失くすべきは

窓口じゃないって

そろそろ気付いてる

 

『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』

著:ブレイディみかこ

 

 

私の母はスマホを持っていない。長年勤めた清掃仕事の疲労で手に負担がかかるのを嫌がり重たいスマホを嫌う。多くの人はスマホに慣れるべきだと言うが、70歳を過ぎた母が経験した日本の技術進化は40歳の私が経験した進化より何倍も大変だったと思うと、今さら「スマホ頑張れ」とは言いたくない(それは私の未来でもあり、これ以上の技術進化に年老いた自分が並走出来る気がしない。)

 

もういいだろうよ。

おばあちゃんなんだから。

新しいこと学び続けろって言うけど、長く生きてるだけで素晴らしいのに求め過ぎだよ。

 

ま、そんなわけで、色々と困りごとがある場合は家族が対応することになるが大変面倒な世の中になってるなと実感する。

 

母のケータイで問い合わせが必要になり連絡するとAIが応答してくれたが、AIが持ち合わせてる質問に聞きたい内容が無い場合はお先真っ暗だ。ネットでは「◯番押して→◯番押して→何も押さずに数秒待つとオペレーターに繋がる」と書いているが、その特殊なギミックはゲームの中だけにして欲しい。試してみるが繋がらない。どうやら特殊ギミックの情報は古かったらしくAIとの押し問答延々地獄の幕開け確定である。

 

実家が北海道で現在は東京在住の身としては飛行機利用ばかりで新幹線をほぼ利用しない(義実家行く時のみ利用)。そんな私から見れば鉄道は魔境。年に一回利用する程度なら魔境度合いが年々深まる。今は何のアプリで、どのネットで、さてどこに会員登録して、はてさて。まだ対応可能な年齢だが70歳になった時に出来る自信はない。

 

そう、みんな忘れ過ぎている。

私達は年老いるのだ。

 

人は経験しなければ理解出来ない。年老いた自分を経験した時、その人は既に開発の場所にいない。過去の人になっている。だから声は届かない。

 

手が震えること、早く歩けないこと、新しい言葉を理解するのに時間がかかること、腰や足が悲鳴をあげ長く立ち続けられないこと。

 

私の母がせっかちなのは、母自身が年老いているのを自覚して焦ってしまうからだと病院の先生に言われた時は胸の奥から悔しくなった。

 

焦らせてるのは私の年代。

いかに早く、スムーズに、それは自分の靴しか履く気がない私達の年代が作り出した勝手な世界。そもそもスムーズかどうかは他者が決めることではなく、当人しか分からないコトだと思う。

 

この本の著者は『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の出版で英語が母国語の国では聞き飽きられた「エンパシー」という言葉が日本で大きな反響を呼んだことに驚いた。だがそれがエンパシー万能!エンパシー最高!に安易に繋がることを危惧し、様々な議論があることを踏まえ「エンパシー」に対して掘り下げている。

 

窓口に立つ人がいる世界。

 

ロボット未来予想で一番最初に考えられた窓口案内ロボットは、もしかしたら存在しないロボットなのかもしれない。

 

その仕事は人間にしか出来ず

その仕事しか人間は出来ない

そんな未来かもしれないから