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長めの呟き

読むだけ無駄。

日記にて何度か食の事を書いてみていろいろ思って至った事、

極めて個人的な私の好みというか、味そのものに対する総決算を語る。

 

 

味の好みなんて言うものは、千差万別というが、その個人の好みですら年齢で大きく変わる。

何を美味いとか不味いとか決めること自体がそもそもナンセンスであるのかもしれないが、

普遍的に食べたいもの、というか自分の好きな食事がわかった。

 

日記に何度も食事に対していろいろと書いているので、そういう事を普段から考えて、食べるのが好きで

その好奇心から考えることがある、様に見えるかもしれないが。

 

実際のところ、食事は何でもいい、あまり興味がない、不味くても食えれればいい、

とはいえ、不味い食事と美味い食事なら、美味い食事をとる程度には興味はある。

本質的なことを言えば、栄養が目的であり、味は副産物という考え方である。

 

生きるために食事をする。

というのが、私に限らず、ほぼほぼすべての人類にある共通であろうが

この飽食時代、一日三食、お菓子お酒付の人生はおそらく、日本人の病気の根源は、この食べ過ぎであろう。

米と塩、そして急激な脂過多の食事、二食から三食になり、食べ過ぎによる不健康は

食の誘惑、塩の食欲増進、辛味成分の胃の刺激、脂の満福中枢の刺激に抗えぬ我々は、毎日不健康を重ねている。

という話は何度かしたような気がするが、総決算として、語ろうと思うことは、

飽食で損なわれるのは、食への満足である。つまり、今さら米とたくあんと味噌汁の食事には戻れない事、

舌が肥えたこと。

 

そんなことはみんな知っているだろうが、舌が肥えた事実が飽食にもたらされたことがどういう事か、

私の言い方をすると、飯を不味くしたのは飽食だということ。

私が食事に対して興味が無いのは、栄養的にも、味覚的にも満たされているから。

 

私が語りたいことは、自分の好きな食事を見つけたこと、なのだが、少し話を変える

美味い食事とは何であろうか、脂が乗った肉か?、強い火力で作られた中華料理か、素材の味を生かした日本食か?

上にも書いたが、こんなものは好みであるし、体調で味の感じ方も好みもいくらでも変わる。

 

そこで思うことは、かき氷だ。

ネットによくあるオタクのつまらん聞きかじった話、かき氷は味は一緒、香料が違うだけ。

実際のところ、最近のかき氷には果汁入りのがあるし、何より香料が違うのなら味は違う。

 

え?って思う人もいるだろうし、俺なら味の違いが判る、と自信を持っている人もいるだろうが

どうでもいい。

私が言いたいことは、舌を刺激する味覚だけで、

食事の美味い不味いを決定づけするものではない、という事を言いたいのだ。

 

機内食が味が薄くなるとか、気圧だとか、騒音だとか

ラーメンは、有名店であればあるほど美味いとか、そういう話をしたい。

毎日数百円で食べる牛丼は、本来なら感動を覚えるほど美味い味であるが、

私には食べ飽きた、なんでもない食事だ。

 

飽食が味を、つまらないものにした。

もし意味もなく絶食をしてみて、数日振りに牛丼を食べれば、アルバイトの店員を抱きしめてその日を特別な一日に思うぐらいには感動するだろうが。

数日食べ続ければ、何の興味もない、ただの栄養補給や、空腹からくる反射行動、いつもの習慣としての食事になる。

だがそれは私に限った話ではない、みんな多かれ少なかれ、そうなっているはずだ。

 

であるのなら、好きな食事とはなんであろうか。

おそらくそれは、料理の中にないもので決まっているはずだ。

 

たとえば、おしゃれな店で飲むコーヒー

たとえば、家族と行くファミレス

たとえば、必要以上に高い金を出して食べるコース料理

 

私なら、塩味がする暖かい食事だ。

いろいろと食べた経験から言えることは、それを満たしていればいいのだ。

何かの料理は、重要じゃない、塩味のする温かい物が、食べたいものであり、美味いものになるのだ。

というのが、今現在の、私の食への最終的な興味や答えである。

 

 

そして、おそらく私はすごくつまらない当たり前すぎることを言っているのかもしれない。

それは既にそうなのかもしれないし、あと数年後かもしれない。