「スガシカオその深遠なるエロティシズムの源流に迫る」
(音楽と人 2006年 6月)
「「19才」には、いまいましいエレクトロニクスの音色が突き刺すファンクネスとそれが呼び覚ます不気味な猥雑さに溢れかえっている。10代の青い衝動と揺れ動く心理とが伝える奇妙な切迫感。ここには胸の裏側をかきむしられるような、いけない場所に触れられるような居心地の悪さがあるのだ。
そして思う。どうしてスガシカオの歌からはこうしたインモラルさが匂うのだろうと。
なぜエロスに突き当たるのだろうと。その理由にはきっと、“業”のような何かがあるに違いない。スガシカオその深遠なるエロティシズムの源流に迫る。」
スガシカオ
「どうにもらない悲しみや、未来への希望だったりと、僕の歌詞のテーマの中の柱の一本として、男の虚しさみたいなものがあるんだと思うんですよ。
振り回されてる男の煩悩のバカバカしさを肯定したいんてすよ。
男ってさ、十代から人生の大半を女の性に縛られて生きている訳じゃないですか、それで捕まったり、人生棒に振る奴もいるわけじゃないですか。
そんな事は、分かっていても、そこに捕らわれなければならない“寂しさ”みたいなものは、ぼくらが抱える虚しさの中で一番大きな虚しさじゃないかと思うんですよ。
そこはエロティシズムを書くこと…書かずにはいられない、そういう感じですよね。
女の人は、性欲に目覚めたとしても、子供が生きがいになったりと、それ以外の人生があるんですよ。
でも、男は、大多数が性のフタを閉じらんない。そういう虚しさを書きたい…書かずにはいられないんです。」
「だいたいエロってさぁ、基本的に何ひとつ建設的なことじゃないもんね。
ヤったからどうなんだって話じゃないですか。
それが分かってんのに、シッポ振ってエロビデオとか見ちゃう訳じゃないですか。(笑)底抜けに虚しいよね、そんなの。
性を対象にした詞を書き続けるのは、皆がそれに囚われているっていうことで、書かざるをえない、書かない事にはどうしようもないって事なんだよね。
俺は基本的に、"俺はこうです!皆もそうでしょ!"って、考え方だから。
"いや、お前だけだよ!"って、言われる時が多いんだけど(笑)
性をテーマにするって言うのは自覚があるし、俺なんて、酷いやつだって思われてる訳だから余程の覚悟がないとプレッシャーに押しつぶされて書かなくなるだろうからね。
それは、やはり"業"のようなものなのかもしれない。」
「歌詞って言うのは、要するにきれいごとを言わないっていうか、たとえば女関係で汚い事やってきたら、汚くてすいませんと歌う。
そこはデビュー当時から徹底してそうでした。
“自分がきれいな人間とは思いません”っていうのを言う。
それは凄くあったかなぁ。
逆に言わないと歌詞が全部嘘になってしまうと思ったんですね。
きれいな歌詞を書くんだったら、その分ちゃんと汚い自分を見せましょうっていう、その方向は今でも変わんないですね。」