つづき

      

今回で一時帰国の思い出話はやっとこさ終わり。

 

一時帰国途中日本に働きに来ている黒ちゃんことデーンと京王線の分倍河原駅という改札口で待ち合わせ、そこから立川駅へとみんなで行った。

 

立川駅で降りたことなどは自分の人生数回ぶりで、ここも調布同様えらく様変わりしたものであった。

                                        

そうしてデーンのお薦めで昭和記念公園にて花見をしましょうということになっていた。                                                                           

                 

自分も立川駅の昭和記念公園などと行ったこともないので、いい機会だと思って今回着いていくことにした。

                 

そうしたら本当ものすごく広くて驚かされた。

                                       

今回ここに来るにあたってデーンは、夜は弁当の工場で朝まで働いて終えて家に帰っていろいろとみんなの弁当の準備をして、寝ずにこのままここに来たとのこと。

 

そうして今日はこのままイェンと語りに語って語りつくしてこのまま夜はまた働に行くとのこと。

 

自分なら絶対に睡眠を削ることなどは考えられない。

 

今はもう日本語も話せるようになり、かなりいろいろな意味ででも発展している。

                                          

思えば、こちらは自分も記憶にはないのだが、イェンの田舎へ遊びに行ったりしたときに偶然小さなころのデーンと写真を撮っていた。

                                    

そうして15歳のこちらの学校の休みの約2ヶ月ちょいの期間を(こちらの夏休みは3ヶ月と長く冬も春休みもない)家の4階に住み込みで働きに来ていたことがある。

                                    

そうしてまだ次男坊がいないころで一緒にブンタウに日帰りで遊びに行ったりしたものであったが、それから何年後には日本に行くことになろうとはもう驚くばかり。

                                    

その15・6才のときに家に住み込みで働きに来たときのことはよく覚えているが、とにかくやたらと覚えが早く仕事もできるし気も効くので本当にスーパー女子高生であった。

 

そのデーンもイェンよりも背が高くなってスタイルもよくもうモデルさんなみとなった。

                                   

日本に住み込んでもう4年ちょい程になるかと思うが、こうして働きながら日本語を勉強し、話せるようにまでなって自立している。

 

本当にすごいことだと心から尊敬してしまう。

 

自分も一年間、ベトナムに語学のみの勉強で2000年のときにハノイに半年その後ホーチミンに移って半年と勉強してから現地で建築系の仕事に現地採用を探そうと来たときがあったが、見事挫折し帰国して数年間の間に見事覚えたベトナム語も殆ど忘れ去ってしまった。

 

そうして忘れ去った数年後にまた偶然ベトナムに派遣契約にてハノイ→ダナン→ホーチミンと建築系の会社で働くことになってイェンと出会ってカレーやを始めることになった.

                                   

デーンもきっとこの日本での経験が誰よりも忘れられないいい思い出となることであろう。

                                   

そうしてデーンとイェンはどこかに行ってアオザイに着替えてきて自分はカメラマンとなる。

                                   

黒ちゃんことデーンも日本に長いこと住んだことで色も大分白くなったようである。

                                   

ベトナムは常夏なので、年中海に行けることができるので自分も年がら年中日焼けして色黒おっちゃんとなった。

 

そして昭和記念公園にも閉演時間が決められており、門の前で記念撮影。

                                  

そしてその翌朝には調布駅にて映画『鬼滅の刃』をみんなで観に行く。

 

今回は前回の無限列車のときと違い、なにか短編が続いているような感じで話がいくつか変わるのはいいが、歌までが途中2・3度あり、終わりなのかまだつづくのか少しわかりづらかったか。

                                  

朝はいつもばぁちゃんが味噌汁を作ってくれていて、納豆にアジを焼いてくれる。

 

なにやら今どきの日本の若者の家族の中は、朝・昼・晩とコンビニ弁当を食べている人がいるなどと耳にするが、本当かどうかは知らないが、それならご飯だけ炊いて納豆を食べているほうがずっと健康的で安く済むであろうと思うのだが。

 

自分が一人暮らしをしていたときにも、毎朝ご飯はタイマーで朝一人分炊いておいて納豆とインスタント味噌汁を食べてから仕事に向かっていた。

 

なぜならそれが一番節約できるし、なによりも健康的であろう。

 

                                

そうしてある日には、ばぁちゃんと毎回帰国時には行く自分の親父さんの墓参りと、今回はその去年末に亡くなったばぁちゃんのお姉さんの叔母の墓参りに行くことができた。

                               

そうして墓参りを午前中に済まし、そのままバスで今度はみんなで吉祥寺に行く。

                               

吉祥寺に着いてからは2016年のときにも一緒に行ったことのある蕎麦屋さんに行ってみる。

                               

コロナで無くなってはいないか気がかりではあったが、行ってみると無事営業していてホッとしながら店に入ってみんなで蕎麦を堪能する。

                               

やはり日本ででは蕎麦がいいなぁと改めて今回思われたか。

                               

このシンプル単純な蕎麦が、なによりも深みを感じられるようになった。

                  

そうして吉祥寺を散策すると子どもたちが走り寄っていく店か何かがある。

                  

入って中を見てみて改めて驚かされてしまった。

 

全てがガチャガチャでいろいろな種類目的に応じた値段もピンからピンまでの種類のガチャガチャがあり、いやぁ~改めて驚いた。

                 

そうしてその後はこの日が次男兄の誕生日だということで、自分が“富士山のグラス!”をお薦めしてLoftに連れて行く。

 

昔確か池袋のLoftまで買いに言った覚えがあるが、吉祥寺にあるかどうかはわからないがとにかく行ってみると無事に見つかる。

                                    

そうしてその富士山グラスを買った後に、やはり前回同様井の頭公園を少し散歩しに行く。

                  

桜がもう散り終えてしまっていたのが少しばかり残念であった。

                                   

                                     

                                  

まだ次男坊が生まれるちょっと前に長男坊と二人だけで一時帰国をしたときにもばぁちゃんと三人で来て、この滑り台に長男坊が遊んでいたときを思い出す。

 

今回こうしてばぁちゃんとイェンそして新しい次男坊と四人で来ることができたことが自分は感謝であった。

 

今回の一時帰国の三週間は地元を楽しもうとできるだけばぁちゃんと過ごそうとし、そしてばぁちゃんも答えようと頑張って歩いてくれた。

 

本当なら自分が車を借りて行くのがいいのであろうが、もう20年以上もペーパードライバーとなってしまい、乗ったら行く場所が違うところになってしまいそうなので自分は運転しない。

                                 

そうしてある日には調布のパルコの地下にばぁちゃんと買い物に行ってみる。

                                

するとまぁ本当にいろんな種類の弁当があることあることあること。

              

なんだ?これは??なんだってこんなにあるんだ?

 

と不思議にも思えたが、こんなにあるということはニーズがあるからこんなにあるのであろうから今どきの人はまったく自炊をしないのかなと。

 

ここから少し考え方を変えないと日本人は本当駄目であろうなぁと思えてしまったか。

 

食を便利で気軽で簡単に腹が満たされればいいと思うこと自体が少し違うのかと思えるようになった。

                               

そうしてパルコからばぁちゃんと歩いて帰る途中、ばぁちゃんの元実家にあった小さな鳥居が残っていると言うのでそこに行ってみる。

 

自分もその実家に小学生のころ何度か行ったことがあるのを覚えているが、この鳥居は記憶になかった。

 

ばぁちゃんのお父さんがこの辺りの地主さんで、大きな畑に牛小屋や鳥もたくさんいたのを覚えている。

 

そうして家で聞いたのだが、この鳥居のあった実家よりももっと調布飛行場側にあった大きな実家は焼夷弾が落ちて焼けてしまってこちらに移動してきた聞くことができた。

                              

そうしてこの晩はそのパルコで買った食事類とイェンが買ってきたレタスによみうりランドの途中で摘み取ってきたドクダミを中心とした香草類を撒いて食す。

 

すると翌朝、本当にいつも通りなにか腹の調子がよくなったように感じられた。

 

そうして帰国最終のほうで、次男兄が車でなにやら檜原森のおもちゃ博物館などというものがあるので、そこに子どもたちを連れて行ってくれるとのこと。

                

次男兄も兄で、せっかく一時帰国しに来ているので子どもたちを楽しませてくれようと気を使ってくれているのが感謝である。と気を使ってく         

                

入ってみると“なるほど”子どもたちにとってはゲームやなんかよりもいろいろな工夫が施されており、まさしく木で作られたパラダイスであった。

                

そうしてここを後にして次はそのまま近くの鮎釣りに連れてってもらう。

                

さて、そうしてみんな自分も含め釣りを始めたのであるが、連れたのは子どもたちだけで次男坊が一匹そのあとは次男坊が人数分を吊り上げ、他の人は釣れなかった。

                               

 

              

 

                               

 それでも人数分を釣ってくれてなんとか一人一匹を食べることができた。

                               

 

              

その後はさらにそこから近くの温泉に行って軽く浸かってまた運転してもらって帰宅する。

            

そしてその晩は2階で晩御飯を招待されて次男兄と途中で買ってきた“じゃがいも焼酎”を呑む。

 

このときが一時帰国中で一番呑んだときで、この晩途中から記憶がない。

 

 

そうしてもうすぐ帰国となる最後の日に長男坊が珍しく家の近くのケーキを欲しがってきた。

 

今から約14年も前に、このCurry Shika店の場所を見に来て、思い切ってほぼ全貯金を使い果たしてここを手に入れて店に改装するにあたってまず頭に思い浮かんだのは、真っ先に実家のすぐ近くにあったすごく小さな山小屋ふうのイメージのケーキやであった。 

                 

自分が中1の終わりにこの実家に引っ越してきたときからあり、ケーキと言えばこの店が自分の頭の中ででは一番である。                                                           

そして今回初めてここのマスターと話をしてみたら今年で丁度50年もやっているということを知って本当にビックリした。

 

何歳なのかは知らないが、25歳で始めたとしてももう75才くらいの現役である。

 

いつも店内には一人だけで作って売っており、クリスマスなどの忙しいときだけ誰か手伝いが来てやりくりしていた。

                 

自分もカレーや を始めてやっとこ 13年が経つが、今回最後にこの店に行って話ができたことで少しなにか励まされた思いであったか。

      

そうして最後の日ということもあってケーキを食べに行った後、息子二人を連れて歩いて家から数十分ほどのところにある小学校そして自分が通った中学校前を歩いてそのまま多摩川のほうへと散歩する。

     

 

       

この多摩川周辺も畑だらけだったのが、もうあちこちとマンションが建って調布周辺も様変わりしてしまった。

           

自分がここに引っ越してきた中学二年のときには田舎風景であったのが、いまでは大都心となりつつある。

              

 

              

そうして多摩川からの帰りの途中上石原若宮八幡神社によって実家に帰る。 

                              

そうして最後の晩はいつもならばぁちゃんがすき焼きを作ってくれるのだが、今年は年明けに階段から落ちて右腕を折ってしまい、まだ自由に使えなかったため近くの有名な焼肉やへみんなで初めて行ってみる。

                              

そして普段休み前の日などには予約で一杯になるというほどの人気店だというので、まだ5時ちょいというのにわざわざ予約して行ってみるとまだ誰もいなかった。

 

そしてメニューの中に野菜が少なく、本当に焼肉中心に食べるところらしく自分たちには合わず、ある程度にしてまた戻る。

 

これならベトナムのヤギ鍋などのほうが今では何倍もヘルシーで美味しいと思えるようになってしまった。

 

ヤギ鍋と言っても最初に野菜が出てきて、そして炭火焼のヤギ肉を自分たちで焼いて食べた後、さらに最後炭火鍋で自分たちでいろいろな野菜を入れて食べる。

 

肉・肉・肉にさらに肉といった日本の食べ方に今ではすっかりついていけなくなってしまったか。

                                   

そうして翌朝6時前と朝早くに兄に去年につづいて成田空港まで車で送ってもらってしまった。

 

日本ででは今ですらもリムジンバスがまだ稼働しておらず、調布駅からの羽田行きはあっても成田行きはまだ運航していないという。

                                   

そうして成田に着いて空港に入るとなんとまぁ閑散としていることしていること。

 

コロナ以来の長い長い実に日本だけが特に一番長―い対策期間中でみんなはおかしいとは思わないのであろうか?

 

日本が一番軽い症状であったのにもかかわらず、今度は終えるに終えずに今度はズルズルといつまでもいつまでもどこよりも長く対策をしているという………

 

そうして今度は春のインフルエンザ対応のお注射とかなんとか名前を変えて第6回目を始めようとしているとかなんとかを記事でみて”終わってるな!”としか思えないか。

 

0才か1才の赤ちゃんに打って数時間後に亡くなってしまったとか。

 

もうこれだけネットでいろいろな情報が出ているのにそれでもそんな赤ちゃんにまで打つ人がいようとは‥‥‥‥

 

 

ただいま世界中で超過死亡者数がものすごい勢いで増えていると観聞くが、普通の人は1日中スマホを眺めているが、気にしないのであろうかと不思議に思えてしまう。

 

日本で電車に乗ると見事に寝ている人以外はみんなほぼ100%の割合でスマホをいじっているのでビックリ。

 

そういった情報はなにも観ないでゲームやラインやなんかばかりをやっているのであろうか?

 

まぁ誰でも最終的に自分がいる場所は、自分が選んだ場所にいることにはなる。