こうして自分も50代半ばを過ぎ、異国の地にてこうして暮らしているとつくづく学校というものは中学くらいまででもう必要ないのではなかろうか?

 

と思えてしまう。

 

自分も高校まで行って、一応は大学まで行こうと宅郎まで1年間した身ではあるが、つくづく時間を無駄にしてしまったなぁ~と後悔しかない。

 

高校ですら男子校の普通校に行き、それさえも無駄に時間を過ごしてしまったなぁ~と思えてしまう。

 

若いときにはとにかくいろいろなものを見て経験・体験して自分の頭で考えて判断して生きてゆく手段を身につければいいかなと思えている。

 

子ども時代も同じで、とにかく楽しくいろいろな経験をしていろんなところに行って体験することのほうが学校に行って勉強をすることよりも大切だと思えている。

 

実際長男坊などは2年生までをベトナムの学校に通い、3年生から日本人学校に編入させて通わせるとすぐに日本語の読み書きもできるようになって自分でも子どもの順応力というものに驚かされたものであった。

 

こんなにここまで子どもの環境順応力というものがすごいのに学校の勉強だけではもったいないと思えてしまう。

 

ただ学校に行って勉強して大学に行って就職して言われた通りにだけ仕事をしていたのでは、ただただただ会社と政府の言うことを聞く今の日本人の大人のようになってしまう。

 

子どもたちにも本当にそう教えている。

 

だからワク〇くんなども結局世界で一番接種率の高い国民になり下がってしまっている。

 

こうしてベトナムで暮らしていると、日本人は本当にクソがつくほどの大真面目者でさらにルールが大好きな民族であるなと思えるようになった。

 

そして一度できたルールや法律などはもう時間が経ったからといってなくなることは決してない。

 

みぃーんなで守って、そしてそれを破っている輩がいると遠くから白い目で見るというなにかいやらしさのようなものも感じてしまう。

 

その辺ベトナムは人がなにしていようが自分には関係なく、ノーヘルや4・5人乗り家族で走っていようが一方通行を逆走していたり歩道を走っていても誰も気にしない。

 

ちょっと お前!! やりすぎではないかい??

 

などと思うことも多々あるが、まぁ関係ないかな? と今では自分も南国化してきている。

 

いいか悪いかはともかく、この他人のことは気にしないというスタンスにおいてはこちらのほうが暮らしやすいような気がする。

 

日本でだと無言の同調圧力のような空気があって、なんでマスクをしない?わたしだってやりたくないのにしているのに!!

 

なんて見えない空気感が非常に強い。

 

#15 森永卓郎×深田萌絵 『被害総額20億!SNS詐欺に注意せよ!?』

 

 

こうしてこのような詐欺というようなものに会ってしまうというような人は、やはりなにか楽をして金が儲かればいいなと考えているから引っかかるのかなと思える。

 

自分が思えるようになったのは別に儲ける必要はなく、ただある程度稼げれば十分かなと。

 

儲けるというのは予想外・予定外の収入を得ることと辞書にあり、稼ぐというのは働いて収入を得ることとあった。

 

なら、普通に儲かる必要はないよなと。

 

昔21のときにワーキングホリデーでオーストラリアに1年行ってからニュージーランドに3ヶ月行った帰りにタイ経由にて帰国するときに着いて翌朝に女二人組に現金を全て盗まれ、帰る前々日にカード賭博詐欺というものにあって借金が一気に3・4倍ほどにもなった。

 

あのときにはものすごい大衝撃を受けてかなり落ち込んだものではあったが、今では若いうちにあの出来事にあったことで借金をすることの無駄な時間を経験したことはある意味でよかったのかもしれないと思えるようにもなった。

 

そして、初めてのワーキングホリデーでものすごい貧乏体験をして、フルーツピッキングで働きながらもいつも毎日のように残りの金を数えて暮らすみじめな暮らしも今ではあれを体験しておいて本当に良かったと思えている。

 

おかげで物欲はほぼ無くなり、日本での遊びもバイクでテントを持ってのツーリングと大して金も書けない遊びであったので貯金もできたのかと思える。

 

別に将来なにかのためにとか家が欲しいなどと考えていたわけでもなかったのが、こちらで結婚をすることになってまぁ貯金の範囲内で家が購入出来たら購入して、そこでなにかできたらやりましょうかね?程度に相談し始めたら本当にイェンが物件を探し始めて何件も見に行って最期にここの場所を見たときに “ン??” というような感覚がやってきたのを覚えている。

 

そうして一括で払い、残り少しは1年後ということにしてこの場所の改修工事が始まった。

 

あれから14年以上もの月日が流れたが、この場所を当時のあの値段で買えたことはかなりのラッキーであったと今では思える。

 

今では何倍もの値でこの近くの家などもやり取りされていたりする。

 

そうして無論この14年の間に何度も挫折したり心が折れたりもしたものではあったがこうして続けていることで今ではかなりマイペースで仕事もしている。

 

店をもっと大きくしようとか2号店云々などということは全く頭にはなく、子どもたちの学費がなんとか稼げればいいかな程度に考えている。

 

学校などはなんでもいいかな?程度に思えていたのに二人とも結局日本人学校に通わせることになってしまい、こちらの学費に苦しめられるという。

 

そうして長男坊ももういつの間にか中学生となり、そろそろ身の振り方を少し考えないといけない年になった。

 

今度二人で石垣島に行ってみようかななどなどと本気で思い始めてきている。