【告白・突発性難聴との戦い】その3
【告白・突発性難聴との戦い】その3
東洋医学での治療は激しい痛みを伴い、しかも保険がきかないから治療費もかさんだ。
しかし、そんな泣き言は言ってられない。頼れる最後の医療方法は、東洋医学しかないのだ。
おれは毎週一回、ワラをもすがる気持ちで整体治療に通った。
この頃ちょうど、「スガシカオ独立」というニュースが世間に流れた。
色んな人から激励の言葉や、困ったら力になるよというありがたい言葉をいただいて、なんだかとても前向きになれた。ファンのみんなからも、沢山の応援のコトバが届いた。
こんなにも自分の音楽を応援してくれる人がいるのだから、耳が片方聞こえないくらいで、なにを悲劇のヒロインよろしく落ち込んでるんだと、おれは自分がまぢで情けなくなってしまった。ぶっ殺したいくらい、弱っちい自分に腹が立った。
その年の終わりにかけて、予定していたライブもキャンセルになったり、マネージャもいないゆえ仕事がなかったりで、おれは治療に専念することができた。
「せっかく仕事がないなら、南の島でリラックスでもして来たら?」
と主治医にアドバイスをされた。
年末は沢山のミュージシャンがカウントダウンだ、年末歌番組だ、クリスマスライブだと大忙しだ。おれのアーティスト仲間たちも、もちろんあちこちで華やかにスポットライトを浴びてパフォーマンスを繰り広げるだろう・・・・。
それに引き替え今のおれときたら、仕事はないわ、耳は聞こえないわ、稼ぎはないわ、スタッフもいないわ・・・日本にいても不貞腐れる一方なので、先生のお言葉通り、久しぶりにオフ(オフというか仕事がないだけ)をとって海外に遊びに行った。というか、逃亡した。
そうこうする内に、奇跡的に東洋医学の効果が表れ始めた。
主治医は、元の聴力の半分が戻れば大ラッキーという目安で治療してくれてたのだが、日によっては検査でなんと70%くらいまで回復してきた。
「いやぁ、こんな事例、あまり見たことないですけどね・・・とにかく奇跡が起こってよかった!この調子で、回復するといいですね!」
主治医にも、ようやく笑みがこぼれた。
2012年1月中旬、おれは一人になって初めての「ヒトリシュガー」というツアーに出た。ステージ2時間を、たった一人でやりきる完全アコースティックのハードなライブだ。
ライブハウスを自分でブッキングして、メルマガと手売りだけでチケットをさばき、制作とテックの3人で全国21本のツアーをやった。
途中、強く鼻をかんだり、予期せず大きな音でライブをやってしまったり、そんなことがある度に右耳の聴力は再度50%以下までガクンと落ちた。
耳鳴りと、ひゅんひゅんという音が再び右耳で鳴り響いた。
聴力が落ちた時は、すぐに病院でステロイド治療をして、何とか持ち直し、週一の激痛整体治療をツアーの間も続けた。
つづく。
◆◆◆新曲リリース◆◆◆◆◆◆◆◆◆
New song
「Festival」
https://itunes.apple.com/jp/album/festival-single/id572504226
作詞・曲・編曲・全楽器・プログラミング スガシカオ
制作 UGM
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆