みなさんは自分を残念に思うことはありますか?

私はよくあります。

どのような時にそう思うのかというと頭の中で自分

について考えた時に最後にたどり着く答えとして自

分が残念だと思います。

ある時は自分の特技について考えて他の人と比べて

突出した部分がないと感じたり、問題の答えを見た

ときにこの答えだったら自力で出せそうだと思った

時にそう感じます。

自分を残念に思うということは一見するとネガティ


ブなことのように思えますが、私はネガティブでも


ポジティブでもないと思います。


私の中で自分を残念に思うということは自身の思考


の中で生み出された結果の内の一つとして存在して


いるからです。


結果に対してネガティブだとかポジティブだとか感


情の色を付けることは珍しいのでネガティブでもポ


ジティブでもないと思うわけです。


結果として処理するのであればそれは感情を元に作


られる思考ではないのかもしれませんし、あるいは


自身が感情のこもった考えをすることに抵抗がある


からそのような考えに至ったのかもしれません。


しかし単独で見れば複数の思考を経て生み出された


結果に過ぎないと思います。


ここまで考えてきた中で新たに疑問として浮かんで


きたことがあります。


それは「自分を残念に思うことはただの結果であ


り、感情を含むものではない」という考えは主観的


なのかどうかということです。


私がブログに書くことは大抵主観的なので個人の考


えだということを強調して書いています。


なので、今回のブログも主観的か客観的かというと


ころで引っかかりました。


主観的か客観的かを決めたところで何かある訳では


無いですが毎回気になります。


細かいことに囚われる人生ってだいたいこんな感じ


なのではないでしょうか。


それはそれで楽しいかもしれませんね。


では実際に主観的か客観的かを考えてみましょう。


判断が自身の感性に沿っているものは主観的、主観


にとらわれない考え方を客観的であるとします。


客観的に物事を見るというのはメタ認知に近しいの


で客観的とはメタ認知ができていることといっても


良いでしょう。


判断が自身の感性に沿っているということは今回の


場合、自分を残念に思うことを感情的なものだと表


現できることだと言い換えることが出来ます。


自分を残念に思う状況を考えると、自分と他人を比


較した時に自分は残念だと思う場合と過去の自分と


現在の自分を比較した時に現在の自分は残念だと思


う時、他人と他人を比較してどちらか一方を残念だ


と思う場合の3種類に分けられます。


つまり今この瞬間の自分とそれ以外の物事、他人と


他人というふたつの比較対象があるということで


す。


自分と他のものを比較する時は自分の不甲斐なさを


感じた時や逆に自分が他より勝っていると感じた時


だと思います。


他人と他人を比べる時でもやはり2人の間で比べる


ものにある程度の差が生じていないとある一方を残


念に思うことは無いでしょう。


ではその差は主観的なのか客観的なのか。


答えは主観的です。


自分の中で思い描いた過去の自分や他のもの、ある


いは他人と他人の間の差を考えた上で自分もしくは


片一方の他人を残念だと思うのですから主観的であ


るという結論を出しました。


差が主観的であるので主観的な考えから生まれた自


分を残念だと思う考えも主観的です。


このブログで伝えたかったことは自分で考えている


ことの大半は主観的なので必要以上に自分を残念だ


と思い、自分を責める必要はないということです。


自身の考えの全を感情で分別するとマイナス方向に


考えてしまう人ほどとても辛い思いをすると思いま


す。


ですが自身の考えを感情で分別するということは主


観的なので自分から見た自分の感情でしか分別して


いないのです。


自分はすごくないと思っていても他人からしたらす


ごかったりします。


なのでそこまで自分の考えによって暗くなる必要は


ないです。


今回のブログは内容が二転三転してしまった上に長


くて読みにくかったですね。


受験が終わったのでたくさん書きたくなってしまい


ました。


ここまで読んでくださった方、お疲れ様でした。


次回はもう少し短くしようと思います。


おやすみなさい。