制作会社勤務① | スガ シカオという生き方 ~history of his way~

スガ シカオという生き方 ~history of his way~

1997年デビュー、2011年フリーランスとなった音楽侍スガシカオさんの記録。
本名:菅 止戈男。戈(ほこ)を止める=争いを止めることが「武」の本義であるという孔子の著から取られた名前に込められた思い、それに恥じない生き方の足跡。

スガシカオ history of his way vol.8
(1991-1995就職活動~社会人時代) 
GB(ギターブック)2001年1月号
$スガ シカオという生き方


「大学出てます=全部合格みたいな時代だったから、就職活動自体そんなにちゃんとやってないですね。

希望の職種は、音楽系か、クリエイト職、レコード会社、広告代理店、企画会社。
クリエイト系でも出版社は嫌だった。レコード会社は全滅。SONYなんか、書類審査で落ちた。

結局、5つ位受かった中で、受付の女子社員が一番可愛いかった制作会社に決めたんだよ。そういう選び方?大事だよ、大事!!

僕がいたのは、"新規事業開拓"が主な任務で、企画立てて、自分たちのノウハウを使って、今までやったことのない分野に食い込んでいくっていう部署。

で、一番最初に任された仕事は、アイドル歌手のタマゴの付き人。歌のレッスン、ダンスのレッスン、ヘアカット、衣装のフィッティングいろんな所へ連れて行くの。
ダンスのレッスンのときは、一人じゃ淋しいからって、一緒に踊らされて。ダンスの先生には、リズム感はメチャクチャ良いけど、体が固い、致命的。ダンサーにはなれないわね!って言われました。
高校、大学の頃もディスコにはよく行ってたけど、でも、ユーロビートが嫌いでね。
ダンスレッスンで使う曲の選曲も全部俺がやってました。

その付き人の仕事が終わってすぐ、「じゃあ、明後日から長崎に行ってくれ」って、言われて2ヶ月長崎の造船所で暮らしました。

船にある舞台関係の作り込みに行ったの。照明とか音響とか強い会社だったから。豪華客船"アスカ"のステージまわりを作って、どういう出し物をやるかまで考えるの。
俺はペーペーの新入社員だったから、船旅中の老人客用に朝のラジオ体操の音出しとか、ゲーム大会のファンファーレ出しとか、舞台でミュージカル終わりの片づけとか。
一回の旅は一週間位なんだけど、俺らは、限りなく船底に近い部屋に野郎3~4人でさ、シャワー位しかないし最悪な環境でしたね。

でも、作ってる最中の造船所が、もともと病院だった建物を造船所として使ってたから会議室は病室だったり、霊安室は残ってるし、夜中なんてめちゃめちゃ怖いんだよ。

長崎の仕事が終わった後は、ホールの舞台まわりを作る仕事で1カ月くらい川越に泊まったり、とにかく酷い生活してましたね。」
$スガ シカオという生き方 ~history of his way~
企画会社時代にかかわっていた豪華客船。2011年オーガスタキャンプが横浜赤レンガで行われていた時に偶然にも近くに停泊していたもの。

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スガシカオ
「アイドル歌手の付き人やってた頃に、その娘とダンス教室に一緒に通わされてたんだけど、
ダンスの先生に、リズム感はめちゃめちゃいいんだけど、身体が硬すぎるからダンスには向かないわね。って、言われた(笑)」


(1999年5月音楽と人)