先日、ミュージアムパーク茨城県自然博物館に行ったのですが、
その後、少し足をのばして、
千葉県野田市にある関宿城(せきやどじょう)博物館に行ってきました。
http://www2.chiba-muse.or.jp/SEKIYADO/
関宿城は500年以上前に、簗田成助(やなたしげすけ、当時古河から関宿にかけて支配していた足利成氏の有力な家臣)が建てたと言われているそうです。
明治の初めに取り壊されてしまいましたが、
平成7年に模した天守閣が再現され、博物館として利根川流域に生きる人々の生活の歴史をわかりやすく紹介しています。
4階建てです。
1階では
・近現代の利根川・江戸川
・近世の利根川・江戸川
・河川交通と伝統産業
についての展示がされていました。
関宿城博物館は、利根川と江戸川に挟まれた野田市関宿三軒家のスーパー堤防??上に建設され、川の歴史と文化を探る博物館となっています。
茨城県と千葉県の境には利根川という大きな川があって、群馬と新潟の間くらいから、千葉の銚子に向かって流れています。
利根川って元々は千葉の銚子じゃなくて、東京湾に流れ出てたんですって
全然知らなかった
あんな大きな川を江戸時代の技術で銚子の河口に変えてしまったなんて…
私がもの知らずということもありますが
とてもびっくりしました〜。夫も知らなかったようです。長男は江戸幕府が大規模な川の改修工事を知っていましたよく知ってるね。
川の流れを変えた理由は3つ。
・洪水対策
・豊かな農地を作るための灌漑事業
・江戸へ日本中の物資を集めるための物流機能の整備
川のことなんて、失礼ながらまったく興味はなかったのですが、いろいろ知ると驚きがたくさんでした
マスコットキャラクターのカッパのカッピーと
江戸川を川下りするゲームがあって、
子どもたちが楽しそうに取り組んでました。
2階は関宿藩と関宿についての展示です。
関宿城は関東平野の中心に位置し、利根川・渡良瀬川・常陸川の三大水系が交わる地であるため、戦国時代には政治的・軍事的な要衡な場所でした。そのため、関東の覇者を狙い、各地で争いを繰り広げてきた上杉謙信・武田信玄・北条氏康らにとって、戦略上の拠点として関宿を手に入れることが頂点に立つための必要条件となり、戦いが繰り返されました。
江戸時代になると、関宿城は江戸の外城の1つとして、代々譜代大名が配された重要な役割を果たしていました。城主は8家23代にわたり、なかでも久世氏の治世が最も長く、老中などの要職に就き、幕政にも重要な地位を占めていたようです。
幕末になると関宿藩は勤王、佐幕派に分かれ、波乱の中で明治維新を迎えました。
3階は多目的室になっており、
私たちが行ったときは、関宿周辺の歴史的な意味合いを持つ場所について、写真展示がしてあり、夏休みに親子で散策してみてほしいと書いてありました。
4階は展望室になってきて、四方の景色が見られるようになっていました。