【全国の「かけすぎ部」部員に告ぐ。その2】
【全国の「かけすぎ部」部員に告ぐ。その2】
ちょうど去年の今頃の話だ。
おれはヒトリシュガーツアーの真っ最中で、大分でのライブを終え、福岡空港から沖縄に飛ぶために一旦博多に入った。
博多で時間を取ったのは、昼食に本場の「とんこつラーメン」を食べるためだった。
選んだラーメン店はそこそこ有名店で、昼飯時というのもあって混雑していた。
値段も手ごろでおいしく、若手のミュージシャンやロックバンドは皆その店をひいきにしていた。
おれのチームは常に3人で動いていたので、その日も3人で同じメニューを頼んだ。やおら、3つのとんこつラーメンが運ばれてきた。
おれは「かけすぎ部」なので、紅ショウガとゴマをスープの色が変わるくらいかけて、とんこつラーメンをいただいた。
「さすが、かけすぎ部ですね」
「ふふ・・・かけすぎ部、なめんなよ、若造。」
そんな会話をしながら食べ終えると、おれたちは博多の空港から一路沖縄に向かった。
沖縄について夕刻くらいだろうか、おれは体の異変に気付いた。
たらたらと出る冷汗は、決して温かい気温のせいではない。
内臓の奥の方に感じる腹痛、そしてどうにも重たい胃。
そうこうするうちに、おれは上からも下からも狂ったように排泄がはじまり、ホテルの部屋のトイレから一歩も出てこれなくなってしまった。
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.食中毒。
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な、なぜ、おれだけ??
今日食べたものはとんこつラーメンだけだ、でも他の二人は元気にぴんぴんしている・・・
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.紅ショウガ・・・か。
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確かにその時分、ノロウィルスや何かが猛烈に流行っていた。
テーブルに無造作に置きっぱなしにされた紅ショウガの大きな容器の中に、なにがしかの雑菌が混入していたかもしれないことは容易に想像ができる。
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おれは沖縄で、ライブ以外ほとんど外に出ることもなく、ひたすらホテルの部屋でのた打ち回った。
ライブ直前にコンビニの「おでん」を少々口に入れ、大量の薬を飲んで2時間のLIVEを疾走した。
LIVEはとてもよくできたが、郷土料理らしいものも、楽しみにしていた大衆食堂のランチも、シーカーサーハイもサンピン茶も、ほとんど何も口にすることはできずじまいだった。
結局、国際通りも一歩も歩かず、お土産すら買わず、涙で青空まぶしい沖縄を去った。
.その一件以来、「かけすぎ」が自分の中で「トラウマ」になってしまった。
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.特に活動のメインである「紅ショウガ」をかけることは、おれにとって大きな壁になってしまった。
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例えば町の牛丼店で、紅ショウガをかけようと蓋を触ると、あの悪夢の沖縄がよみがえってしまうのだ。紅ショウガの中に、見えもしないウィルスがウヨウヨと動いている妄想にとりつかれる。
約一年、紅ショウガはおろか、粉チーズもつぶマスタードもゴマ油も、何もかけずに過ごす日々が続いた。
これが休部の真相だ。
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そして2014年3月、おれはその悪夢から蘇生した。
一まわりも二まわりも大きくなって、「かけすぎ王」となって甦ってきたのだ。
久々にかけすぎたら、クソうまかった。