池波正太郎の「剣客商売」をたしなむ~十番斬りの巻~ | 池波正太郎・三大シリーズをたしなむ

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現在は「剣客商売」の本編・16巻の読みどころや魅力を紹介する「剣客商売を極める」シリーズを投稿しています。月1投稿ですが、こちらの記事も是非、チェックしてみてください。

池波正太郎の「剣客商売」をたしなむ

~十番斬りの巻~

 
みなさん、こんにちは。管理人の佐藤有です。
今回は、死期の迫った剣客が、人生最後の仕事としてお世話になった村人に害をなす無頼浪人の一掃を目指し、小兵衛がその助太刀を務めた第12巻の表題作「十番斬り」を紹介します。
 

剣客商売・十番斬りあらすじネタバレ

あらすじ1)
天明3年(1783年)の正月、新年を迎えた秋山小兵衛は65歳、息子・大治郎は30歳、2人の妻・おはると三冬はそれぞれ25歳、小太郎は数え年・2歳になりました。
 
正月15日には、邪気を払うとされる小豆粥を食べ、江戸でも今戸八幡宮の神楽や、柳島の法性寺での御開帳が行われる等、催しが行われることから、おはるも見物に出かけようと小兵衛にねだります。
 
小兵衛も見物する気はあったものの、このごろ手合わせをしていなかった碁敵・小川宗哲先生との囲碁も捨てがたい。そこで、おはるには2,3日したら深川にでも出かけようと約束し、自身は昼過ぎに本所・亀沢町に向かいます。
 
御年76歳を迎えた宗哲先生は、その日も患者の診察を行っており、診察室の隣の居間で待機する小兵衛は、もろはだを脱ぎ、骨が浮き彫りになった黄色い肌の患者を診て、武芸の修行を積んだ者らしく、同時に、余命も長くないと見ます。
 
その患者の名は、松村太九蔵といい、死ぬ前にあることを成し遂げたいと、宗哲先生の旧知である戸越村の行慶寺の和尚の添え状を持ってここに来ました。
 
一方、小兵衛は、松村太九蔵とは面識はなかったものの、昔は剣術方面でそれと知られた浪人だったため、小兵衛もその名を聞いたことがありました。
 
それは、20年前にさかのぼり、四谷に道場を構えていた頃、芝・三田四丁目には馬庭念流・松村忠右衛門道場があり、噂を聞きつけた小兵衛も、暇を見つけて忠右衛門の元を訪ねたいと考えていました。
 
しかし、小兵衛が道場を訪ねることなく忠右衛門は亡くなってしまい、松村忠右衛門のことを忘れかけていた2年後の夏、忠右衛門の息子・太九蔵が、今里村の草原を舞台に剣客4人を討ち果たし、この出来事は江戸剣術界の評判の呼びました。
 
村松太九蔵に討たれた4人は、麻布・南日ヶ窪の一刀流の道場主・内田助五郎・伊太郎兄弟と、その門弟2人と判明するも、両者が決闘に至った経緯は分からず、村松もその後江戸を離れ、行方知れずになってしまいました。
 
噂を聞いた小兵衛は、忠右衛門に息子がいたことに驚きつつも、その事実を知っていれば、忠右衛門の死後に道場を訪ねていたのにと後悔する一方、息子の村松は相当な修行を積んでいるとみます。
 
そして、宗哲先生の元へ診察を受ける村松は40歳を過ぎ、傍から見ても病が進行していると見えつつも、ある一念のために生きながらえることを望む姿からは、病を感じることが出来ません。
 
すっかり村松のことが頭から離れなくなってしまった小兵衛は、宗哲先生との囲碁もうわの空で、ついにたまりかねて村松について聞きます。
 
村松は、肝臓に大きなしこりがあること、心臓もかなり弱っていて手のほどこしようがないこと、宗哲先生は、患者の一念を果たすために、あと一ヵ月だけ命を長らえるようにと薬を処方したとのこと。しかし、村松が何を思い立ったのかは聞くことができませんでした。
 
また、小兵衛もその日は村松のことばかり気になってしまい、宗哲先生との囲碁は完敗に終わりました。
 
新年最初の囲碁にも関わらず一番も勝てなかった小兵衛は、早めに宗哲宅を後にし、鐘ヶ淵に戻ると弥七・傘徳が新年の挨拶に来ました。
 
好物の京枡屋・嵯峨落雁を土産に持ってきた2人と酒を酌み交わす小兵衛は、弥七の女房が料理屋を営んでいることから、肝臓を病む村松に精がつくものを食べさせたいと相談します。
 
そこで、弥七はすっぽん鍋を提案し、明日の日暮れまでに傘徳に鍋を届けさせ、明後日に小兵衛が村松の元へ見舞いへ行くことになりました。
 
その頃、荏原群・戸越村の戸越八幡宮の近くの竹やぶの中にある小屋では、あの村松太九蔵がいました。宗哲宅から約三里ほど歩いて戻ってきた村松は、さっそく薬を煎じて飲み横になっていました。目を覚ました時には、すでに夜になっており、行燈に火をともすと、残りの薬を飲み干し、生卵を2つほど飲むと、大刀を片手に外へ出ます。
 
一刻(2時間)後、あたりの気配を伺いながら小屋に戻った村松は、呼吸を荒くしながら、手探りで行燈に火をともし、血を浴びた刀身を照らします。
 
行燈の明かりで浮き彫りになった村松の顔にも、返り血がついており、不可解な笑みを浮かべながら、眠りにつきます。
 
あらすじ2)
村松太九蔵の住む戸越村から南へ半里のところにある馬込村では、ここ1年前から無頼者の浪人十数名が棲み付き、お上の目が光らないことをいいことに、悪事を働いていました。
 
荒れ果てた廃寺を根城とする彼らは、畑から野菜を勝手に持ち去ったり、時には酔いに任せて百姓の女たちにいたずらをしかけており、娘たちも数名が浪人たちの手ごめにされる被害に遭い、馬込村では女の1人歩きは気を付けるようにと言いつけられていました。
 
そして、その日の昼下がりも、野菜かごを背負った娘を例の浪人たちが襲うも、村松によって成敗されました。
 
一方、助け出された娘は、気を失ったまま百姓家の前庭まで運びこまれ、飛び出してきた両親に介抱されました。しかし、気を失っていた娘は、助け出してくれた剣客の顔と名を知る由もなく、お礼を言うべく血父親が道に出た時には、すでに村松の姿はありませんでした。
 
その頃、自宅に戻った村松は、蝕まれていく身体を気力でふるいたたせ、ある人物に向けて手紙をしたためます。
 
また、馬込村の西の外れにある廃寺では、11名の無頼浪人が酒を酌み交わし、その者たちの頭と思われる佐久間重六を中心に、江戸での盗みを計画します。
 
彼らの標的は、麻布・飯倉の弓師で、高利貸をしている岡山吉左衛門宅で、弓師の家には香具師の為吉が手引きに入り、成功すれば五百両が懐に入ると聞いて、大盛り上がりを見せます。
 
翌朝、傘徳を伴った小兵衛は、浅草・山之宿の駕籠屋・駕籠駒に乗って戸越村へ向かい、三田から白金台町にさしかかった四ツ半(午前11時)に、一行は雉子の宮を通りかかります。その手前には茶店があり、三十がらみの男が出てきます。
 
その男は、江戸で人相書きがまわる香具師の為吉で、傘徳はその男を見逃しませんでした。不自然に見えないように駕籠に寄り添った傘徳は、この事を小兵衛に話すと村松への土産を託して、為吉の居場所の突き止めに向かいます。
 
そして、一旦傘徳と別れた一行は、目黒川を渡り、中原街道を西に行き、戸越村の行慶寺に辿り着きます。
 
宗哲先生と旧知の仲である行慶寺の和尚は、小兵衛ともすっかり意気投合し、村松が戸越村に来た頃の話を聞き、夕暮れには村松を交えて夕餉を共にする約束をします。
 
昼頃には、為吉の居所を突き止めた傘徳が行慶寺を訪れ、小兵衛は弥七宛の手紙をしたため、駕籠かきに向かわせました。
 
為吉の居所は、馬込村の無頼浪人の元と判明し、傘徳が見張に入るとともに、傘徳と小兵衛のつなぎとして行慶寺の若い僧と坊主が近くの民家で待機していました。
 
和尚と小兵衛は、馬込村の人々から無頼浪人の噂を聞いており、為吉と彼らが手を組んで悪事を仕組んでいることを察します。
 
その後、夕暮れ近くになり、村松の様子を見に戸越村の小屋を訪ねるも、そこには人気はなく、寺に戻っても村松は来ていないとのこと。
 
もしかしたら、宗哲先生のもとを訪ねていると思われた矢先、傘徳と共に見張りをしていた若い僧が寺へ駆けつけ、無頼者が戸越村に向かったことを報告します。
 
あたりは夕闇がたちこめ、雪もちらつきはじめ、一刻を争う事態を察した小兵衛は、藤原国助の大刀を持って現場へ走り去ります。
 
あらすじ3)
その頃、馬込村の浪人の巣窟では、昨日、村松に斬られた仲間が帰ってこないことを心配した2人は、品川方面に向かいます。
 
すると、先に向かっていた1人が坂道を下ったところで斬られ、後からきた1人に介抱されます。斬られた方は、去年の夏に自分たちをこらしめた者の仕業と言い残し息絶えます。
 
その人物は、村松太九蔵その人であり、江戸で遊んできた帰りに、偶然、道を通りがかった百姓女に襲いかかったところを、行水中の村松に素手で追い払われたことがありました。2人は、村松の名前こそ知らないものの、顔と居所はしっかりと捉えていました。
 
仲間の死を看取った三島は、このまま打ち捨てておくわけにいかず、巣窟にいる佐久間へこの一件を報告し、無頼浪人一行は三島の案内で、村松の襲撃に乗り出します。
 
一行の異変はすぐさま傘徳のつなぎによって小兵衛たちの元へ知らされ、廃寺に残った香具師の為吉は、傘徳が相手をします。
 
傘徳の顔を見知っている為吉は、慌てて逃げ出そうにも酒の酔いがまわり、思うように動けず、傘徳の縄にかかり、民家の物置に閉じ込められます。
 
その頃、無頼浪人の1人を斬り捨てた村松は、自宅に戻っており、薬湯を煎じながら後10人倒すことに執念を燃やしていました。
 
死病に侵された村松の身体は、もう人1人を成敗するのもやっとの状態になっており、しばらく横になってから再び起き出し、薬湯を飲んだ村松は、建物外にただよう殺気を察し、寝床の傍に置いてきた大刀を取るべく、土間から駆け出します。
 
その瞬間、寝床の部屋の障子戸が蹴破られ、佐久間重六が村松に斬りかかります。辛うじてかわした村松は、そこから六畳の間と土間を経て裏手へ逃げようとするも、今度は裏手から更に2人が侵入し、左腕を斬られます。
 
刀の一つも身に付けず、かつ病に侵された身体の村松は、敵に体当たりするのが精いっぱいでしたが、ついに佐久間の手で背中を斬られてしまいます。
 
村松が倒れた瞬間、裏道から小兵衛が駆けつけ、通りすがりに浪人3人を斬り倒し、村松の元へ駆けつけます。
 
暗がりの中、小兵衛は村松を安全な場所へ移動させ、侵入してきた浪人2人を斬り倒します。
 
夕闇が夜に変じはじめ、雪も激しく降りしきる中、小兵衛は更に2人を斬り倒し、残りは浪人の頭格・佐久間重六と三島浪人となりました。
 
小兵衛に恐怖を覚えた三島は、闇夜に紛れて逃げようとするも、腹部を刺され、最後は佐久間との一騎討ちとなります。
 
これまでに数えきれないほどの悪事を働いてきた佐久間は渾身の一撃で小兵衛を倒そうと刀を大上段に構え、駆けつけた和尚に気を取られた小兵衛の隙を見て振り下ろします。
 
小兵衛はすぐさま佐久間の一撃をかわすと身をぴったりとくっつけ、再び和尚から呼びかけられ、その身を離れた時には、佐久間の腹部へ小刀が刺さっていました。
 
一瞬のうちに相手の小刀を相手に刺す小兵衛の早業に、佐久間は茫然し、その場に倒れ込みます。
 
あらすじ4)
夜が更けた頃、和尚たちの手当てを受けた村松は、何とか生きながらえ、小兵衛が持ってきたすっぽん汁を何滴か飲みます。
 
小兵衛と初めて対面した村松は、これで思い残すことはないと穏やかな心境にありましたが、死期はもうすぐそこに迫っていました。
 
村松は、昨夜したためた遺書を和尚に託し、村松が横になる部屋から離れた場所で、遺書の封を切り和尚と小兵衛が読みます。
 
内容は、自分の命が尽きる前に馬込村に巣くう浪人たちを一掃したかったこと、行慶寺との和尚との出会いをきっかけに、穏やかな余生を過ごそうと思っていたが、このような真似をしてしまったこと、自分は気性の激しい性格で、人と上手くなじめず、それゆえに道場を継ぐことが出来なかったこと、また、1人の女性を巡って果し合いをし、相手とその従者4人の命を奪ったことなどが書いてありました。
 
村松と内田助五郎の一件の詳細を知った小兵衛は、亡き妻・お貞を巡る嶋岡礼蔵との関係を思い出し、その直後、村松に異変が生じます。
 
駆け寄った和尚・小兵衛に村松は何か語りかけるも、2人の耳に届くことはなく、静かに息を引き取りました。
 
小兵衛によると女の人の名前のように聞こえたものの、その答えはもう知ることが出来ませんでした。
 
-十番斬り・終わり-
 

剣客商売・十番斬りの登場人物

村松太九蔵:荏原群・戸越村に住む剣客で、芝四丁目に馬庭念流の道場を構える村松忠左衛門の息
         子。すでに肝臓と心臓を患い、死期が迫っていたが、剣客最後の仕事として馬込村に巣く
         う無頼浪人の一掃を目指す。
 
         20年前に、一刀流・内田助五郎とその従者3人を討ち取ったことで、江戸剣術界でもては
         やされるも、実は果し合いの原因は、1人の女性を巡る争いで、果し合いの後、村松は放
         浪の旅に出、江戸に戻ってからは、行慶寺の和尚の世話を受け、十番斬りを決意した。
 
         最期は、小兵衛や行慶寺の和尚たちに見守られ、静かに息を引き取った。享年44歳。
 
道誉和尚:行慶寺の和尚で、あらすじネタバレでは「和尚」と表記。江戸に来た村松を寺に泊まらせたこと
       が縁で、彼の居住やそこで寺子屋を開かせ、彼の世話をした。村松とは、いわゆる飲み友達
       で、つい最近まで村松の病気に気づかなかった。また、小川宗哲とは旧知の仲。
 
佐久間重六:馬込村の西の外れにある廃寺に巣くう無頼浪人の頭。村では、お上の目が届かないことを
         いいことに野菜を奪ったり、通りすがりの娘たちを手ごめにするなど悪事の限りを尽くすも、
         江戸では香具師の為吉と手を組んで更に大きな悪さをし、人々に恐れられる。
 
         手下には、村松に斬られた山田や、三島・杉本・永井、田島など、十数名がおり、村松太九
         蔵の襲撃時には、佐久間を含め10名に減った。しかし、その10名は、村松の助太刀に入っ
         た小兵衛に成敗される。
 
為吉:佐久間たちと手を組む香具師くずれで、盗みや強請の手引きを行なう。また、町奉行所からも人相
    書が出ている。傘徳とはお互いの顔を知っており、小兵衛に同伴した傘徳に居所を掴まれ、縄をか
    けられる。
 
村松忠左衛門:村松太九蔵の父で、芝の三田四丁目に道場を構える馬庭念流の使い手。名声などに興
          味が無く、道場の規模も小さかったものの、その人柄の良さが江戸剣術界に知られてい
          た。小兵衛もその剣術を見てみたいと思うも、忠左衛門の死により道場は閉鎖され、小兵
          衛もその腕前を見ることが無かった。
 
内田助五郎:麻布・南日ヶ窪に、弟・伊太郎と共に一刀流道場を切盛りする剣客で、弟・門人2人と共に村
        松に果し合いを挑み、敗北した。この戦いは、村松の江戸剣術界での評判を上げることにな
        ったものの、村松はその後、江戸を出ていく。両者が果し合いに至った経緯は、1人の女性を
        巡る問題。
 
 

剣客商売・十番斬りの読みどころ

村松太九蔵の剣客納め

世話になった村に巣くう無頼浪人の一掃を人生最後の仕事にかけ、病に侵されながら剣を握り続けた村松の晩年は、小兵衛の助太刀が無ければ成し遂げることが出来なかったでしょう。
 
人1人を斬るたびに、呼吸が荒くなり、体力的にも厳しい様子を見せる村松の様子や、残り10人が一斉に襲撃してきた際には、村松の死が何度も頭をよぎりました。
 
松村のように大切な人のために命を長らえることを望むことも、また素敵なことでしょうか。
 
*「剣客納め」とは、剣客としての最後の仕事、つまり、これを最後に二度と剣を握らない=死又は剣術から完全に身を引くことを意味する管理人の造語であり、小兵衛のように剣術界からの引退はこれに当てはまりません。
 

村松の最期の言葉

村松は、かつて内田助五郎ほか3人を1人で討ち取ったことで、江戸剣術界にて名が知られた剣客でしたが、果し合いの原因は1人の女性を巡る争いであったことが、彼の遺書で判明します。
 
1人の女性を巡る剣客同士の争いは、辻平右衛門道場で下女として働いていたお貞を巡る、小兵衛・嶋岡礼蔵もその例にあたり、お貞の若すぎる死を目の当たりにした嶋岡の目には、殺気がこもっていたとか。
 
一方、果し合いを制した村松とその女性のその後は、本文では触れることはありませんでしたが、おそらく、果し合いを制しても、松村とその女性は結ばれることはなかった、またはその女性は、死んだ内田に想いを寄せていたとも予想され、それが松村が江戸を離れる理由になったでしょう。
 
松村が小兵衛・和尚に残した最期の言葉は、2人とも聞き取れず、辛うじて女の人の名前のようだったことから、自らの命を懸けて戦った意中の女性の名前だと思われるでしょう。
 

秋山家の年齢

「十番斬り」にて新年を迎えた秋山家の年齢は、小兵衛65歳、大治郎30歳、おはる・三冬25歳、小太郎2歳となりますが、小太郎はまだ赤ん坊のはずなのに、すでに2歳になったとはおかしな話ですよね。
 
実は、本文で紹介された秋山家の年齢は、数え年であり、生まれた年を1歳と数え、正月を迎えるごとに1歳年を重ねる方式となっています。
 
そのため、小兵衛・大治郎夫妻の年齢は、数え年より1歳低い計算になるため、現代の年齢に換算すると、小兵衛64歳、大治郎29歳、おはる・三冬24歳、小太郎1歳となり、それらに生まれた時期を加えて考えると、天明3年の正月時点の年齢は、本文の年齢から2歳差し引いた年齢が、もっとも正確でしょう。
 
傘徳の勘違い
村松太九蔵の見舞いとして精のつくものを弥七に訪ねる場面にて、傘徳は何を思ったのか、精をつける意味の小兵衛のあっちの方面と勘違いし、真面目に聞く弥七をよそに、笑いを噛みしめていました。
 
2人はこの時点で、村松のことを聞かされておらず、傘徳に至っては小兵衛が何かを隠していると思い込み、小兵衛に雷を落とされてしまいます。
 
まあ、村松の件を知らなければ、人によってはそっちの方だと勘違いすることもあり得るでしょうが、さすがに小兵衛と付き合いの長い傘徳がそんな想像をするとは、「剣客商売」を読んでいて久々に笑いがこみあげてきました。
 
時代小説と言えば、どうも堅苦しい印象が強いですが、傘徳のように読み手を楽しませてくれる味方の登場は、池波正太郎作品には欠かせない要素です。
 

剣客商売~十番斬り~まとめ

世話になった村人のため、無頼浪人の一掃のために命を長らえることを願った村松太九蔵。彼もまた波乱に満ちた剣客人生を歩みましたが、最後は人のために剣を振るうことが出来、悔いのない剣客納めとなったでしょう。
 
さて、次回の剣客商売をたしなむは、辻平右衛門下の兄弟弟子に起きた異変に小兵衛が迫った同門の酒を紹介します。
 
本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございましたほっこり