ジーザス・クライスト 神永東吾
イスカリオテのユダ 芝清道
マグダラのマリア 谷原志音
カヤパ(大司教) 金本和起
アンナス(カヤパの義父) 阿部よしつぐ
シモン(使徒) 本城裕二
ペテロ(使徒) 五十嵐春
司祭1 佐藤圭一
司祭2 賀山祐介
司祭3 高舛裕一
ヘロデ王 北澤祐輔
男性アンサンブル
大森瑞樹
小野功司
南圭一朗
ビョンヒサン
白石一成
宇龍真吾
中村伝
安斎恵太
杉本祟
永瀬俊秀
大萬昇太
山下泰明
女性アンサンブル
光川愛
原口明子
小島光葉
花田菜美子
小島由夏
林香純
矢野侑子
森川温子
加藤久美子
生形理菜
若松小百合
小松真美
ジーザスはあのアンドリュー・ロイド=ウェバーの才能の塊ともいえる作品だと言っても過言ではないと思ってます・・・本当に音楽が良い~!
聖書の話とロックの混合なんて正直え?って思うし笑われることもあるけど、劇場であの音楽聴いたら誰だって圧倒されてALW卿にこうべを垂れてしまうこと間違いなしですよねもうほんとうに彼は天才なのだなと思います。おまけに作詞はあのティム・ライスですもの・・・
今回のジーザスはおなじみ神永さんでした~!神永さん、ジーザスやられて結構たつのですごくのびのびと歌われている印象でした。聴いてて何も心配ない、どの歌もそつなくこなすんだろうな~というのは分かってはいるけど、やっぱりゲッセマネのシャウトとロングトーンは「す、すごい・・・!」と鳥肌が立ちます。曲の途中なのに思わず会場内から拍手が起こってしまうくらい。
神永さんはトニーやらラウルやらと恋に全力!な役柄を拝見してきたのですが、いまいちつかみどころのないこのジーザスが一番合ってる気がしました笑5年前のソンダンの時の握手の印象が強いんです~!笑
ここで描かれてるジーザスって神の子なのか、ただの青年なのか。シーンによって自分の中に浮かんでくる答えが違くて、最後までジーザスという人物を捉えられないまま幕が下りてしまうのですが、そんな手の届かない存在こそ「神の子か人か」という選択肢が浮上するにふさわしい人物なのだなと思いました。
マリアは大好きな志音さんでした![]()
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何を隠そうこの方を見るためにチケットを取ったと言っても過言ではないです・・・笑
デビューして間もないのに圧倒的な完成度、卓越した表現力と歌唱力にはもう脱帽です・・・!志音さんはアリエルとかグリンダとか、明るくて笑顔が素敵な女の子がお似合いだしずっとそんな役を演じてる彼女を見続けていたいと思っていたのですが、明るさとか笑顔とは程遠くて、明か暗かと問われれば暗だなという印象の強い女性の役にもかかわらず、ハートのど真ん中を矢で撃たれました。自己表現の度合いはかなり低い、その美しい表情には常に陰りや疑問、戸惑いがあるのにとても素敵な女性だった・・・!明るさや笑顔といった女性の魅力を補う形で全面に表れてるのが、マリアの場合は間違いなく「優しさ」で。歌声はもちろん、香油を塗るその手つきから優しさがあふれていました・・・。
そして、志音さんこんな役もできるんだ、と好感度は上がる一方です(n*´ω`*n)
芝さんのユダはもう会場の隅々までユダのオーラを充満させていました。
最初から苦悩とか葛藤とか、そんな人間の永遠の足枷ような要素を全面に出してきて、ユダが登場するたびにそういうオーラが会場を支配して、観客の心の中で不安がじわりじわりと湧き出てくる感じ・・・たまりません~~~!!!
大ナンバーのジーザス~は今までの苦悩を脱ぎ捨て、言いたいことは全部言うぜ!な勢いなので、登場から顔が晴れやかに思え、大スターが現れたかのような高揚感すらあり、曲自体も心が踊ります。
カヤパやアンナス、司祭たちはもう歌唱力の高さが言葉では言い表せないほど。劇団内でも歌唱メンを集めたJCSカンパニーですが、その中でも卓越した歌唱力を持つ方々が演じられているので、この人たちが出てくるとずっと子の歌声を聴いていたいと思えてしまいます~!
ジーザスとは対立しているのでこの物語の視点からだと彼らは完全に悪役なのですが、してやられるタイプの悪役ではなくて、ゾッとするような怖さを持った悪役です。鞭打ちのシーンで自問自答しながら悩み焦っていピラトとは対照的に、青年が散々に痛めつけられている姿を顔色一つ変えずに見つめている視線がものすごく恐ろしかった・・・!
北澤ヘロデは…ええもうものすごくかっこよかったです。北澤さんはさわやかイケメンの印象が強いので、女を侍らせてるヘロデ、厭味ったらしいことを言うヘロデ、ジーザスを足蹴りするヘロデはいい意味でギャップが激しくて、もうたまらないです・・・めっちゃすきです・・・私も蹴られたい
そしてこの作品のもう一人の主人公ともいえるアンサンブルさんの演じる民衆の迫力!
この作品では手の動きがものすごく重要視されているなと思いました。ジーザスを敬愛するさまも、助けを乞う姿も、恨みをぶつけるのも、すべて手の動きを通して表現されているので。指の先まで神経が通っていて、民衆の体の隅々まで、抱いている感情が充満しているのが伝わってきます。それが大勢でたかってジーザスへ思いの丈をぶつけるので、ジーザスを敬愛する言葉も狂気的で。救いを求める言葉も繰り返されているうちに無機質なものへと変貌して呪文のようなものになる。恨みや怒りなんかはもう言葉の暴力というにふさわしいくらい。
行き過ぎた期待は失望へと変わったとき大きな恨みを生む、まさにその言葉通りに民衆の心はうつっていくのですが、それを我々観客は「怖い」と感じながらも、その心の移ろいやすさはまさに人間である私たちが持ち合わせているものそれ自体なので、民衆の狂気は決して他人事ではなく、手放しに「民衆コワイ!ジーザスかわいそう!」とは言えないのが、この作品が終演してから自分の心の中でずっと駆け巡っている何かがある原因なのかなと思います。
今度観るときはきちんと聖書をたしなんでから観たいなと思います。
手の動きで思い出しましたが、手の動きが異常に美しいあの佐野正幸さんはジーザス出ないんですかね・・・カヤパもピラトもぴったりだと思うんですけど・・・
若かりし頃のペテロ、観てみたかったです。佐野さんに3回も否認されたら立ち直れない

