ここ最近、寝不足続き。


何だか眠りに付くのが怖く感じて、

体力的にも精神的にも、

ぎりぎりまで睡眠欲と戦いながら、

HDに録画してあるテレビドラマを観たり、

本を読んだりして過ごす夜更け。


睡眠時間が短いせいか、

頭の中にある情報が散在している感覚。

新しい物事がすっと頭に落ちてこない。

ただただ、脳みそに放り込んでいるような気分のまま、

日中を過ごしている。


こんな時は早く帰ってゆっくり休めば良いのに、

と思いながらも、上司と同僚たちが飲んでいる

新橋の飲み屋へ仕事を切り上げ遅れて参加。

この飲み屋は、会社関連の大先輩がつい先日、

新橋で開店したばかりのお店。

こじんまりとしながらもとーっても雰囲気が良く、

お洒落なお店で、是非ともオススメ!

検索してもまだ出てこないし、

しばらくは某広告会社の溜まり場になるんでしょう。

また近い内に伺います。


そして2軒目を経て終電で帰宅。

本来であれば、すぐにでも泥のように眠りたいはずなのに、

家に着くと目が冴えてしまい、

HDに録画してあるテレビ番組を鑑賞しながら、

考えを巡らす。


ヤケになったり、自暴自棄になったり、自虐的になったり。

どんなに前向きに楽しく暮らしていても、どーしても時々、

そんな感情が止まらなくなっちゃうときってあると思う。

そして、そんなとき。

飲んだくれたり、物を壊しちゃったり、人を傷つけちゃったり。

そんなことをしちゃうのは、

猛スピードでバックしちゃっているのを止めるために、

わざわざ自分でハッと我に返るように

しでかそうとしているんじゃないか、とふと思いを巡らす。


ハッと我に返るような出来事をしでかして、

とりあえず車は止まる。

何かにぶつけて止まらないと、

どこまで行っちゃうかわからないから。


バックに進んでいく景色を見ながら

「あー、どんどん後退している」と思うと

焦りが更に後退するスピードを早めてしまうけど、

どうせなら思いっきり、何かにぶつけてみる!

すると、さすがに自暴自棄の上にある防衛本能が制御を利かせ、

ギアがニュートラルに戻るような。


そんなことを考えながら、テレビを見ながら、うとうとしながら。

今夜は夜、

会社の仲間たちと花見を開催。


葉桜になっちゃっていたけど、

その分、気候はのどか。

温かい風に包まれながら、

桜の花が夜空に舞い散るさまを見つめ、

桜の散り際に何だか切なくもなり。


やっぱり桜の花は

どこか一期一会の世界観を感じる。

諸行無常の世界。


何を選ぶかではなく、選んだ後、

どう生きるかが大事なのかなーと。


過去の積み重ねが今であり、

今の向き合い方が未来を決めていく。

確かにその通り。


だから今、目の前のことから逃げずに真っ直ぐ、

向き合っていかなければならない。


ただ、未来が過去を決めていくのも、

それはそれで真なり。

どんな物事にも感謝の気持ちを持って

明るく受け止め、ひたむきに頑張れる人は、

結局、何をどう選んで積み上げてた人生だとしても、

最後には「これで良かったんだ」と笑えると思う。


人生において、正解は無いからね。

本日は午前半休。

のんびりと考え事。


身近な人が亡くなったり、

別れたりしたときに感じる悲しい気持ち。

その本質ってなんなんだろなーと。


要するに、その人が過去にしか

存在しなくなるということで、

しばらくは現実にも馴染めないだろうし、

未来にもきっと目を向けられなくなるだろうし。

そうした感覚が悲しい気持ちの本質なんじゃないかな?


どこかで聞いた話。

自分の身の回りに起こる出来事は、

必ず自分で乗り越えられる程度の出来事しか起こらないと。

そうした山や谷を乗り越えていくことで、

成長していけるんだと。


どんな辛いことや苦しいこと、悲しいことがあっても、

必ず、すべてに意味がある。

この苦しみ、この痛み、この絶望は、

必ず、何かを伝えようとしている。


人生の物語の中で起きる、ひとつひとつの出来事。

ここから、どんなメッセージを受け取りながら、

成長していけるか。

人生とは、そうした経験の積み重ね。


これまで「楽しみ」と「楽」を錯覚しながら、

欲張りすぎていた自分がいたんだと。

減らしていくことで、

何が重要なのかが逆に浮かび上がってくる。


そう、大事にしたいことってたくさんあるんだよね。

でも、結局、いま、この時に選べるのはひとつだけ。

本を読んでいればテレビは見れないし、

会社の同僚と飲んでいれば大学時代の友人とは会えない。

そう、選べるのはひとつだけ。


あれもこれもと、あくせくしても結果は一緒。

だったら目の前にある大事にしたい物事をひとつずつ、

きちんと大切にすることが重要なんだろうね。

64年前。

1945年の今日は、、、

戦艦大和が九州南方で撃沈させられた日。


既に制空権が米軍にあり、

沖縄に到着するまでに撃沈される事は自明の理。

作戦というよりは、

戦艦大和の死に場所を求めた出撃だったらしい。


「進歩のない者は決して勝たない。

 負けて目覚めることが最上の道だ。

 日本は進歩ということを軽んじすぎた。

 私的な潔癖や徳義にこだわって、

 真の進歩を忘れていた。

 敗れて目覚める。

 それ以外に、どうして日本は救われるか。

 今、目覚めずしていつ救われるか。

 俺たちは、その先導になるのだ。

 日本の新生に先駆けて散る。

 まさに本望じゃないか。」

(『戦艦大和ノ最期』より)


「負けて目覚めることが最上の道だ。」

この言葉が胸に突き刺さる1日。


これまでもこれからも、

後悔は絶対にしたくない。

どんな出来事に直面しても、

後悔ではなく、反省をしていきたい。

でも、自分の中に刻み込む為には、

後悔の念に際悩まされることも

時には必要なんじゃないか、なんて考える。


いや、そもそも後悔とはそういった次元の

感情ではなく、過去と未来の間にあるいま現在、

身動きが取れなくなっている状況で、

頭をもたげるような感情なのかな?


他人と過去は変えられない。

だからこそ、未来と自分を変えないと。

コップに半分の水がある。

そのコップを目の前にして、

半分しか水がないと考えるか、

半分もあると考えるか。


ポジティブシンキングの例え話として

良く使われる代表だけど、

物事の感じ取り方、というか、

毎日を幸せに楽しめるかどうかは、

ほんと、感謝の気持ちが大切なんだなーと。


半分も水が入っていると、感謝する気持ち。

今日はその事を痛感しました。


人間はすぐに慣れてしまうから、

いつもコップに水が入っている状態を前に、

なかなか半分の水への感謝を忘れてしまう。


半分しかない!

そう考えてしまうと、感謝できないどころか、

ネガティブな考えに支配されてしまう。

もっともっと、もっともっと・・・って。


無いものが手に入れば、もっと幸せになれる。

そんな幻想に支配されてしまうと、

無いものばかりに目が向いてしまい、

あるものへの感謝が忘れられていく。


コップになみなみ注がれた水は

本当に必要なの?半分で十分なんじゃないの?

なみなみ注がれたことで逆に不自由に

なったりするんじゃないの?


今あるものだけでも十分に恵まれていて、

無いものよりもあるものの方が

圧倒的に多かったとしても。

無いものが手に入れば、もっと幸せになれる。

そんな幻想に支配されてしまうと、

幸せは外に求めるものだと勘違いをするようになる。

例えばお金もそうだし、時間やスキルなんかもそう。

もっともっと、もっともっと。

足りないものがどんどん顕在化され、

常に不満を感じてより多くを求めるようになり、

更に不安になっていく。


悪循環。

負のスパイラル。


そうなる前に、自分の中で絶対的な評価軸を持ち、

どこかできちんと立ち止まり、周囲を見渡す余裕。

それが大切なんだね。


もっともっと。

新しい水を注ぐことにばかり気を取られ、

コップにひびが入っているのに気付かなくなり、

ふと我に返ればどんどん水が流れ出ている。

まずはコップがある事に感謝し、

そこに入っている水に感謝。

その感謝する気持ちは全ての基本。

昨夜から引き続き。

家でのんびりと音楽を聴いたりDVD鑑賞。


Mr.Childrenに癒されながら、

何だか時間を持て余しながら、

フジテレビ系列で再放送中のテレビドラマ

「結婚できない男」を視聴。


阿部寛/結婚できない男 DVD-BOX


かなり評判の高いドラマだったけど、

期待通りにどんどん引き込まれました。

ここ最近、完全にブームと化している

「婚活」の前兆ともいえる、このドラマ。


素直になる事って何だか恥ずかしくて、

ついつい憎まれ口を叩いて

自己防衛してしまう気持ち、

何だかちょっとわかります。


それはそれで、

愛情表現だと感じてもらえている内は良いけど、

時には素直に自分の弱さも含めてさらけ出さないと、

信頼して相手からも素直な気持ち、

見せてもらえなくなる。

やっぱり自分から変わらないとね。

今日、家でのんびり考えていた事。


これまでの自分は種を植えて、

早く綺麗な花が咲かないかなーって。

ただただ楽しみにしているだけで。

水をあげたり、栄養を与えたり、

太陽の光を浴びさせたり。


そんな風に、

自分で動いていかなければ

綺麗な花なんて咲くわけないのに、

ただただ早く咲かないかなーと待ちわびて、

その内、なんだよ、全然咲かないじゃないかと。

種が悪かったんじゃないかって、

自分を棚に上げて不満を口にするように

なっていたんだなーって。


ただ、こうした自己の気付きって、

自分の身によくない事が舞い降りないと

なかなか気付かないもんで、

結構、考えさせられました。

自己嫌悪。


いろんな事に興味や関心を広げていく前に、

まずは自分の足元をしっかり照らさないと駄目。

基本が固まっていないのに、

立派な建物をいくら建てようと建つ訳ない。


・・・今年の桜も綺麗です。

体調が精神に及ぼす影響って結構あると思う。

やっぱり人間の身体って、

思想や気持ちを入れておく器だからね。

パッケージがその商品を的確に表現する。

商品がパッケージを、

そしてパッケージが商品を。


今週はずーっと、微熱や咳と付き合いながら、

だましだましだったのに、昨晩、

ハメを外して明け方まで飲んでしまった事で、

箍も外れてしまい、何だか、ダダダーっと。

奥底に潜んでいた「負」の部分が噴出してしまい、

なにもかもが面倒臭い、といった感覚。


自暴自棄。

そもそも自暴自棄って、

「孟子」の教えに出てくる言葉で、

「自ら暴(そこな)う者は、ともに言(かた)ること有るべからず。

自ら棄つる者は、ともに為すこと有るべからず」

「自暴」とは、礼儀道徳をないがしろにしてけなす人のこと。

「自棄」とは、道徳の価値は認めているが、

道徳の根本たる仁義などは自分に無理なことだと

実践しようともしない人のこと。


そこから、不満や失望などが原因で、

やけになって自分の身を粗末に扱うこと。

また、そのさま。の意だと。

自分の身を粗末に扱うならまだしも、

周りの人にまで迷惑をかけてしまい、

自暴他棄になってしまってはねー。


作り笑いでもいいから、

鏡で自分の笑顔を見ていると、

自然と元気が湧いてくるように、

パッケージがコンテンツに及ぼす影響は大きい。


心で感じていることと、外的状況を一致させたい。

人間にはそうした欲求があるらしい。

要するに、自虐的になると、

そのことを証明するかのように、

そうした行動を自然に取ってしまうらしい。


そして、自暴自棄になっている自分に気付くと、

そんな行動を取ってしまう自分に気付き、

更に自暴自棄が促進。


不安を感じている自分に気付き、

理想とする自分とのギャップから、

更に苦しんでいる自分に気付き、

またしても本来の自分とのギャップへ。


こんな時はとことんまで負を吐き出す。

これまではそんな解決方法だったけど、

それって周りにいる人たちの事を

何も考えていない行動なんだと痛感しました。


先輩んちで眠りから目覚めると・・・

あ、先輩がいない!

体調が本調子では無く、それに加えて、

昨夜の盛り上がりからやや気が抜けた状態。

何だか何もかもが面倒臭くなり、ぼけーっと

先輩の帰りをだらだら待ちぼうけ。

結局、昼過ぎに戻った先輩にお礼を言って帰宅。

久々に電車で爆睡しながら。


やっぱり多少、無理してるのかなー。

背伸びしなければ大きくなれない。

だけど、あまりに背伸びし続けて、

気付けば足への慢性的な疲労感。

足が攣ってしまったような感じに近い。


そんな事にすら頭が動かず、

帰宅して初めて現実世界で気付かされた

桜で始まり桜で終わる物語。

地元の桜並木はまさしく今日満開。

桜ってどこか物悲しく、

なにか一期一会を感じる花。


もともとお酒は弱く、

家でアルコールを飲む事は一切ない。

それこそビール1本すら置いてないんだけど、

今夜は何だか飲みたい気分。

安い焼酎を大量に買い込み、

悪酔いしながら夜が更けていく。

結局、今週は本調子に戻らず、

もやもや気分を抱えたまま週末へ。


夜、打合せを終え、

今夜はラジオ制作時代、お世話になった

代理店の諸先輩方との飲みがあり、赤坂へ。


基本的には馬鹿話。

そしてちょっぴり広告の話を。

ラジオは地域性であったり、

各年代の感覚が大きく変わる媒体なだけに、

同じマス媒体であるテレビや新聞、

雑誌とはやや立ち位置が異なり、

まだまだ媒体としての存在価値を築けるとは思う。


ただ、真正面から向き合っている方々が

直面している危機感はかなりのもので、

音声だけでパーソナリティーが語りかける、

生活者に寄り添う媒体であるラジオの利点が

欠点として浮き彫りに感じられる機会も多いみたい。


確かに映像や画像が使えないのはもどかしいんだろうけど、

ショッピング番組なんかだと、

テレビショッピングよりもラジオショッピングの方が断然、

クレーム数が少ないんです。


それだけパーソナリティーを信頼しているし、

商品に関してはあくまでも頭の中での妄想であり、

イメージは自己責任。

このイメージの熟成はラジオならでは。


ネットと融和した

ポッドキャスティングも爆発しないまま、

立ち消え状態になり、確かに何かもう一手、

欲しい感じはするけど・・・。


もっともっと情報の垣根を下げて、

リアルタイムな2ちゃんねるのように、

視聴者や生活者から情報を集めて垂れ流す。

ラジオでの集合知を使った面白い企画なんて出来ないかなー。


結局、電車は無くなりタクシーで自由が丘の先輩んちへ。

絶対に潰れない会社。


それは固定費がゼロの会社。

まー、現実的にはそんな会社、ありえませんが。

ただ、基本的な考え方はそーいう事ですよね。

会社でも、家計でも、同様に。


不況になると、高価なものを買わなくなったり、

遊びに行くのを近場にしたりと、

一時的な支出を抑える行動を起こしがちですが。

それよりも絶対的に重要なのが、

家賃や通話料などの固定費削減。


そんなご時世にも関わらず、

昨年末に購入したミニノートパソコンの

通信料が引き落とされだしました。

・・・全然、使う機会がないのに。


ギリシア・ローマの歴史を決定的に変えた

大政治家であり、将軍、文人としても第一人者、

カエサルは以下の物にお金を遣っていたと。


「能力を高めるための勉学」

「多くの友人を作るための交際費」

「女性への貢物」


能力が高まるかは自分次第。

通信費も能力を高める勉学費用です。

いまは完全に、筋トレ用具としての活用に。

テクノロジーに振り回されるのではなく、

逆に振り回すくらいに使いこなす。

これが、なかなか難しいんだよねー。


どこかで生活の価値観を見直す必要性を

感じつつ、同僚と新橋のとある居酒屋へ。

サラリーマンが集い、大衆的な熱気溢れる

北海道の新鮮食材が売りの居酒屋。

何だか不景気を忘れるというか、

逆に考え込むのが馬鹿らしく感じられる

とーってもポジティブな場所に身を置きながら、

付加価値の重要性を再認識。


ビジネスチャンスはどんなとこにも

無造作に転がっているもんなんですね。

新年度スタートです。

体調はまだまだ完全ではないながらも、

新たな年度にやや身を引き締めて。

新年の抱負ではないけれど、新年度の抱負。

「今後に向けて種をまく年に」

そう、経験値を積み重ねることを大切に。


グロービス経営大学院の学長でもある堀さんが

「人間は負けなければ、

戦略の本当の重要性を認識しない」

とおっしゃていました。

効率を求めすぎて動かなくなるのではなく、

動きながら効率を意識するように。


新しい年度を向かえ、

様々な会社が設立して動き出しています。

サイバーエージェントがネット連動イベントの

企画制作会社としてウェブリアル を設立。

イベントへの集客や会場での会員登録、

実店舗での商品販売などに、企業がネット広告や

ブログを活用するのを支援する企画制作会社。


そして、エイベックス・エンタテインメントと

NTTドコモがエイベックス通信放送 を設立。

携帯電話専用放送局として「BeeTV 」を

5/1に開局 するとの事。

このプロモーションが4/1という日を活用した

5種類のエイプリルフール新聞広告 を展開。


「飲み友、募集。」和田アキ子

「祝!17歳差婚。」市原隼人

「再改名!求むコンビ名。」さまぁ~ず

「キャバ嬢、転職。」小西真奈美

「サルコジ、求愛。」香椎由字


ウソつきはエンターテイメントのはじまり、

とのコンセプトで制作された新聞広告。


そして、新聞。

最近では媒体価値すら問われ出し、

かなりの逆風が吹き荒れている新聞ですが、

日本新聞協会が春の新聞週間キャンペーンサイト

見えないものが観えてくる。-新自聞スタイル-

を開設しています。

新聞媒体の対極にあるネット業界をギミックとして、

「IT社長は、新聞を読んでいる!」という

インタビュー記事を展開。


やっぱり広告は面白い!