とてもとても

わかりやすく

日常にある恐怖

 

そして

当たり前に隣りにいる

私のブギーマン

 

『ブギーマン』

(2023年、アメリカ)

 

 

ブギーマン

 

お母さんを亡くして失意の中なんとか生きるお父さん(セラピスト。自宅でセラピーやってます)と姉妹。ある日、お父さんのもとに変なおっさんやってきてセラピーやってたら急に変なおっさん死ぬ。迷惑。すごい迷惑。

その後、家の中に何かいると妹ちゃん気付いて怯えるけど他の家族信じない。

でも、色々あって、やっぱり何かいる(ブギーマン)って皆気付く。

戦う。

 

飛行機の上で観るのはこれぐらいで丁度いいなと思う映画。

 

唯一。

ぐぬぬとなった箇所は友人関係。

物語は一家の姉がメインで謎解き頑張るのですが、その姉の友人がひどい。友人選びを完全に間違えている。ブギーマンより苛つく友人たち。

 

スティーブン・キングの作品の素晴らしい点は、すぐ隣にある日常の風景から恐怖を生み出す事で描かれている人間関係も一般的な思春期の関係性でなのしょうが、最高に面倒だなアメリカ思春期って思うばかり。

 

で、映画の中身として

この物語のブギーマンは一体何者かって話

 

そもそもブギーちゃん、子どもたちに伝承されてきた幽霊じゃないけど怖いの集合体みたいな感じらしいです。wikiに書いてました。

 

最初にやってきて人の家で死んじゃう変なおっさんもこの家族も、共に家族を失うという大きな喪失を抱えていました。

 

その喪失が生む闇の具現化がブギーちゃんで、引っ張られたら変なおっさんみたいになるよってことですかね。

 

ブギーちゃんみたいに分かりやすかったら楽なんですけどね。

 

現実も。

痛みも薬草やホイミやケアルで癒せれば

楽なんですけどね。