私のブログはどちらにも該当する
と、書いた本人も思ってます。
『文にあたる』
著:牟田 都子
校正者
その存在を意識するのは間違いに気付いた時
なんて残酷な職業だろう。
でも彼らの存在のおかげで
私は読む本を信頼する。
昨今、言葉の使い方について発言している人が多いなと思う。正しい、正しくない、国語力の低下だ、辞書ではこうだ、と。
正直、言葉についてよく他人に言えるな〜って思ってる。
「ん?」って思うことあれど、
私の認識が古いかもしれないし
発信者の考えを理解出来てないかもしれないし
あえて書いてるかもしれないし
そんなの切り抜きじゃ分からない。
国語の先生並みに指摘する人が多いのに、コミュニケーションスキルが育ってない現状は一体どういう事ですの?その言葉のスキルはどこに変換されてるの?ってモヤモヤするけど黙ってる。面倒なの嫌いだから。
文にあたる
タイトルの「〜にあたる」は衝突ではない
だが
本を読んで残るイメージは
文に対してアメフトのようにタックルし粉砕していく校正者の姿だ。
読めば読むほど
そんな事疑問にも思わなかった事ばかり。
辞書片手に(辞書も種類がいっぱいだね!)
書き手と読み手の明度を探り
リアリティの境界線で
校正の範囲に思い悩む存在を、
コーヒー片手に呑気にモーニングのトースト食べてる私は想像出来なかった。
今日も私は本を読んだ。
安心して
本を読んだ。
姿の見えない人よ、ありがとう
本の信頼を守ってくれて、ありがとう
読書に意味を持たせてくれて、ありがとう
●一冊の本を選び読むという事は、他の数多ある本を読まないという判断を同時にしている。本当に読む価値があるかは実際に読み終えるまで分からないが、同じ時間を使うなら信頼できる本を読むようにしたい。ということで、私は紙の本が好き。紙まで辿り着いた本が好き。