【善】をあきらめて
これまでの記事を振り返って気づいたのだけど、3ヶ月に一回くらい一気に変わっていく時があるようで、その時の心境をブログに書くと、またしばらく連鎖的に氷解していく。というわけで日々の連鎖をダイジェストで。自分の思い描く【善】は「狂気」を持っておらず、しかし、自分はその「狂気」を必要なものとして認めたため「クソ is me」と認識したのだけど、『なりたいと思っていた自分になれない』という悟りが、思ってた以上にダメージが大きいみたいで、「ああ、アレにはなれないんだ………」って思うだけで涙が出ちゃうのです。笑【なりたいものになれない】ってなんて悲しいんだろう。こんな悲しいなんて、びっくりだ。善であることは“正しいと疑いようのないもの”だからこそ強く強く憧れていたのだ。色や形というものは、単純なようでいて誰にも真似できないものなのに自分のイメージする善人(notクソ)に自分自身をハメようとしていた。なにやってんだ!ともいえるしよくがんばった!ともいえる。ランチタイムに近所のおそば屋さんへ入ってそこでもボロボロ泣いてしまい、あ〜〜〜かなしいかなしい〜〜〜って思ってたらふと、世界のかなしみに繋がった気がして。人類の抱える問題、戦争、貧困、病、コロナ、自殺……みんながみんな傷を負って、悲しんでいる。その『かなしみ』に思い切って飛び込んでみるとそれはとても優しいものでできていて私のかなしみと誰かのかなしみが触れあうと、溶けるようにまざりあって大きな優しいものに変わっていくのを感じた。悲しみのスープはとても温かい。。。かなしみは、「かなしくないもの」が癒すのだと思っていたけどかなしみ自体が、かなしみを癒すことができるんだな、と知った。あともうひとつほんとうに目から鱗だったのは、身近に、『本来の自分でいるための協力者』がいたことに気づいて。そのうち一人は父親だったんだけど。詳細は伏せるが、とても都合よくできておりわたしを導いてくれただけでなく魂を守ってくれたのかもしれないッ。そう思うと人生って、スピリチュアルって面白い!脚本 設定 意味 を、あとから知るのエモい!と感嘆せずにはいられない。『自分の人生は自分が作りあげたドラマ周りの人(登場人物)は自分が決めた配役その通りの役割を演じてくれているだけ』というのはそのとおり。配役は完璧だったんだ。近ごろ、時間はゆっくり、頭の回転は速く、口は饒舌wほんと人って、困ってるときよく喋るんだな、と思う。p.s.総仕上げ?として映画『TENET』観てきました。順行する時間と逆行する時間の話。音楽や衣装も素晴らしくよ〜〜〜く、オススメ!!