スウェーデン・アカデミーが

芸術に洗脳されてる人と

現実に立つ人で

本当にエライコッチャな記録。

いや、本当に、

芸術に陶酔は厄介だわ。

 

『ノーベル文学賞が消えた日 スウェーデンの#MeToo運動、女性たちの闘い』

著:マティルダ・ヴォス・グスタヴソン

訳:羽根 由

 

2018年ノーベル文学賞は消えた。前年の2017年11月に18人の女性が証言した《ある文化人》による性的暴行事件が理由である。《ある文化人》の名はジャン・クロード・アルノー。稀代の美しき詩人であるカタリーナ・フロステンソンの夫だ。二人は地下にサロンを創った。あらゆる芸術が絡み合い、偉大で高尚な想像の原動力を生み出したサロンはスウェーデン内の芸術家が集い、人脈も金も集まる場所になっていった。アルノーはそこで舞う蝶のように人から人へ、芸術家たちを繋げる線を作り歩き回る。その手が若い女性の太ももを触ろうとも、そして、その手の存在を妻が認識したとしても。

 

18人の証言がある。

そこには自責の念と困惑、屈辱と迷い。

彼女たちは自らを奮い立たせるように、この問題の支配者は自分自身でコントロール可能なものだと理解しようと必死に足掻く。落ち着き払い、冷静に。アルノーの持つ芸術の世界の力に屈しないように。そして彼を逆撫でないように。

 

アルノーには実体がない。本を読む限り、なぜ人が集うのか分からない。でもその妻には美しき芸術の力とアカデミー会員という力がある。2人のサロンはスウェーデン・アカデミーと密接な関係を築き助成金にも関与していた。サロンにはアカデミーの仲間が集っていた。だから、彼らは知っていた。アルノーの手の先を。

だけど、見ないフリをしていた。

 

この本は

その高尚なフリした低俗な行いが

溢れ出ていく記録である。

 

感想としては

アルノー自身と同時に妻のヤバさに驚く。この事件は彼らからすると輝かしい功績をもつ美しき詩人と夫に対する妬みによる陰謀論だそうだ。

 

でも、妻は知っていたと思う。

そして、そこから湧き上がる情念を芸術に変化させていたのだろう。

 

人を犠牲にする芸術

そんなの

意味分からないままでいいや。

 

●2017年カズオ・イシグロさんが文学賞を受賞し、この問題についてもコメントを求められたと本で書かれている。でも日本ではそのコメントが見当たらなかった。いや、駄目じゃない?結構大きい問題だよ。カズオ・イシグロさんには関係ないけど、芸術の特権世界が生み出した問題なら同時に報道しなきゃ駄目じゃない?