スカスカ冷蔵庫は損切り、投げ捨ててフロン爆発 | 長めの呟き

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読むだけ無駄。

原発再稼働における目下の課題として放射性物質の長期的保管や人口低下にありながら電気需要の低下や人類全体で導体の発明、新技術における発明などの考慮としてうんぬんかんぬんと書いてみても、どうせ馬鹿が知ったかぶりでしかないし、誰も読まねえし

そもそも俺自身が興味がないのだが、そういった情報の中で面白いアイディアがあった。

 

人口減においても電気代というものの計算は言うまでもなく家単位であり、家単位における割合を見ると大きな割合を占めておきながら実はこれいらないんじゃないのかという冷蔵庫という家電なのだ。

もちろん多くの家に需要があり、持っていて当たり前という意識である冷蔵庫という家電はあって困るものではない

 

これに尽きる。あって困るものではない。一家に一台冷蔵庫。

どこかで買った食事の食いかけだろうが、作りすぎた肉じゃがだろうが、いつでも好きなタイミングで食べられるように冷凍された旅行先の買い物もそこに入れておけば、腹が減ったときに食べれる。

 

いちいち文字に起こしてわかることだが、冷蔵庫の機能とは、好きな時に食べるためにあるものだとわかる。

菌の繁殖を抑える目的だとか、劣化を防ぐ目的と思うだろうが、ではあなたは食料を腐らせたことも捨てたことも、痛んだ食料で調理した食事を調理したことも食べたことはないのだろうか?

冷蔵庫という食糧の保存する装置を過信しすぎた為に消費以上に溜めてしまうのではなかろうか?

あなたの冷蔵庫に賞味期限の切れた食品は一つもないだろうか?

 

さらに問題点を挙げるとすれば、今私の挙げた過剰な溜め込みにたいして、いや私はちゃんと消費していると思っているあなた。

あなたその傷んだもしくは腐っている食品を食べてしまうのですか?

それは食品を捨てる以上に健康という資産を減らすことにならないだろうか?

必要以上に食料を消費し太ることが生活習慣の根源ではないのか?

もし腹痛で一日働けなくなれば、一日分の労働賃金を得られもしない、胃腸を弱らせ冷蔵庫の食料を消費する機会さらに減らしてしまうわけだが、本当にそのリスクを受け入れて、食べることがプラスになるのですか?

 

というかみんな捨ててるので結論として日本の膨大な食品ロスの原因として冷蔵庫が要因のひとつである。

 

結局食料をため込むのがよくない、という話だが、なぜため込むのかというのも、

冷蔵庫という機能、目的のためにそうなるのである

そりゃそうである家族用の冷蔵庫にビール缶数本だけ入れるような使い方なんて意味がない、

今どきの冷蔵庫も多機能に野菜、肉、卵、飲料と分けて詰め込める構造になっている。

だが、考えてみればこれは需要と供給、理解と構造、目的と手段ではない。ただの商品価値である。

なぜならば家族構成と個人の食料消費はすべてばらばらだからだ。

一言でいえば家族4人用の冷蔵庫400L以上、というこの単位は根拠としては平均なのだろうが、意味なんてないものである

大体の多くの家庭の冷蔵庫は過密かスカスカになっている。

 

今現在の私は冷蔵庫なんてスカスカのスカであり、まとめて冷凍食品やら弁当を買ったときに

入れるだけで、もしなくなってもその日の食事を、その時の食事をコンビニで弁当を買うだけのことである

別に困ることはないと断言できる。

 

なら冷蔵庫捨てればいいし、電源も切ることも何も問題はないが、惰性というか、別に切る理由もなく

一家に一台のあって当たり前の家電の存在に意識を向けたことがなかったのだが

上に書いたように、いらないんじゃね?という意見に感化されこのように考えている次第である。

 

性格の悪い私は、そこからさらに冷蔵庫というものが人類に与えた影響を考え、

結論として、近年の家庭料理というものが生まれた要因だろうと思う。

 

私は多くのご家庭にお邪魔して、多くに奥様の手料理を食べて、経験として理解しているのだが、家庭料理は、一般的においしくない。

もちろんその家庭に生まれ育った人は思い出があるので、それに対しておいしいだとかまずいだとか意識しにくいものだろうが

飲食店で食事をするようになって、親が料理が下手だったことに気付く人はいる。私は幸いにして一般よりおいしい食事だったことも知ったが。

しょせん、ご家庭の調理器具、そこそこの料理経験、安い食材のて料理でしかない。

 

中にはうまい人ももちろんいる、だからこそ、料理がうまいとは魅力なのである。

で、私が言いたいことは、冷蔵庫というものがまずい家庭料理を残し続けているのではないか?ということである。

 

冷蔵庫が生まれたからこそ、家庭料理を作らなければならない構造になっているのではないか

節約というか自炊をしなければならないのは、冷蔵庫の目的の一つになっている。

 

だが、今現在の日本で手料理ができる事は能力として必要だろうか?

普通に働いていれば、外で食べたほうが早くて安くて、可処分時間を確保できてQOLに寄与するのではないか?

具材を買うより、出来合いのものを買って冷蔵庫に保存するだけで十分ではないか?

理想として家族で母親の作った料理を一家団欒で食べるというものがあるが、申し訳ないが思春期を過ぎればマクドナルドでビックマックを食べてる方が幸せなんだから、いつまでも手料理幻想を抱き続けても自分の人生の時間を減らすだけではなかろうか?あなたがマクドナルドのビックマックとフライドポテトとコーラよりおいしい食事を作れるなら子供も幸せでしょうけど、それは極めて難しいし、平均寿命一位と持てはやされ子に沖縄料理を代々継承していた沖縄の老人も沖縄料理よりマクドナルドやケンタッキーで脂を食べて幸せそうに健康寿命を減らしている

 

もしあなたが、健康のために手料理は必要だと思っているのなら、それも違う。健康に必要な食事というのは管理であり

もし健康的なパンとやらを誰かのために食べさせたいのなら、品質を保証された場所でそれを商品価値として売られているものを買い与えるだけでいい。もうすでに多くのニュースで発生しているが、無添加だの、機械ではなく手でこねただのという素人の手作りパンが、カビだの包装が基準以下だの連絡先がないだの、一般商品に比べて所詮いち家庭での料理なんてものは無責任なものでしかない。

 

とても辛辣なことを書いているが、これが現実で、

家庭料理に幻想を持っている人だけがとても酷いことを言っているように感じるだけなのだ。

あなたが1時間かけて用意した1人前の料理と、あなたが1時間の時給で食べられる料理を考えてほしい。

 

というわけで、私の意見として、手料理を捨てるために、冷蔵庫すてませんか?

料理が好きだとか趣味にしたいならもちろん必要でしょうけど、

 

その日の食事やその時食べたい料理を必要な分だけ買って料理に使うだけで、大丈夫でしょ?

余った食べ残しはコンポストでも生ごみでもいいでしょう。

基本的に外で食事しましょう。

 

節約?そんなことするより、収入増やしたほうが早いですよ。

それでうまいものを外で食べたほうが日本経済にいいし、味もいいし衛生的だし、なにより精神が楽だ。

 

家電で掃除機や洗濯機ってやつは家事を楽にして時間を減らせるものだけど、

冷蔵庫ってやつは、実はその日の行動を左右するぐらいに縛っているものじゃなかろうか?

冷蔵庫はあまりにも日本人の溜めこむサガともったいない精神の相性が良すぎる。

 

使っているつもりが使われているってまさにこのことじゃなかろうか?

どうせ今日もあなたは冷蔵庫に詰めるものを買いに行くんでしょ?

何が賞味期限なのか、何を先に消費すべきかを、今日のあなたの時間の何割かはそれに使っている。

 

あなたがこのまま変わらなくても、日本は人口減で、電気事情も、賃金も、変わっていくのです。

今後もずっと節約のためだけのために自炊しますか?