両親 | スガ シカオという生き方 ~history of his way~

スガ シカオという生き方 ~history of his way~

1997年デビュー、2011年フリーランスとなった音楽侍スガシカオさんの記録。
本名:菅 止戈男。戈(ほこ)を止める=争いを止めることが「武」の本義であるという孔子の著から取られた名前に込められた思い、それに恥じない生き方の足跡。

$スガ シカオという生き方 ~history of his way~

スガシカオさんの父親。(北海道出身)
「ホームにて」の歌詞のなかにある「 父親のインクの臭いがする手で」という部分。
実は亡くなったシカオさんの父親は元記者さんだったそうで、それを思うとまた違う感慨があります。
孤独と酒と文学を愛したシカオさんの父親。
片道の電車賃だけで北海道から東京に出てきたという生き方を見ても今のシカオさんは凄く似ているのかもしれないです。
争いを止める人間になってほしいとの願いを込めシカオ(止戈男)と名づけたお父さんの知性や深い想い。その名前に恥じない生き方をされてることが何よりの親孝行かもしれません。

「俺の父親は、自分が正しいと思ってる信念をお金と比べられて否定されたらしいんですよ。それでブチ切れて"貴様らみたい腐ったヤツらと一緒に仕事は出来ん!!"みたいな感じで…仕事辞めちゃって。
でも、“いやいや、やめてよ家庭あるから!みたいな(笑)”
それで辞めちゃったはいいんだけど、独立なんかしたって何の準備もしてないし、仕事もないしさぁ。
4年間お給料が一銭もなかったんですよ、父親なのに母親の稼ぎだけで食っててもう、クソ貧乏で恐ろしい話ですよ!
子供の頃から、不当な事とか、理不尽な事とかを見過ごしたり出来なかった…それは、完璧に親父からの遺伝。親父そっくりだもん、俺!」

「親父との思い出は、中学生の時の喧嘩。些細な事で、エラく怒られて、ドロップキック入れちゃったんだよ。そうしたら、次の日、親父動けなくなってさ。
それから、親父を意識するようになった。
もう、俺を守ってくれる人ではないんだなって。こっちがしっかりしなきゃいけないと思ってね。」

「亡くなった親父がね。サンマとか腸(わた)がうまいとか言いだしたりするんだよ。
「腸“も”うまい」ならわかるよ。
でも「腸“が”うまい」はねえよ!
だったら俺の腸やるからお前の白身よこせよ!」みたいなさぁ。(笑)」


「反面教師的な意味も含めて俺が父親から教わったのは、人間の弱さについて。
社会の矛盾とか、いろんなものにひねくれるなと。生きていくしかないんだってこと。
それは歌詞にも凄く反映されていると思う。」

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スガシカオさんの母親。(生まれも育ちも東京1934年1月5日生まれ)
ヤクルトの事を、ヤグルトと言う事からシカオさんのブログでヤグルトさんと呼ばれています。

父親が会社をやめ事業を始めて数年、極貧だったスガ家。しかしヤグルトさん(母親)は、結構なんとかなるさっておおらかな人で、子供にそういう事を感じさせなかった。
しかし、ある日、調査に来た税務署員にヤグルトさんが
「おたく、どうやって食べてるんですか?この収入でどうやって暮らしてるんですか?」
と言われているのを聞いて初めて「うちって貧乏なんだ、お金ないんだ~」って知ったらしい。

「僕が幼少の頃から何言ってるかわからないひとでしたね。
もう、1日に何十回突っ込んだらいいんだってぐらいのボケボケな人。」

子供の頃、レトルトカレーはいつも冷たいまま出されていた。

早稲田大学受験の日、出された朝食はラーメン。しかもインスタントヤキソバを汁だくに作られたくそ不味いものだったそうで、受験に失敗したのはあれのせいかもしれないとおっしゃっていました。

天下のスガシカオに向かって、美空ひばりの映像を見ながら「あんたも、こんな曲作りなさい!」と言い放った。

禿ても、かつらだけはやめなさい!とアドバイスするツワモノ。

78歳という妙齢にかかわらず、Sly やmoussyのブランド店でお買い物をする伝説のおばあさん。

母親からは帝王切開で生まれたと聴いていたのに、実は母子手帳を見たら「普通分娩」と書かれていたことで嘘だとわかった。それをブログに掲載した際、
「歌手 帝王切開は嘘だった」という凄いタイトルでアメブロニュースで取り上げられた。1年間、シカオさんが地道にためになる話や、面白い話をして、チリツモしてきたブログのアクセス数は母親の発言の前に一瞬で完敗した。

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スガ シカオ

「近すぎてよくわからない関係、親と子というわずらわしい距離感、家族という気持ちの悪いシステム・・・・

全てがこうであるものと、あらかじめぼんやりと決められてしまっている幻想・・・

それがおれにとっての家族だった。」