その言葉が彼女を傷つける。毎日毎日毎年毎年。だけど誰も気づいてくれない。いや、気づいてるか。これは見ないふりだ。だってほら、彼女も見ないふりをしているでしょ。だからこれはただの生活傷。

 

いつからか書店で韓国の方が書いた本が目につくようになった。その本の多くは「大丈夫、あなたはそのままで。もっと力を抜いて。」と話しかけているようだった。両国間に様々な問題はあるだろうが、日本にとても似ている国韓国。その国で何が起きているのかと本を手に取ると、そこには役割を必死で演じる役者達がいた。あなたは全ての頂点である家長、あなたは家のため働き続ける母、あなたは結婚をし子供を生むことのみ望まれる独身の30代女性、あなたは勤勉で聞き分けの良い親族一同の期待を背負う男の子。誰もが諦めの目をしつつ決められたセリフを喋っている。でもその中で舞台から降りようとする若者たちがいた。若者たちは舞台から降りて観客席にまわった。そして舞台に野次を飛ばし始めたのである。

 

大きな像は誰か。その部屋は何なのか。像をその狭い部屋で見つめるか、殺すか、逃がすか、それともその部屋から自分が出るか。もしくは壁を壊すか。あるいは像に踏まれて自分を殺すか。

 

役者は結末を左右できない。でも観客の声はそれを可能にする。それなら選ぶのは一つだ。