デビュー前のインディーズ時代 | スガ シカオという生き方 ~history of his way~

スガ シカオという生き方 ~history of his way~

1997年デビュー、2011年フリーランスとなった音楽侍スガシカオさんの記録。
本名:菅 止戈男。戈(ほこ)を止める=争いを止めることが「武」の本義であるという孔子の著から取られた名前に込められた思い、それに恥じない生き方の足跡。

1995年スガシカオのデモテープに出会ったオフィスオーガスタ社長・森川欣信氏は、大至急会いたいと連絡を入れた。

初めて逢うスガは華奢でまだ少年ぽさが残る風貌だった。

もうすでに1年前に送ったテープで落選していたと思っていたし、ライブ経験も少なく、楽器にもさほど自信も無い、曲も5曲くらいしかないと、ネガティブな情報ばかりだったが、今興味を示してくれているプロダクションがあり、レコーディングをする予定だと言われた。

大手プロダクションの若手プロデュサーはスガを形にしようと上司にかけあっていたが、乗り気でない為、CDの発売も(タワーレコード内の自主レーベルからのインディーズ盤「0101」95年11月発売)単発で終わるはずだと残念そうだった。


そこでオーガスタでスガを預りたいと上司に顔をつないでもらった。

するとその上司は、態度を硬化させ、スガをつなぎとめておくべきがどうか迷い始めていた。

極力、冷静に、もう30前だし、うちはスガを作家として預りたいんです、などと心にも無いことを言う作戦に出たが進歩のない話し合いが秋ごろまで続いた。

結局、大手プロダクションから「今後スガをやるつもりはありません」という連絡が来た時、森川は「やった!!!!」と心の中で叫んだ。

当時のオーガスタは借金に奔走する毎日で、経済的には相当苦しかったが、スガが持ってくる新しい曲がどれもすばらしいもので、悲壮感は全くなかった。


11社以上のレコード会社にプレゼンテーションして回ったが、大ぼら吹きと思われる日々だった。

結局、古巣でもあり、元々オーディションを主催したキティレコードに駆けこんだ。

「そもそも自分とこのオーディションだし、それを中止にしたんだから責任あるだろ!」

って話したら若いディレクターが反応してくれて・・そんな経緯でデビューに至った。



当時キティレコードは、スタッフもどんどんリストラされている、がたがたな状態の中、潰れ掛けの弱小レコード会社にかろうじて拾われ、スガシカオは1997年「ヒットチャートをかけぬけろ」で静かにデビューした。

(結局この倒産寸前のレコード会社の延命のキーマンとしてデビューから数年、彼はハードワークを強いられる事になるのです・・。)
$スガ シカオという生き方

1995年11月発売 菅 止戈男インディーズ盤「0101」
(この時は漢字表記)
収録曲
1 やがて
2 あいとはいったい
3 愛について
4 愛について(Original Demo Tape)

140枚しか売れなかった。しかも、そのうち80枚の購入者は友人。
と言うことで、現在、ネットオークションなどで高値で取引されています。
以前はBOOK OFFの100円コーナーに紛れ込んでいた、なんて事もあったそうです。


「あいとはいったい」