しけまつ♪の作文

しけまつ♪の作文

だれでも見てね♪


見るとしけるけど(笑)

Amebaでブログを始めよう!
2月20日です。

木曜日ですね。

明日終われば連休という日ですね。

明日一日がんばりましょう。

そんなこんなでキムまつ♪復帰しました。

特に誰も待ってないのに復帰とかいうの恥ずかったです。

予定では随分前からブログ再開する予定だったんですが、

忘れてたしたるかったから今になりました。

特に書くことないんですけどね。

卓球部ネタとか美里教師ネタとかもうないし。

でもいい機会なので中学校の時の思い出を振り返ろうと思います。

別に知りたくなかったらアプリ閉じれば大丈夫です。

ではまず1年生のときから。

1年生で話になることといえばあれしかないですね。

卓球部入部。

今思えばこの時の自分はなにを考えていたのか。

ゴリラの思惑に流され卓球部に。

卓球て。

テーブルテニスて。

完全に運動嫌いがテニスやってみたくなったけど前後左右にうごくのたるくてこれなら机でやっちゃえっ♡ってノリでつくられたような産物である卓球部に入部。

アホかと。←久しぶりですね。

周りにはゴリラとチビが2人とニワトリとデブ2体とYTD。

ちなみにYTDというのはやったです、つまり堀田…おっと八田克哉君ですね。

まぁまともにいくはずがないという感じのメンバーですよね。

ちなみに1年生のこの時点では山田達也の生態については正確には確認されておりません。

まぁ部活の入部したてなんて台もとい机でピンポンできないのでやることはきまってきます。

山田達也と外周、山田達也と筋トレ。

くる日も来る日も山田達也と外周、山田達也と筋トレの永遠ループ。

この辺りで山田達也は指で腕立てや自分の学生時代など語り出すのですでに嫌いという状況です。

でも夏で3年生が引退なのでやっと机でピンポンの始まりですね。

机でうち始めると同時にいままでほとんどかかわらなかった栗田克彦、つまり日没と徐々に関わり始めます。

最初はただの若干天パの若干デブとしてしか知りませんでした。

そんな感じで1年生は終わりです。

そして2年生に進級。

クラスは死亡でした。

いってしまえば男子は異常者集団でした。

2年生での部活は最も記録じゃなく記憶に残ったと言っても過言ではないでしょう。

2年7組というクラスで笑うというミュータント的素質に近い才能?を開花した為にとにかくバカ笑いをし続けていました。

ゴリラで笑い菅田で笑い日没で笑い山田で笑い金城で笑いカイオで笑い…

忙しい日々を送っていました。

そんなある日。

たまたま台…失礼、机の台数の関係で僕と菅田と前田克也の3人でピンポンしてました。

壁際の机だったので隣には山田達也。

いつも通り笑ながら適当にやっていると…

突然山田達也が我々の机のネットを回収しだしたではありませんか…!

そこでなぜだ?ホワイ?と理由を聞くと当然といえば当然の答えがかえってきました。

真面目にやらないから。

わかってます。

自覚症状ありました。

しかしなにも突然という感じでしたが構わずネットなしでやっていました。

すると突然菅田君がネットないから玉をころがしちゃえ♡ということでエアホッケー的な卓球(説明しにくい)を始めました。

もちろん僕ものっかります。

ただただ転がし続けます。

これを伝説の卓球(Table tennis of legend)と名付けました。

まぁこれをしばらくつづけていると、

もういいと言わんばかりに我々の机を山田達也が片付け始めました。

そして「打たなくていいから走ってこい」
こうおっしゃるわけです。

いやいや走りたいならお一人様でどうぞ?

こっちは伝説ってるんで?

というかんじで暫く膠着状態。

でも仕方なく僕と菅田と伝説ってないのに前田克也の3人で内周を開始しました。

山田が見張っていたので山田の前だけ走るという中学生なら誰もがやったことあるであろう技を駆使していました。

しかしここで3人で突然外周にきりかえ、山田を撹乱させる小さな反乱をおこしました。

すぐにばれましたが。

そして外周を始めた3人ですが、一周がんばれば5、6分くらいでいけるものをわざと20分とかゆっっくりやってました。

そして部活の終了時間となり山田達也の自慢混じりの説教を聞きました。

そして次の日の部活はサボりました。

しかし呼び出され怒られました。

言い訳は通じませんでした。

うざいです。

2年生はそんな感じでした。

3年生に進級すると同じクラスにチョウコウモクカニシローランドゴリラ、二文字にすれば一真が降臨されておられました。

一方部活は最後の年!ということで他の部活はそれなりに気合い入ってたと思います。

我らが卓球部は関係ありません。

なぜなら早く終わりたいから。

山田、日没、顎の呪縛からさっさと解き放たれたいのです。

この年はとくに大きく荒れることなく常に小さく荒れながら引退しました。

そしてキチガイ生活を謳歌した我々も祝・卒業というわけで美里中学校をすだって行きました。

その後の山田達也先生は末野原中学校に転勤。

Heは末野原まで嫌われに行きました。

思い出はまだまだありますがめんどくさいからこの辺でやめます。

ではまた次の更新で。