最近、「時にはある程度の強引さも大切なのかな」と感じたりしました。

 

子供の頃、私はかなりのビビりでした。

 

常に周りの様子を覗い、ビクビクしていたのを覚えています。

 

中学生になると身体も大きくなり、運動神経も学校で1,2を争うようなレベルにまで成長したため、一気に勝気な性格に変化したのですが、小学校までは本当に気弱な少年でした。

 

気の強い友達にくっついて、いじめられないように、皆からハブられないように、常に周りを観察し、自分を殺して生活していました。

 

しかし、今になって考えると、その元々の性格を活かし社会で活躍できているのだと思っています(笑)

 

常に周りを観察し、周りの空気や周りの人の心理状況を読んで行動していた為、大人となった今でも周りの人の気持ちが手に取るように分かるのです。(・・・勿論、分からない場合も多々あります)

 

たくさんの社会人の先輩方を見ていて「出世している人と出世できずに窓際社員コースになっている人の差」は

 

「相手の立場になって考えられるかどうか」

 

が一つの要因であると個人的には感じています。

 

 

 

相手の立場に立って考えられる人は

 

 

・顧客のニーズを察知し、それに応えられる

→顧客から信頼され、成績が上がる。

 

・上司の要求を察知し、それに応えられる

→上司に信頼され、重宝され、昇進する。

 

・部下の心配事を察知し、解決策のヒントを与えらえる

→部下に信頼され、結果的に部署の業績が上がる。

 

・会社のベクトル(経営陣の方針)を察知し、それに応えられる

→会社にとって不可欠な人材となり、出世する。

 

 

・・・という能力を持っています。

 

 

究極の能力ですよね(笑)

 

 

気弱な少年だった私の「欠点」が、今では「強み」に変わっているのです。

 

勿論、今はビクビク周りの様子を覗っているのではありません。

 

真に相手のニーズ・求めている事を察知し、それに応え、相手の役に立とうと努力しているだけです。

 

役に立てれば、信頼され、必要とされますよね。

 

恋愛だって同じかもしれません。

 

 

 

 

・・・ところが、最近新たなジレンマが(^^;

 

 

私の「相手の立場や気持ちを考えて過ぎてしまう」という特性は、時には自分の要求や行動を制限してしまう事につながっているのです。

 

 

例えば仕事。

 

自分が山のような仕事を抱えており、部下スタッフ達は余裕がありそうなケース。

しかし、仕事の難易度が高く、部下たちには少し負荷が大きいと思われる場合(私の仕事はほとんどそうなのですが^^;)。

残業削減の世の中の流れも手伝って、私は部下たちに仕事を振らず、自分で抱え込んでしまう事が多かったのです。

部下たちは(特に若い女性は)、定時に退社し、飲み会やパーティーに行きたがっているを知っています。

相手の気持ちが読めてしまうだけに・・・(^^;

しかし、最近は仕事は仕事と割り切り、部下たちに仕事に於ける責任感や考え方の基本を伝え、少しずつではありますが、仕事を振れるようになってきました。

仕事を振ったり、きちんとした社会人としての考え方を伝えていくのも上司の仕事です。

「これを言ったら嫌われてしまいそうだから」と何も伝えず自分一人で仕事を抱えていては上司としての役割を果たしているとは言えません。

それって結局は「相手の事を思っている」のと同時に「自分が嫌われたくない」という気持ちもあると思います。

ただビビっているだけとも言えるのです。

真の信頼関係とは、相手の顔色を覗って言いたい事を言わないのではなく、きちんと伝えるべきことは伝え、その上で築き上げていくものだと思います。

 

 

 

あとは各種イベント系。

 

こちらはやや軟派な話ではありますが(^^;

 

出世している先輩や、イケてる社会人を見ていると、「強引」と思われるようなケースもあります。

 

例えば会社の飲み会。

 

私も大嫌いでした。

 

できれば欠席したいくらい。

 

最悪でも一次会でフェードアウトしたい。

 

早く帰りたい。

 

その気持ちは痛い程分かります。

 

なので私は進んで一次会で帰宅するスタンスを貫いてきました。

 

上司に終電まで付き合ったってどうせグダグダで良く覚えていません。

 

意味がありません。

 

お金と時間の無駄。

 

早く帰宅して子供と遊びたい。

 

 

しかし、イケている上司は強引です。

 

一次会が終わると「おい!もう二次会の場所は確保したか?気を利かせてくれよー!」と一次会で「帰る」という選択肢すら与えません。

 

結局終電か、さらには電車がなくなりタクシーで帰宅するようなパターンになるのですが、案外それが若手にとって良い時間になったりしているのです。

 

(それがただの説教タイムで若手にとって苦痛の時間でしかなかったら最悪です!)

 

しかし、イケてる上司はそれを楽しい時間に変えてしまう。

 

そこが凄いなと。

 

私は「みんな早く帰りたがっている」と思い込んでいました。

 

しかし、時にはそのような強引さも必要なのかと。

 

(ここは「勘違い」の無いように十分に注意すべき点ではありますが)

 

誘ったからには二次会も若手スタッフ達にとっても最高に楽しい場にする責任があります。

 

契約や勧誘もそう。

 

トップ営業マン(・・・私もかつてそう呼ばれていましたが)は強引な部分も持っています。

 

お客さんは「余計なものはいらない」のです。

 

しかし、それに忖度してばかりいたら契約など一件もとれません。

 

時には強引に契約を取る事も必要です。

 

(勿論、その場合はお客さんに「その商品で何かしらの真のメリット」を必ず提供できている事が条件となります)

 

先ほどの飲み会に誘ったからには、若手にとって真に楽しい時間にする責任があるのと同じです。

 

 

つまり、「強引さ」は時には必要ですが、そこには「責任」が必ず伴うという事を忘れてはならないということです。

 

 

 

周りに気を使い、嫌われるのを恐れ、ビクビクしながら何もしない消極的な人生と、

 

時には強引に相手を引っ張り、その分責任を持って楽しむ積極的な人生と、

 

どちらがイケてるでしょうか。

 

せっかく同じ時間を生きているのですから、周りの人を巻き込み(より多くの人に影響を与えるインフルエンサーとなり)、同時に責任も持ち、積極的な楽しい人生を歩んで行きたいと考えています。