解ってる訳じゃありません。
そう言おうかと思って、でもやめた。
きっとそんなのは彼も解って言っている。
彼を見る度安心した。
彼が笑ってくれる度、救われた気持ちになっていた。
少し考えたら、もうひとつ安心しちゃって笑えてきた。
なんだ、はじめから答えは出ていたんじゃないか。何を紆余曲折していたのか私は。
それを見ていた彼が何やら心配してきたけど、これについてはそれこそ伝えられるものじゃない。
ただ、ああ、そうか、と安心したのだ。
忘れるはずがなかったんだ、と。